投稿者「misakimichi」のアーカイブ

県道34号線沿い (4)太田尾・潮見・春日・網場の風景

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県道34号線沿い (4)太田尾・潮見・春日・網場の風景

平成21年3月21日、長崎半島東海岸沿いの県道34号線により茂木から日見まで行く。途中で見た風景。
(4)は、路傍の地蔵、太田尾海岸のアコウ、太田尾の大クス(市指定天然記念物)、山川河内の看板、旧道の道標(矢上・茂木・長崎道と刻む)、石室の地蔵、県道開通記念碑、春日町の集落、老人ホーム橘の丘、谷間の山桜、牧島と雲仙を望む、矢上団地遠望、網場への県道の道、天満神社の桜と石燈籠、網場入江の集落、岬の石祠、養国寺の参道と観音像、同寺の梵鐘(市指定有形文化財)、いけす料理肥前屋、長崎ペンギン水族館、同館の海浜部

県道34号線沿い (3)茂木・北浦・飯香浦の風景

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県道34号線沿い (3)茂木・北浦・飯香浦の風景

平成21年3月21日、長崎半島東海岸沿いの県道34号線により茂木から日見まで行く。途中で見た風景。
(3)は、茂木鉄道計画掘切跡、天草フェリー茂木港ターミナル、北浦海岸に見えるドンク岩、茂木植物化石層(県指定天然記念物)、茂木百年桜植樹地、長崎県立長崎南商業高校、県道開通自衛隊協力碑、赤崎鼻先の海岸岩場、飯香浦と枇杷崎の遠望、飯香浦の海岸岩場、日吉神社鳥居、飯香浦地蔵尊の石門と地蔵、長崎市立日吉小・中学校

太田尾のアコウ群落とクスノキ  長崎市太田尾町

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太田尾のアコウ群落とクスノキ  長崎市太田尾町

長崎市茂木北部、甑岩裏の太田尾町。県道34号野母崎宿線の沿道にある市指定天然記念物「太田尾の大クス」は次項を参照。 https://misakimichi.com/archives/168
先日、先輩の水彩画家松林氏から、太田尾にアコウの大木があると聞いた。氏のHP「松林重宗水彩ギャラリー」に作品を載せているという。最初の絵がそれである。
見た覚えがある。大クスは、2007年8月の記事で、大クスを訪ねた際、太田尾の海岸でアコウも見て、写真を写してきていたのに、掲載を失念していた。

きのう3月21日に太田尾町を再訪。アコウの群落がある所は、海岸へ下ったバス終点から右の埋立地グランドの方へ向かう。橘湾に面した防波堤道路の終わりまで約150mの区間に、アコウの大木が10本近く並んでいる。防風林として植えられたものであろう。
海岸通りの奥の方のが一番大きい。住家入口の石垣の上に生え、幹囲8m位。上部で6本ほどの支幹に分かれている。

バス終点に戻り集落の左手(南方)を眺めると、こんもりした木があった。電柱横に大幹が斜めになって良く見える。これもアコウかと根元へ行ったら、クスノキだった。「山の神」の小さな石祠が祀られている。幹囲は約5m。上部で2本に分かれ、直立した方は4mほど上で折れていた。
県道沿いの市指定天然記念物の大クスに比べると、やはり小さい。

野母の大立神灯台  長崎市野母町

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野母の大立神灯台  長崎市野母町

長崎半島の南端、野母の大立神灯台は、権現山展望公園下の海面に突き出た「大立神岩」に立つ。展望公園に登る途中から見えるが、海岸へ近寄って写した写真は見当たらない。
権現山展望公園へ以前は、野母バス停から野母小学校前を通り登っていたが、最近、野母崎病院前から海岸沿いを上がる新しい道路が開通し、案内標識の矢印を変えている。

3月20日WBC観戦後、午後3時頃に野母へ行った。葉山神社先の野母終末処理場から海岸へ降りたら、ちょうど干潮時だった。大立神岩まで海岸伝いに歩いてみた。砂浜が多く、1時間ほどで着く。切り立った岩礁は高さ約18m。取り付け階段が手前側に見える。
「小立神岩」という岩もあり、これは海岸へ降りたすぐ近くの岩礁であろう。対岸は、脇岬海水浴場や樺島大橋、樺島灯台の景色となる。500m歩くと水場とタイル跡がある。
HP「日本の灯台」による説明は、次のとおり。

都道府県別 長崎県  ●6351 大立神灯台 [O^tategami]

位置 [Lat/Long]  九州西岸 北緯 32°34′ 01″, 東経 129°44′ 26″
塗色及び構造 [Colour, Structure]  白色 塔形 [White, Tower]
等級及び灯質 [Class, Characteristic]  単閃白光 毎3秒に1閃光 [Fl W 3s]
光度 [Luminous Intensity(Cd)]  500カンデラ (8M)
光達距離 [Range(M)]  12海里
高さ [Tower Height, Focal Plane Height]  地上〜頂部:6.6m、水面〜灯火:30m
初点灯 [Commissioning Date]  昭和46年1月29日 [1.29.1971]
管理事務所 [Office]  第七管区海上保安本部 長崎航路標識事務所

伊能忠敬研究会HPの「伊能忠敬測量日記」による関係記録は次のとおり。忠敬の足取りどおり歩いたようだ。
文化10年9月9日 (西暦1813年10月2日)
…元庄屋の岩永行助宅で昼休み。又、今朝横切った後浜のウの印より初めて、沿海を逆に測る。右に三十間斗(55mほど)引き込んで浄土宗蔵徳寺。左に小立岩(小立神岩)。但し三町斗(327.27mほど)沖。大立神。高さ十間斗(18mほど)の尖った岩。野母崎の内、字門ノ口。又、大絶壁で風と波が強くて測量が難しくなったので、サの印を残して沿海を逆に測る。二十七町六間(2,956.36m)。沿海を順と逆に合計一里十六町九間(5,686.09m)。横に一町四十二間(185.45m)。…

長崎の西の空の夕日  09− 5

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長崎の西の空の夕日  09− 5

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下、続く。

写真 1〜 6  平成21年 3月 9日の17時48分頃 (3の奥は五島列島)
写真 7〜11  平成21年 3月15日の18時17分頃
写真12〜14  平成21年 3月17日の18時23分頃

藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり (2)  平成21年3月

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藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり (2)  平成21年3月

平成21年3月15日(日)快晴。藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり。石鍋製作所跡、領界目印石、金鉱跡、大ツバキを見学する。参加15人。
為石バス停9時半発ー白川稲荷神社ー石鍋製作所跡ー藤田尾古道ー飛瀬領界目印石ー金山金鉱跡(昼食)ー藤田尾ー大ツバキー千々古道ー千々14時半着。

白川稲荷神社は三和中からの寺岳登山道の途中にある。年に一度の大祭があっていてふるまい酒を貰う。石鍋製作所跡を見て、為石海岸の浜川橋に出、千々古道に入る。昔の古道で、藤田尾の子どもたちの通学路であった。
寺岳を左上に見ながら藤田尾近くで県道34号線と合い、県道を少し戻って飛瀬海岸に降りる。寺岳から下ったこの尾根が御領(茂木村藤田尾)と佐賀藩領(為石村)の境で、天保8年(1837)領界争いを解決した目印石(無刻)が2本残っている。
飛瀬よりそのまま海岸の岩場伝いに20分ほど歩いて、字金山の金鉱跡まで行く。海岸の黄色がかった層の岩場の中段に、ポッカリと穴が空いている。坑口は2か所。中で通じ、広場となって5mほど奥へ入れる。金脈に賭けたはかない夢の跡。採鉱は思わしくなかった。

昼食後、藤田尾へ上がり大ツバキを見学。長崎市指定天然記念物。市内一の大木である。海岸が見える所にもう1本の大木がある。下の海岸近くの川口にあるのは、かつての石橋架橋記念碑。ゲートボール場の前から千々古道へ入る。
登って行くと、旧県道の道へ出る。天草灘を望む枇杷畑が多い中の道から、眼下にニッ岳崎が見える。カーブする道を連続しながら下ると、千々先のきれいな浜と岩場に着く。この道路が千々集落へ車で行く唯一の道だった。川筋のツバキは3本立ち。右のは幹囲1.5mある。浜でワカメ拾い。ツワとともに思わぬ収穫となった。休みの日で天気が良く、釣り人が多い。
海岸伝いを含め、約11kmを歩いていた。千々発14時50分のバスに間に合った。為石組は宮さん車にお世話になった。写真は(1)からの続き。庭の裸像と望遠鏡はラビリンス用撮影。

領界目印石の資料の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/80
金山金鉱跡の資料の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/281
藤田尾と千々古道の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/224

お宮さんの参加ブログ記事は、http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/12372256.html

藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり (1)  平成21年3月

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藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり (1)  平成21年3月

平成21年3月15日(日)快晴。藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり。石鍋製作所跡、領界目印石、金鉱跡、大ツバキを見学する。参加15人。
為石バス停9時半発ー白川稲荷神社ー石鍋製作所跡ー藤田尾古道ー飛瀬領界目印石ー金山金鉱跡(昼食)ー藤田尾ー大ツバキー千々古道ー千々14時半着。

白川稲荷神社は三和中からの寺岳登山道の途中にある。年に一度の大祭があっていてふるまい酒を貰う。石鍋製作所跡を見て、為石海岸の浜川橋に出、千々古道に入る。昔の古道で、藤田尾の子どもたちの通学路であった。
寺岳を左上に見ながら藤田尾近くで県道34号線と合い、県道を少し戻って飛瀬海岸に降りる。寺岳から下ったこの尾根が御領(茂木村藤田尾)と佐賀藩領(為石村)の境で、天保8年(1837)領界争いを解決した目印石(無刻)が2本残っている。
飛瀬よりそのまま海岸の岩場伝いに20分ほど歩いて、字金山の金鉱跡まで行く。海岸の黄色がかった層の岩場の中段に、ポッカリと穴が空いている。坑口は2か所。中で通じ、広場となって5mほど奥へ入れる。金脈に賭けたはかない夢の跡。採鉱は思わしくなかった。

昼食後、藤田尾へ上がり大ツバキを見学。長崎市指定天然記念物。市内一の大木である。海岸が見える所にもう1本の大木がある。下の海岸近くの川口にあるのは、かつての石橋架橋記念碑。ゲートボール場の前から千々古道へ入る。
登って行くと、旧県道の道へ出る。天草灘を望む枇杷畑が多い中の道から、眼下にニッ岳崎が見える。カーブする道を連続しながら下ると、千々先のきれいな浜と岩場に着く。この道路が千々集落へ車で行く唯一の道だった。川筋のツバキは3本立ち。右のは幹囲1.5mある。浜でワカメ拾い。ツワとともに思わぬ収穫となった。休みの日で天気が良く、釣り人が多い。
海岸伝いを含め、約11kmを歩いていた。千々発14時50分のバスに間に合った。為石組は宮さん車にお世話になった。写真の続きは(2)へ。庭の裸像と望遠鏡はラビリンス用撮影。

領界目印石の資料の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/80
金山金鉱跡の資料の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/281
藤田尾と千々古道の詳しくは、https://misakimichi.com/archives/224

お宮さんの参加ブログ記事は、http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/12372256.html

上丹馬のエノキ  長崎市香焼町

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上丹馬のエノキ  長崎市香焼町

長崎市香焼町の豊前坊社と岩立神社のエノキが、ともに樹高約20m、根回り約4mで、樹齢約200年と推定され、町当時から引き続き長崎市指定天然記念物になっている。
香焼にこれより大きいと思われるエノキを見かけた。豊前坊社前のエノキの車道反対側、左下となる。

上丹馬バス停から安保トンネルの安保側出口へ下る車道があり、しばらく行くと、カーブ地点の手前右斜面地にある。上は浜浦宅で、犬が吠える。エノキが2本あり、下が目通り幹囲2m、上が同幹囲4mはあると思われる。急な斜面地に根を張り、計測ができない。根を見せているためか、大きく感じる。
この手前の車道右脇には大きな岩があり、くりぬいた小さな穴に地蔵が祀られ、アコウの大木が横たわって生えていた。水場だったようである。

エノキの大木は、式見小学校のが別格、幹囲5.8m(高さ1.7mで3本の幹に分かれる)で一番大きく、市指定天然記念物になっている。香焼の幹囲4mほどなら、高浜海水浴場右側の川畔に防風林として植えられた老木の大木がある。蚊焼漁港にも大木がある。
次を参照。 https://misakimichi.com/archives/436
https://misakimichi.com/archives/538
後ろの2枚が、高浜海水浴場近くと蚊焼漁港のエノキ。幹囲はそれぞれ4.0mあった。

イチョウも大音寺墓地のが、市内一の大木とされ、市指定天然記念物になっているが、茂木の玉台寺境内の方のが、幹囲は大きいと思われる。
次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1514
地区によって天然記念物指定の不均衡とならないよう、専門家・関係者による正確な調査をお願いしたい。私の間違いがあるかも知れない。一応、紹介しておく。

香   焼 (9) 香焼炭鉱の海岸試錐跡  長崎市香焼町

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香   焼 (9) 香焼炭鉱の海岸試錐跡  長崎市香焼町

「香焼」(こうやぎ)は、長崎港口のかつて島であった町。長崎市の南部に位置し、市街地から車で約30分である。香焼山円福寺は別項。

(9)は、香焼炭鉱の海岸試錐跡  安保海岸に明治40年の炭層試錐跡が3本現存していた。
香焼町「香焼町郷土誌」平成3年刊の香焼の歴史39頁に1枚の写真があり、次のとおり記している。

(湧水や鉄道隆起のため収支伴わず横島炭鉱に続き)…香焼炭鉱も明治37年(1904)3月廃鉱(停止)となり、時あたかも日露戦争が勃発し、村としても多難なときを迎えた。しかし幸いに、山下コークス製造所は相変わらず発展しており、明治33年末より着工していた長浜鉄工場が、明治37年10月、軍需の波にのって、漸く活動を開始したことは、村の発展を期待させる事柄であった。
香焼炭鉱は廃鉱になったが、川田社によって採掘跡の残柱採掘が行われた。香焼炭鉱はこの後も、三菱に試錐(鉱床探査)を依頼、明治40年(1907)に海岸試錐に成功し、炭層の存在を確認することができた。このときの試錐の跡は、海岸に3か所あったが、現在では第1・第2次の跡は流失している。しかし第3次試錐の跡は現在でも残っている。恵理下と栗ノ浦との間の「高石」と呼ばれる岩場にあるのがそれである。

この海岸試錐は、永い間採掘された陸上には開拓の余地なしとみて、海底炭田の開拓を目指したものである。試錘の結果は第1次で、上5尺、、上3尺、7尺、下3尺の各炭層を認め、第2次では断層の位置で5尺、上3尺の炭層を認めている。次の第3次試錐では第1次と同じ炭層を確認している。
操業を停止していた香焼炭鉱は、操業を再開し、明治42年(1909)には7尺層の海底炭に着炭、地元では盛大なお祝いが行われている。これ以来、香焼炭鉱は、大正13年(1924)に休止するまでの間、本格的な採炭が行われた。… 

以上が海岸試錐の記述である。同郷土誌の鉱工業180頁には、昭和42年岩本武重氏作成の「香焼炭鉱の最盛期(T.5前後)の主要施設概説図」があり、現地の安保海岸へ行ってみた。発電所跡の赤レンガ造の痕跡は、もはや確認できない。
現在、伊王島大橋の架橋に伴い、開通している「香焼トンネル」の安保側から海岸を「高石」と呼ばれる岩場まで歩いた。試錐跡は、第3次の跡だけでなく、概説図の位置に第1・第2次の跡も流失していることなく、現存しているのが確認できた。

第1次試錐の跡は、海岸道路の終点すぐ手前の石垣の下に半分は埋れていた。第2次の跡は、それから海岸伝いに100mほど歩いた所。第3次の跡は、またそれから100mほど歩き、郷土誌どおり「高石」と思われる岩場手前の所にあった。ここまで来ると、栗ノ浦の対岸の岬が見えてくる。途中の海岸には炭層が露出していると思われる所もあった。
試錐の跡の形状は、縦90cm、横70cm、高さ1m位。土台は+5cmとしたコンクリートの四角い固まり。ボーリングの鉄管穴が中心にある。荒波により破損の状況や高さはそれぞれ違うが、3つとも造りは同じだったから、試錐の跡に間違いないと思われる。写真は各4枚ずつとした。
前の海にかつての横島炭鉱と高島炭鉱の島が近くに浮かぶ。炭鉱の歴史を学ぶことができた。

最後の写真は、3月24日に再調査。第2次試錐と第3次試錐の跡の中間に水場であろう赤煉瓦造が残っていた。後は、恵理から栗ノ浦への山道に塞がれて残る試掘の跡「狸穴」である。

香   焼 (8) その他史跡・碑  長崎市香焼町

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香   焼 (8) その他史跡・碑  長崎市香焼町

「香焼」(こうやぎ)は、長崎港口のかつて島であった町。長崎市の南部に位置し、市街地から車で約30分である。香焼山円福寺は別項。
長崎さるくマップブック「香焼界隈」74頁による説明は次のとおり。

平成17年1月、長崎市と合併。香焼はもともと香焼島、陰ノ尾島の2つの島からなり、徳川時代は佐賀藩深堀領の所領でした。廃藩置県後は長崎県深堀村に属しましたが、明治31年(1898)に分村。その後100年という長い年月は香焼町として石炭業、造船業と共に歴史を築いてきました。
昭和46年に完成した臨海工業用埋立で長崎半島と陸続きになり、旧造船所施設を三菱重工業(株)が取得し、世界的規模の造船機械産業の立地となりました。
香焼という地名は、弘法大師の焼香伝説に由来しています。

(8)は、その他史跡・碑
写真  1〜 2  長浜御番所の井戸  (三菱香焼工場正門左側の消防分団裏)
写真  3〜 4  香焼山円福寺の石門  (地域福祉センターひまわり裏の参道入口)
写真  5〜 8  香焼小学校明治26年当時の石垣、門柱 (円福寺参道途中の右側駐車場)
写真  9〜11  蔭ノ尾大橋架橋記念碑 (岩立神社第1児童公園の長崎市合併記念碑横)
写真 12〜13  深堀村からの分村紀念碑  (岩立神社神殿の右上)
写真 14〜17  遠見番所の跡  (円福寺上方の遠見岳山頂、豊前坊社先から登る)
写真 18〜20  深堀・香焼埋立地の市町境界柱 (埋立地大通り中間の信号手前左歩道)