千々・藤田尾・為石間の古道 一部山道が残る
明治34年国土地理院旧版地図から千々・藤田尾・為石間を掲げてみる。長崎半島東回り「みさき道」の参考にしたく、当時の古道を調べている。この間も現在は県道34号線となり、整備や拡幅が特になされ、干藤トンネルもできて大きくルートが変わった。
新旧の対比図を掲げるべきだが、旧地図と現在残る山道(旧地図にその区間だけ黄線とした)の入口・出口などの写真だけ紹介したい。手持ちの現行地形図を広げ、どう変っているか、それぞれで考えてほしい。
この間はバスも通わず、戦後も長らく集落を結び、学校への通学路として利用された。最短の距離となり、まだ寺岳の山歩きや津々谷の滝行き帰りに利用できる山道が、ほどよく残っている。