月別アーカイブ: 2008年10月

諫早市高来町に残る桁石橋

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諫早市高来町に残る桁石橋

諫早市高来町に残る桁石橋。下与の鏡円寺に美しい参道橋があり、船津の深海神社にも御神橋がある。
国道207号線により諫早市街から高来町へ向かう。JR小江駅前通りの次の角にローソンがあり、この交差点から左折して広い新しい道へ入る。
長崎本線の踏切を渡って坂を上がり、小江神社手前の分岐は右方へ行くと、寺の上に出る。右方にある門柱が寺への車道入口である。下ると「鏡円寺」の本堂前に着く。小さな桁橋も2つ見られる。

深海神社は、小江の手前。深海と富地戸バス停の間の国道高台から左道へ入る。途中に「天初院ヒゼンマユミ」の案内標識があり、天初院前まで行ってまっすぐ進むと、「深海神社」へ着く。本殿裏の駐車場側参道にも板石を渡した橋があった。
fwd−net長崎・諫早HPの中「石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて」による説明は次のとおり。

第 k-022 番   諫早市高来町の鏡円寺の参道橋     諫早市高来町上与
架橋年は不明     長さ 6.3m  幅員 1.8m  スパン 4.2m
清水山鏡円寺は竜造寺隆信の前婦人の菩提寺となっている。諫早家とは縁の深い自社の一つ。

第 k-021 番   諫早市深海神社の御神橋        諫早市高来町船津
架橋年は不明     長さ 1.5m  幅員 2.6m  スパン 0.75m
向かって右手はスパン0.5、左手がスパン0.75m。桁部分には損傷は見られない。

諫早湾干拓地のコスモス畑  諌早市高来町小江干拓

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諫早湾干拓地のコスモス畑  諌早市高来町小江干拓

諫早湾干拓地に平成14年から県内最大規模のコスモス畑ができている。10月19日(日)、佐賀の帰りに寄ったので、もう午後5時半過ぎ。写真写りが悪くなったが、花は満開だった。
諌早市高来町の小江干拓地には、2カ所のコスモス畑スポットがある。

国道207号線沿い。長崎方面から行くと高来町へ入って、富地戸バス停から入る「深海自然干拓地フラワーゾーン」は、植栽面積4.8haの200万本。少し走って高来ふれあい会館手前から入る「黒崎干拓地」は50万本。

白木峰高原は20万本、山茶花高原は5万本だから、その規模の大きさがわかるであろう。
期間中は、国道入口に案内看板があり、誘導員の指示による。昼間も混雑していたが、深海は今夜、花火大会があるため、夕方のこの時間でも人出は多くなっていた。

諫早市役所傍の川沿いのナンキンハゼ  諌早市東小路町

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諫早市役所傍の川沿いのナンキンハゼ  諌早市東小路町

諌早市東小路町、諫早市役所の東側の通りへ行く。庁舎裏手に高城小橋が架かり諫早中央交番がある。高城回廊からの水路がここに流れ、倉屋敷川の中流域となっている。
交番裏の川岸に立っているのが、3本の「ナンキンハゼの大木」である。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の街路樹による説明は次のとおり。(最新の更新記事 2008年10月13日)

私がわからないのは、近くの旭町?のナンキンハゼ。諌早市「諫早近世史」平成2年刊、特記すべき植物個体149頁によると「旭町には幹囲3.47mの個体がある。恐らく県下では有数の巨樹であろう」と記している。
仲沖町サイクリングロードの諫早の名木30選「クヌギ」が近くにあると書いてあるから、倉屋敷川から現在の旭町一帯を探しているが、ナンキンハゼの大木はもう見当たらない。地元でもあったとは聞かない。 参照 https://misakimichi.com/archives/1372

ナンキンハゼの大木

諫早市役所傍の川沿いにナンキンハゼの大木が3本ある。最大のものは、幹周り2.1m、樹高20mほど。根元には、トウネズミモチの木が繁っている。
長崎県で見るナンキンハゼとしては、これより大きなナンキンハゼを、まだ見たことがない。幹周りから推測して、戦前に植えられたものと思われる。
ナンキンハゼが街路樹として植えられたのは長崎市大浦が最初で昭和10年頃。その後、原爆で壊滅したが、お隣の諫早市に大木があった! 遠目からはクスノキに見えるので見過ごしていた・・・。

佐賀県の名木10本に指定されているナンキンハゼが佐賀市の蓮池公園にあると知り、訪れたら、平成3年の台風で倒れてしまっていた。表示板には、幹周り180cm、樹齢250年以上と記されてある。蓮池公園の川沿いには2m弱のナンキンハゼの大木が数本見られた。
諫早市のナンキンハゼは、幹周り2mほどだが、貴重。市指定にして保存してほしい。

長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ”  平成20年10月

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長崎学さるく “江戸期の「みさき道」を歩く Ⅱ”  平成20年10月

平成20年10月18日(土)実施。参加者はスタッフとも48人。「みさき道」の後半コース。
午前9時30分三和行政センター前広場集合。蚊焼峠ー永一尾ー徳道ー野母崎ゴルフ場コース管理事務所(昼食)ー延命水ー高浜ー古里ー堂山峠ー脇岬観音寺まで約15kmを歩く。午後4時着解散。

秋晴れで少し暑いくらい。「みさき道」道塚6本と郷路八幡・妙道尼信女墓・延命水など見る。街道の山道がよく残り、美しい長崎半島の景色が広がる。
観音寺は毎月18日が開帳日。国指定文化財”みさきの観音”像と天井絵を見た。

新春「みさき道」初歩きは1月2日。岬木場から殿隠山・遠見山コース。午前9時30分三和行政センター前広場集合。

山茶花の茶屋跡  諫早市小長井町遠竹

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山茶花の茶屋跡  諫早市小長井町遠竹

国道207号線の小長井交差点から左折し、県道195号線により山茶花高原ピクニックパークへ行く。パークに着くすぐ手前に山茶花溜池があり、堰堤の下の方に諫早街道の有名な「山茶花の茶屋」跡がある。

県道側の説明板のところから奥へ入って行くが、ただ1軒残っていた茶屋跡の家は数年前から廃屋となり、街道の道も荒れてきて先へは歩けない。
明治に建立された県境標の石柱を探しているが、草に覆われ所在はまだ確認できないでいる。

小長井町「小長井町郷土誌」昭和51年刊、郷土の史跡220〜222頁による説明は次のとおり。茶屋跡の古写真も同頁から。カラーはHP「長崎県の坂づくし 山茶花峠」にあり、参照。

山茶花の茶屋

笠を忘れた 山茶花の茶屋に ザーンザ ザンザ
空がくもれば思い出す
色者(いろしゃ)の粋者(すいしゃ)で 気はザンザ アラヨーイ ヨイヨイ ヨーイ ヨイヨイ
と新太郎節にあるように、山茶花の茶屋は小長井町と太良町との県境にある。この茶屋の東側丘の中腹に2m位の高さの角石が建っている。長崎県、佐賀県の県境標である。
これは明治の始め、佐賀県令の設立によるもので、高来郡の内遠竹村と南側に、藤津郡の内古里村と北側にしるしている。

ここは諫早街道の多良ごえ中、最高のところ標高350m余で、山茶花峠と呼ばれる。この西側の地名を水茶屋といい、東側を山茶花という。里人はここを茶屋とよんでいる。昔ここに旅人の休けいする茶店があって、餅とトロロ汁をふるまって人々をなぐさめたという。
この少し北方の谷間には茶屋のつつみと呼ぶ溜池がある。以前は4、5軒の家もあったというが、今は古い大きな石垣につつまれた茶屋跡が1軒残っている。茶屋の前面は2haちかくの盆地になっていて茶屋のうしろは小高い丘となり北側の方からきれいな小川が流れ休けい所としては好適な場所である。大昔の駅あとではないかという学者の説もある。

元亀2年、ポルトガル船が長崎に入港してから南蛮貿易港として長崎が栄えたが豊臣秀吉が天正15年九州征伐の折、長崎が宣教師領になっているのを見て、ポルトガル人から長崎を奪かんして公領とし宣教師を追放した。江戸時代になっても切支丹を禁止したが、寛永14年に圧政と圧迫にたえかねた宗徒たちによって、島原の乱がおこった。
その後三代将軍家光の時長崎に出島をきずいて、ポルトガル船の通商を禁じ、平戸のオランダ人をここにうつし日本の対外貿易を長崎だけにし、オランダ人と中国人に貿易を許したのが寛永18年のことである。

幕府はこの地の防衛に注意し、福岡の黒田氏と佐賀の鍋島氏と交替にその警固にあたらせた。黒田氏は長崎の行き帰りには長崎街道を通ったが、鍋島氏は専ら諫早街道を通った。鍋島氏は沢山の家来をつれてこの街道を上下した際、ここにかごをとめて休けいされた。
そのかご立場がここにあった。茶店とならんで北側に高麗しばを一ぱい植えて中央に4m四方位の、しっくいの台をつくりその上にかごをおいた。この西どなりの茶店の境内に紅白の山茶花の大木があって旅人の目をなぐさめたので、山茶花の茶屋という名がおこった。「サザンカ」の実から「カタシ」ツバキ油がとれる。
ここのトロロ汁に舌づつみをうって笠を忘れたのが前述の唄である。

昔行基は、竹崎に千手観音をきざんで安置し遠竹をとおって山茶花をすぎ多良岳へのぼって大権現を奉祀したこの茶屋には、湯江、長里、小川原浦、井崎、多良の各所から登山口がある。なお近道としては、帆柱岳のふもとをこえて浜(鹿島市)へでる近道もある。
諫早街道はこの山茶花から、糸岐へ下って多良の古賀にある上使屋、即ちお茶屋へつく。諫早領はこの太良町までで、ここまでを里人は殿様道といいまた諫早街道といった。

長里・阿蘇神社のヒゼンマユミ  諌早市小長井町大峰

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長里・阿蘇神社のヒゼンマユミ  諌早市小長井町大峰

国道207号線により諌早市小長井町に向かう。小長井の手前にJR長里駅があり、駅の先から左折して、長崎本線の踏切を渡り、国指定天然記念物「オガタマノキ」への道を行く。
しばらく進むと、開けた田の左方へ保育園と橋が見え、橋を渡り高台へ上がって行くと「阿蘇神社」へ着く。

「ヒゼンマユミの群生地」は、神社の鳥居に着く手前のカーブ地点の水場のところに説明板がある。数本が自生しているが、幹・枝とも見えにくい。神社の境内には、タブノキの古木があった。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定文化財(天然記念物)  長里・阿蘇神社のヒゼンマユミ

平成17年2月14日指定
ヒゼンマユミはニシキギ科の常緑樹で、明治39年、大村の千葉常三郎氏が諫早公園で発見、大正2年に牧野富太郎博士が原標本産地として学会に発表、『肥前で発見されたマユミ』の意味でこの名がつけられました。晩秋には黄色い実をつけ、4つに割れた実から赤い種がのぞきます。
昭和50年「諫早市の木」に選定され、平成17年3月1日の市町村合併後の諌早市においても諫早を代表する木として、再び「諫早市の木」に選定されました。
本市のヒゼンマユミ群生地としては、諌早市城山暖地性樹叢(国指定天然記念物・高城町)内・天章院のヒゼンマユミ群生地(市指定天然記念物・高来町)があります。
平成19年3月  諌早市教育委員会

小江(おえ)のケヤキ・タイサンボク  諌早市高来町下与

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小江(おえ)のケヤキ・タイサンボク  諌早市高来町下与

国道207号線により諌早市高来町まで行く。JR小江駅前通りの次の角にローソンがあり、交差点を左折して新しい道路を行く。旧道と合い、諫早消防コミュニティセンター前の広場にケヤキの大木が端正な姿で立つ。幹囲は3.5mほどである。

この道の坂を上がると長崎本線の踏切を渡り、上の分岐は左へ行くと「小江神社」に出る。境内の周りはイチョウが多いが、上段の鳥居左にタイサンボクの大木が立つ。幹囲は2.0mほどである。脇のイチョウに負けないくらい大きく高い。

山茶花高原ピクニックパーク  諌早市小長井町

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山茶花高原ピクニックパーク  諌早市小長井町

10月16日は、五家原岳中腹の白木峰高原のコスモスを見て、広域基幹林道「多良岳横断線」により、金泉寺のすぐ下を通り山茶花高原へ行った。
普通は国道207号線により、JR小長井駅先の小長井交差点から左折して、県道195号線に入る。田原溜池や聖母の騎士園を通り、「山茶花高原ピクニックパーク」へ上がって行く。

風車がある高原。コスモスは5万本。5分咲きと看板があった。遊具やハーブ園がある。
諫早観光物産コンベンション協会HP「水と歩む町 いさはや」観光情報による説明は次のとおり。
山茶花高原ピクニックパーク

標高450mの山茶花高原は365(360?)度の一大パノラマ。有明海、雲仙、熊本、佐賀平野、多良岳をぐるりと配した大自然のど真ん中、のびのび高原です。
さわやかなハーブの香りがいっぱいの庭園と遊びのステージでヘルシーな一日をエンジョイできます。長崎県の新しいアウトドアライフの新拠点です。

諫早市小長井町遠竹名2872  山茶花高原ピクニックパーク TEL.0957-34-2350
入園無料(施設・体験内容により別途料金が必要)
長崎道諫早ICよりR34で45分
営業時間 7月〜9月/9:00〜18:00 10月〜6月/10:00〜17:00
定休日  毎週火曜日 火曜日が祝日の場合、翌日が定休日となります。

白木峰高原のコスモス  諌早市白木峰町

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白木峰高原のコスモス  諌早市白木峰町

諫早市街から国道207号線により鹿島方面へ向かう。JR肥前長田駅そばに「白木峰高原入口」交差点があり右折。すぐ長崎本線を高架橋で渡り、五家原岳(標高1057.3m)の山頂まで登る県道184号線に入る。

五家原岳の中腹に「白木峰高原」はあり、上には「国立諫早少年自然の家」がある。
10月16日行ったが、まだ8分咲きか。平日でも人出は多い。駐車料300円。バイクは無料。
諫早観光物産コンベンション協会HP「水と歩む町 いさはや」観光情報による説明は次のとおり。
白木峰高原

標高1,058mの五家原岳の中腹に広がる白木峰高原は、約10,000㎡の広さに、春には 10万本の菜の花、秋には20万本のコスモスが咲き乱れます。遠目には諫早平野や雲仙岳、有明海を一望でき、その景色は格別です。
草スキー場やミニアーチェリー場、ローラースライダーなどのレジャー施設も整えられています。
諌早市白木峰町761−1  白木峰高原
美化協力金 100円
菜の花 ⋯ 3月下旬〜4月下旬  コスモス ⋯ 9月下旬〜10月下旬
長崎道諫早ICよりR34,R207経由、佐賀方面へ30分、白木峰高原入口右折10分

諫早街道の「三本松の一里塚」  諌早市長田町

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諫早街道の「三本松の一里塚」  諌早市長田町

諌早市長田町を通った諫早街道(永昌宿〜多良宿)に、昔の街道の原型を留めた一里塚があることを知り、見に行った。
場所は位置図のとおり。国道207号線のJR肥前長田駅先の長田交差点から左折。長崎本線の踏切を渡ってしばらく行き、右の細い車道に入る。これが諫早街道の道で、見晴らしのよい「大蔵神社」へ出る。

大蔵神社の先の街道は、林間を山道によってまっすぐ小川まで下る。農道は図のように上流の橋を渡って迂回する。小型車1台がやっと通れるような狭い道である。
合流した谷間からまた高台へ登りにかかり、街道が農道と分岐するところに一里塚がある。石を高く積んだ大きな塚。
脇に標柱が設置され、「諫早街道一里塚 三本松跡」と説明していた。この先は道が荒れて歩けなかった。
fwd−net長崎・諫早サイト「諫早の散歩道」による「諫早街道(永昌宿〜多良宿)」の中の説明は次のとおり。
諫早街道(永昌宿〜多良宿)

…JA県央長田支所の前を過ぎると、間もなく旧長田小前に出ます。その道前左手に土橋貞恵翁の生家跡があります。この道をまっすぐ上り詰めた所に大歳神社があります。ここからの眺望はすばらしく籠立て場になっていました。

大歳神社から、下って田圃沿いに歩いていくと、ちょっと上り坂になってきて、農道から分かれます。別れ道のところが、「三本松の一里塚」です。ここの一里塚は、よく原型を留めていますが、随分現在の道から外れているからでしょうか?

一里塚から先は、古道を傷めずに、きれいに整備して頂いています(感謝)。気持ちの良い道を抜けて、正久寺の集落です。…