月別アーカイブ: 2008年10月

長崎諏訪神社・長崎公園の石造橋と石門  長崎市上西山町

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長崎諏訪神社・長崎公園の石造橋と石門  長崎市上西山町

諏訪神社は鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様。諏訪・森崎・住吉の三社を祀る。長崎くんちの舞台。隣に長崎公園がある。
石造橋や石門を見に行く。小さな桁橋しかない。最初のは日本銀行長崎支店の通用口。石門の葵紋とおり、東照宮はこの上の長崎県神社庁のところにあった。
風景・史跡の項も参照。

長崎諏訪神社・長崎公園 (1)  長崎市上西山町

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長崎諏訪神社・長崎公園 (1)  長崎市上西山町

諏訪神社は鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様。諏訪・森崎・住吉の三社を祀る。長崎くんちの舞台。隣に長崎公園がある。石造物を主に見に行く。
石造橋、石門、噴水池は、石橋の項を参照。

(1)は、肥前鳥居、陰陽石の敷石、山本健吉文学碑、珍しい狛犬など。
(2)は、常夜灯、まよひ子志らせ石、太鼓楼、ピェール・ロチ碑など。

長崎出身の山本健吉文学碑「母郷行」(ぼきょうこう 詩碑)は、踊り場のすぐ左下、祓戸神社のところにある。裏面に井上靖の顕彰文。立ち狛犬・逆立ち狛犬もここ。
文学碑はタッちゃんブログを参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/turbobf1516/34987618.html

母 郷 行

長崎の町を行く、雨が洗った石畳の坂道 西日のさす白壁の土蔵の前、物の匂ひのこめる市なかに、ふと少年のままたたずむ私を見る。遠い記憶の故里のかけらの中に少年はいる。
私が町を憶えてゐてくれる。それが身を何か大きなものの手に、すっぽりと委ねてゐる。寛く深い母の懐にあるような。
その時遠く潮騒やよに聞えてくる、子守歌は、うぶすな祭の笛の音、秋空に韻く太鼓の音
一九八八年(昭和六三)建立

田原の六地蔵石幢  諌早市小長井町田原

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田原の六地蔵石幢  諌早市小長井町田原

国道207号線により諫早市役所小長井支所手前の小長井交差点まで行く。ここから左折し山茶花高原へ向けて県道195号線を上って行くと、大きな田原溜池に出る。
池沿いの集落中ほどに田原口バス停があり、隣りに「田原の六地蔵石幢」がある。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定文化財(有形民俗文化財)  田原の六地蔵石幢
昭和54年9月26日指定

地蔵菩薩は、釈迦入滅後、弥勒仏が出世するまでの無仏期に、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の衆生を救済する菩薩とされ、末法思想の流布とともに広く信仰されるようになりました。六道に赴く地蔵の姿が六つに変化していることから「六地蔵」と呼ばれています。
六地蔵が造られた時期は、本市では天文期(1532〜54年)のものが多く、小野の六地蔵石幢群(小野町・赤崎町、県指定)、天祐寺の六地蔵石幢(西小路町、市指定)、関の辻の六地蔵石幢(下大渡町、市指定)などがあります。
田原の六地蔵は、笠頂部の宝珠部分が欠損していますが、ほぼ完形です。正面には、月輪の中に「阿弥陀如来」を示す梵字と、左記の銘が刻まれています。
逆修   □□   天文十七年戌申   十月十三日
平成20年3月  諌早市教育委員会

藤津郡太良町に残る桁石橋

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藤津郡太良町に残る桁石橋

藤津郡太良町に残る桁石橋。大字太良の諫早街道太良道沿い、「開の庄屋屋敷」(田中宅)周りの水路に4橋がある。
国道207号線により太良町に向かう。町の中心を過ぎ多良川の橋を渡ると、国道左に「大魚神社」があり、左折してこの道をまっすぐ進む。
円教寺横を通り長崎本線のガード下をくぐると、田んぼの中の道となりすぐ右手に大きな屋敷が見える。ここが「開の庄屋屋敷」である。多良連峰がよく望める。

未舗装のこの道が今の正門か。屋敷入口の橋はコンクリートになっているが、下を覗くと桁橋であった。
裏木戸門に立派な石橋があるので、車道を少し戻り右の住宅地の方から回りこんで見に行く。屋敷が安政3年(1856)の建築だそうだから、その頃の古い橋である。

親柱が菱型に造っていて珍しい。周辺の水路に2つの板石橋を渡している。
屋敷に入らず、右手の坂段道を行くと稲荷神社があった。
fwd−net長崎・諫早HP「石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて」による説明は次のおり。

第 k-043 番   開の庄屋屋敷の石橋       佐賀県藤津郡太良町開
架橋年は未確認だが、後日、宮崎のニエモンさんの確認に寄れば、屋敷が安政3年(1856)の建築だそうだから、その頃か?   長さ 4.3m  幅員 1.8m  スパン m
周辺に二基の石桁橋、諫早街道太良道の脇に架かる。

諫早街道の矢筈峠から太良宿に下るときに、本来なら、この庄屋(田中邸)屋敷の庭先を通らなければいけないのだが、個人の敷地に入る訳にはいかないので今まで迂回していて、この橋の存在に気がつかなかった。
今回、諫早から入ってきて、庄屋さんの玄関?前に立派な水場と石橋に気がついた。水場周辺には使い勝手のためか二基の桁橋も架かっている。

丸尾古墳  諌早市小長井町牧

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丸尾古墳  諌早市小長井町牧

国道207号線により諌早市小長井町まで行く。長里の道路公園を過ぎしばらく行くと、入江に帆崎橋が架かる。
橋のたもと、小深井バス停に古墳の案内標識があり、左上の金刀比羅神社へ石段を登って、神社先の小道を少し行くと、畑地の中に「丸尾古墳」がある。

ここはどうも急傾斜面の方に、古墳内部への入口があったようだ。崖崩れで入口が損壊し、現在は工事中。ブルーシートにより覆われ、何も見学できなかった。
入江の対岸、有明海に面した帆崎の先端部には、前項の「長戸鬼塚古墳」がある。
現地説明板は次のとおり。丸尾古墳にも線刻画があるらしい。

文化財名  丸尾古墳

小深井港の東側、帆崎の丘陵に位置するここ丸尾山に、鬼のすんだという岩屋がある。しかし、これは昔の豪族の古墳であって円墳だと言われている。
円墳の高さは、前の室が横1.7m、高さ1m余。奥の室が横2.3m、高さ2.5m、奥行が3.3mで四壁や天上は、幅の広い巨石を積み重ねてある。
千数百年の間に石室の中のものは、運び去られたとみえ、空洞で鬼の岩屋のように見える。
諌早市教育委員会  諌早市文化財保護委員会

長戸鬼塚古墳  諌早市小長井町小川原浦

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長戸鬼塚古墳  諌早市小長井町小川原浦

国道207号線により諌早市小長井町まで行く。小長井の町へ出る前が長戸である。小深井の入江に架かる帆崎橋から高台へ登った国道右方へ案内標識がある。右折してこの道へ入り、戻るように丘陵の先端部、帆崎へと行く。

墓地の先に円墳が見え、ここが「長戸鬼塚古墳」である。有明海や雲仙が良く望める。古墳の中はつっかいをしていて、内部を見学できる。
玄室と羨道に、鯨・船などの線刻画と線刻文が刻まれているらしいが、懐中電灯を持参しても、今は確認がむずかしいようだ。
入江の対岸、帆崎橋脇の金刀比羅神社上にも丸尾古墳(別項)があるが、損壊して工事中。
現地説明板は次のとおり。 
長戸鬼塚古墳 (史跡)
昭和63年3月1日指定  諌早市教育委員会

有明海に面した標高約10mの丘陵先端部に造られている。墳丘は、高さ約5m、直径約15mの円墳である。
石室は典型的な複室構造(玄室・前室・羨道)をもつ横穴式石室で、巨石を積み上げ、持ち送るという築造工法をとっている。全長9.6m。
貴重な線刻壁画古墳で、築造年代は、7世紀後半と考えられる。本古墳には、玄室(棺を安置する部屋)と羨道に鯨・船などの線刻画の他に格子文・鋸歯文などの線刻文が刻まれている。
県内の、線刻古墳は、本古墳の他に、丸尾古墳(本町牧名)、善神さん古墳(高来町)など、7例が知られているだけである。
隣接する墓地からは、開墾の際箱式石棺が7〜10基発見され、中から人骨、鉄刀等が出土したと伝えられる。
本町には本古墳の他に大峰古墳(大峰名)、城山古墳(井崎名)があり、同様なものは有明海沿岸に広く分布している。

水ノ浦のスクイ漁場  諌早市高来町水ノ浦

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水ノ浦のスクイ漁場  諌早市高来町水ノ浦

国道207号線により諌早市高来町まで行く。湯江を過ぎて長里への高台へ上がる国道右方に案内標識があり、右折して海岸へ行くと「水ノ浦のスクイ漁場」がある。
諫早湾干拓の水門が近くに見えるところ。行きは満潮だったが、帰りには潮が引いていて、干潟の先に石で築いた遊水地が見えた。
防波堤の少し先にあり、長靴を用意してないと、干潟の遊水地には歩いていけない。
現地説明板は次のとおり。

水ノ浦のスクイ漁場  (昭和62年市指定文化財)

すくい漁は、有明海の特質である干満の差の激しさを利用して魚を捕るという干潟地域特有の最も原始的で大掛かりであり、歴史の古いと思われる漁法である。満潮と共にすくいに入った魚が引潮に従いオログチ近くの遊水地に集まるようにして捕獲するものである。
「すくい」は有明海沿岸一帯・肥後・筑後・島原半島沿岸一帯には、江戸時代から明治の中頃まで200箇所以上見られたが次第に荒廃し姿を消していった。
県内唯一、往時の姿を留めるこの水ノ浦の「すくい」は健在である。
平成17年3月1日             諌早市教育委員会 高来文化協会

深海神社のスタジイ  諌早市高来町船津

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深海神社のスタジイ  諌早市高来町船津

国道207号線により諫早市街から高来町へ向かう。深海神社は、小江の手前。深海と富地戸バス停の間の国道高台から左道へ入る。
途中に「天初院ヒゼンマユミ」の案内標識があり、旧諫早街道の道が横切る。天初院まで行って前をまっすぐ進むと、「深海神社」へ着く。

奥の本殿広場左にスタジイの老木があった。幹囲は5mほどの大木だが、地上7mくらいで本幹は折れ、根元は空洞がひどい。かろうじて小さい支幹が葉をつけていた。
深海神社の右隣は深海保育園。学校跡でイチョウの大木がある。車道を曲がって下るとゲートボール場が隅にある大広場があり、クスノキの大木が2本立っていた。

すだらの森「おたちね観音」の標石  諌早市高来町小峰

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すだらの森「おたちね観音」の標石  諌早市高来町小峰

国道207号線によりJR肥前長田駅近く長田交差点まで行く。白木峰高原への案内標識があり、右折して五家原岳の中腹まで登る。
白木峰高原、国立諫早少年自然の家を過ぎると、広域基幹林道「多良岳横断線」と交差するので、右折して基幹林道へ入る。

五家原岳中腹を巻きながら約15分ほど行く。広い駐車場と橋があり、この上一帯が多良岳「修多羅(すだら)の森」で、案内板がある。仰ぎ見ると五家原岳のアンテナ塔が見える。小江川の上流となる。
橋を渡った先に、基幹林道からすだらの森や水神池へ上がる分岐があり、東屋と小駐車場がある。大モミが、この林道入口の右手斜面にすぐ見える。

水神池への中ほどのカーブのところに、「おたちね観音」まで上がる林道があり、右へ行くと林道終点に「おたちね観音」が立つ。案内板拡大図とおりの場所である。
ここの観音標石は珍しい。2体は道標として立っている。「右小江村」「左太良嶽」など刻み、建立者名もあり、明治時代の標石と思われる。
「左太良嶽」とは、中岳と多良岳の縦走路鞍部に出る道。ここから多良岳山頂が望める。

この標石は以前、先輩松林氏から聞き、2007年8月にすでに「五家原岳石楠花尾根の地蔵標石」により記事にした。その時は刻面をよく写してなかった。
大モミを今回写しに行き、改めて「おたちね観音」の標石も、刻面を撮ってきた。
なお、最初の写真は、国立諫早少年自然の家上の広域基幹林道「多良岳横断線」交差点に立つ標石。 これも「右たらみち」と刻む。

すだらの森のモミ  諫早市高来町小峰

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すだらの森のモミ  諫早市高来町小峰

国道207号線によりJR肥前長田駅近く長田交差点まで行く。白木峰高原への案内標識があり、右折して五家原岳の中腹まで登る。
白木峰高原、国立諫早少年自然の家を過ぎると、広域基幹林道「多良岳横断線」と交差するので、右折して基幹林道へ入る。

五家原岳中腹を巻きながら約15分ほど行くと、広い駐車場と橋があり、この上一帯が多良岳「修多羅(すだら)の森」で案内板がある。仰ぎ見ると五家原岳のアンテナ塔が見える。小江川の上流となる。
橋を渡った先に、基幹林道からすだらの森や水神池へ上がる分岐があり、東屋と小駐車場がある。大モミの木は、この林道入口の右手斜面にすぐ見える。

多良岳「修多羅(すだら)の森」の案内板には、拡大したとおり「一本杉」とあるが、「モミ」の間違いであろう。幹囲は、測ると4.7mあった。
水神池までの中ほどで、「おたちねの観音」(標石で別項)まで上がる林道が分岐し、この道を行くとモミ原生林となっていた。

鳥居以下が、水神池の様子と駐車場側に立つこれも大モミ。池の上谷間は、時期にはオオキツネノカミソリの群生地が見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中「多良山系・中岳(1000m) すだらの森」による説明は次のとおり。
すだらの森の大モミ

基幹林道から水神池に向かう入口に東屋と駐車場がある。 モミの巨木が東屋の近くにある。幹周り5mほどの巨木。すだらの森には幹周り4〜5mのモミの巨木が多く見られる。