月別アーカイブ: 2008年7月

高仏のタブノキ  南松浦郡新上五島町荒川郷

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高仏のタブノキ  南松浦郡新上五島町荒川郷

奈良尾港から県道384号線により青方へ向かう。新上五島町荒川郷高仏は、青方までの中間くらいで、中ノ浦教会の先である。以前の上五島町今里郷との町境近くに小島鉄工所が海岸側にあり、県道の対面の一角にこのタブノキが立つ。
山王山の麓で、中ノ浦湾に「小島」という島がちょうどあるところ。

7本ほど幹が根元から出て、全体の幹囲はおよそ6m近くある。かなりの大木である。
左の方には小川が流れ、川脇の段々状に整理した土地に自然石の墓石らしいものを並べ直している。
何か由緒ある土地か鉄工所の主に聞いた。このあたりに多く残る「平家塚」というのが、現在の県道のところにあった。県道をまっすぐ通すため塚の墓石は移し、タブノキは残ったということであった。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の街路樹による説明は次のとおり。

大 タ ブ

国道384号線沿の荒川郷高仏にある。幹周りは正確でないが、およそ6.5m。7本に分かれている。町指定に値するほどのタブ。指定して保存してほしいものだ。

大曾教会  南松浦郡新上五島町青方郷

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大曾教会  南松浦郡新上五島町青方郷

九州商船長崎・五島フェリーなどで、五島中通島の「新奈良尾港」に上陸する。県道384号線により青方の中心へ行く。
大曾教会は、青方港北側入口の防波堤近くとなるので、西肥バス青方バスセンター前から左折し、漁協など通って海岸沿いの道を行く。
新上五島町HP「新上五島町」観光案内による説明は次のとおり。

大曾教会

大正5年、青方湾を見おろす木々に囲まれた丘の上に、建てられた赤レンガの教会。重厚な十字架をのせたドーム型の珠鐘楼、半円アーチの窓、花柄に組ませたステンドガラスなど大正ロマネスク様式の代表作にあげられます。大きく手を広げたキリスト像が信者たちを優しく迎えます。

青方のウバメガシ  南松浦郡新上五島町青方郷

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青方のウバメガシ  南松浦郡新上五島町青方郷

九州商船長崎・五島フェリーなどで、五島中通島の「新奈良尾港」に上陸する。県道384号線により青方の中心へ行く。
ウメバガシは青方港北側入口の防波堤がある付け根で、大曾教会下の道路の海岸部にある。西肥バス青方バスセンター前から左折し、漁協など通って海岸沿いの道を行き止りまでつめる。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び新上五島町HP「新上五島町」観光案内による説明は次のとおり。
五島青方のウメバガシ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和53年8月22日 所在地 南松浦郡上五島町青方郷 所有者 生田初室
青方は慶長以来、紀州漁民が移住したという。移住に際し、青方港の入口に漁業の神、恵比須を祭り、そのうしろに紀州からこのカシを移植したのが、指定のもので、土地ではこれを紀州樫と称している。
このカシは目通り幹囲2.50m、地上3mのところから多くの枝を出し、樹冠は球状。珍しいウメバガシの巨樹であるだけではなく、五島の漁業史の一端を物語るものとして貴重である。

五島青方のウバメガシ (県指定天然記念物)

ウバメガシはブナ科に属し、カシの一種で中国大陸と南日本の沿岸に分布していますが、五島には自生しません。
ウバメガシは漁網の染料や漁船の一部に利用するなど漁業との関係が深く、三百数十年前、紀州の漁民が青方に移住する際、紀州から移植したものと伝えられ、地元では紀州ガシの名で親しまれています。
ウバメガシの巨樹として珍しいだけではなく、この地方の漁業史の一端を物語る貴重な資料として、昭和53年8月22日、長崎県指定天然記念物に指定されました。

玉之浦のアコウ  五島市玉之浦町玉之浦

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玉之浦のアコウ  五島市玉之浦町玉之浦

福江市街から玉之浦町大宝へ行き、玉之浦湾左岸沿いの県道50号線により五島市玉之浦支所と玉之浦港のある町の中心へ入る。アコウのある大山祗神社はまだ先で、島山島とを結ぶ「玉之浦大橋」入口を過ぎた小浦海水浴場のところである。
社殿左横の谷間にサクラの大木もあった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

五島玉之浦のアコウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和25年5月13日 所在地 南松浦郡玉之浦町玉之浦郷
管理責任者 玉之浦町
このアコウは玉之浦町役場に近い大山祗神社の境内にある。主幹は回り10.30mほどで、この主幹の地上3.30mのところから回り6mもある支柱根が地中におりている。そして、その主幹と支柱根の間を参道が通っている。
ところがこの支柱根のほかにもこれに次ぐ支柱根が5本もあるから、この巨樹の格好はまことに怪奇にして複雑で、この樹形の不思議さは驚嘆するばかりである。

大瀬崎断崖(大瀬崎灯台)  五島市玉之浦町玉之浦

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大瀬崎断崖(大瀬崎灯台)  五島市玉之浦町玉之浦

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝からは井持浦教会・玉之浦への県道50号線に入り玉之湾の左岸沿いに進む。井持浦教会を過ぎ、玉之浦港がある町の中心へ出る手前に大瀬崎の展望台と灯台へ行く登山道路入口があり、これからかなり上ることとなる。
市指定天然記念物「大瀬崎粗粒玄武岩の平行岩脈群」は、この海岸であろう。 
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

必見の名所・大瀬崎灯台  ○福江から車70分

高さ100m〜160mの海蝕断崖が延々20kmも続く雄大な景観は絶品。その中心部に位置するのが大瀬崎灯台。明治12年に建設されたが、昭和46年に老朽化のため現在の灯台に建て替えられた。台場は海面から82mの高さにあり、長年、海の男たちを見守り続けている。
近くの展望台から一帯の断崖群を鑑賞すると、潮の流れや日光の具合によって海の表情が刻々と変わり、一日眺めていても飽きない。目を反対側に転じると、写し絵と詠われた玉之浦湾が眼下に広がり、柔と剛の景観を満喫できる。

井持浦教会  五島市玉之浦町井持浦

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井持浦教会  五島市玉之浦町井持浦

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝からは井持浦教会・玉之浦への県道50号線に入り玉之湾の左岸沿いに進む。丘を越したところで「井持浦教会」が見え、集落へ下りると教会は県道左手にある。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

井持浦教会  ○市街より車60分

明治32年(1899)に日本で初めて作られた「ルルドの洞窟」があり、信仰の聖地として全国から巡礼団が訪れる。ルルドとは南フランスの町の名。1858年、その地の洞窟で聖母マリアが少女ベルナデッタの前に現れるとともに、洞窟前に湧き出た霊泉で難病が治るなどの奇跡が起きたといわれる。その後世界各地でこの洞窟を模倣しマリア像を収めたルルドが造られるようになった。井持浦のルルドは五島各地の信徒が石を持ち寄って造り、本場ルルドの奇跡の泉から取り寄せた霊水が、洞窟脇の泉に注がれた。

白鳥神社社叢  五島市玉之浦町玉之浦

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白鳥神社社叢  五島市玉之浦町玉之浦

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

白鳥神社は玉之浦町玉之浦にあるので、大宝からは井持浦教会・玉之浦への県道50号線に入り玉之湾の左岸沿いに進む。
丘を越して井持浦教会が見える下りにかかるところで、右折する道に入り、林内の車道を海岸まで下って行くと白鳥神社へ着く。境内には、大ソテツも根を張っていた。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

白鳥神社社叢  県指定天然記念物

指定年月日 昭和52年1月11日 所在地 南松浦郡玉之浦町玉之浦郷1630
所有者 白鳥神社  
この社叢は、福江島の南西端、玉之浦湾に面する丘陵斜面にある。主木はスタジイ・タブノキ・カゴノキ・イスノキ・クスノキ・ヂクチノキで、樹高20m、幹径70cmに達するものもある。林内には、ヤブツバキ・タイミンタチバナ・ナギ・ヒメユズリハ・モクタチバナ・ヤマモガシ・シロダモ・モクレイシ・ヤツデなどの常緑樹が数多く成育し、林下にはカツモウイノデ・アオノクマタケラン・フキトウカズラ・ビナンカズラ・サカキカズラ・イタビカズラ・トキワカモメヅル・キジョランなどが密生する。
長崎県下では、この地は男女群島についで温暖なところで、その風土をよく代表するのがこの社叢である。

大宝寺  五島市玉之浦町大宝

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大宝寺  五島市玉之浦町大宝

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝寺は集落の海岸部にあり、「西の高野山」といわれ、遣唐使渡航時代の空海ゆかりの古刹。寺は改築されていたが、古い梵鐘は県指定有形文化財である。
境内で長崎市鍛冶屋町清水寺にあるのと、まったく同じの「奇縁氷人石」を見た。
次を参照。  https://misakimichi.com/archives/277
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。写真は上のが県指定、下のは新しい梵鐘。

大宝寺の梵鐘(一口)  県指定有形文化財・工芸品

指定年月日 昭和39年3月16日 所在地 南松浦郡玉之浦町大宝郷633 所有者 大宝寺
鐘身をつつむ輪郭は肩からやや張りのある曲線の裾広がりになり、下方で垂直にくだって均整のとれた姿をみせる総高1mほどの鐘である。上帯は素文、乳区には円錐形の笠をつけた乳が4段4列に配されている。そして、撞座は八葉蓮弁で、竜頭の長軸方向へ配置されていて下帯も文様がない。
池の間と縦帯に銘文が陰刻されていて、「大日本国関西路利肥前州 五嶋珠浦弥勅山大宝寺」にはじまり、最後に「応安八年歳次乙卯二月十八日友瓚書之 大工豊前小蔵 藤原顕宗 十方檀那 院主 賢仙」とあり、豊前小倉の鋳造師藤原顕宗が作者であることが知られる。なお縦帯には「大願主幡州多賀郡西林寺住増信」ともあり、かかわりの人々の海の道を介してのつながりがしのばれる。

西の高野山・大宝寺  ▽福江から車45分
空海ゆかりの古刹
大宝寺は約1300年前の大宝元年に創建された。弘法大師が遣唐使と共に帰朝の途中、ここに立ち寄って真言宗最初の道場として布教した由緒ある古刹。西の高野山と云われている。大宝寺の梵鐘の鐘銘には播磨国多賀郡西林寺の僧が渡唐に際して、航海安全を祈願して大宝寺に寄進したと記されている。
鋳造した工匠は芦屋釜冶金工の流れをくんだ豊前小倉の藤原顕宗で応安8年(1375)の作。鋼製で、総高95・5cm、口径56cmある。貴重な工芸資料であり、日本と大陸との航海路の歴史の上からも重要な資料と評価され、県の文化財に指定されている。

山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

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山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。

この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、まず富江溶岩トンネル「井坑」の駐車広場があり、山崎の石塁(勘次が城)は、井坑からまだ2km先の海岸部となる。 
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江町・山崎の石塁  県指定天然記念物

指定年月日 昭和45年1月16日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 所有者 山本義夫
富江町南部の低い溶岩台地上の海岸部に構築された砦状の遺構。人頭大の火山礫によって構築され、複雑な平面構造をもち、蛸壺状の構築物を配している。狂人の大工、勘次が構築したともいわれ、「勘次が城」の称もある。
倭寇の根拠地であったという口碑もあるが明確ではない。明銭の出土例があり、後者の説をとる研究者もある。所在地「山崎郷」は松浦党の田尾氏の所領であり、田尾氏との関係ある構築物である可能性がある。

謎の石塁・勘次ケ城  ○福江から車30分

富江町山崎の海岸沿いにあり、町が園地化をすすめている。さんさんキャンプ村から約4Kmのサイクリング道路があり、同村でキャンプを張る方には、おすすめのコース。
勘次ケ城は富江町南部の低い溶岩台地の海岸に築された砦状の遺構。火山礫によつて構築かれた複雑な断面構造を持ち、たこ壷状の構築物を配している。
1850年前後に狂人大工勘次が、河童と共に築いたとの伝説によりその名があるが、明銭の出土例もあり倭寇の根拠地であったという口碑もある。所在地の山崎郷は、松浦党の田尾氏の所領であり、その砦ではないかともいわれ、定説はない。

富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  五島市富江町岳

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富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  五島市富江町岳

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。
只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。富江溶岩トンネル「井坑」は、この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、道路右脇に案内板と駐車広場がある。

井坑は現在、落石の危険があるため、周りはフェンスを張って立入禁止となっているので入口のみ写した。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江溶岩トンネル「井坑」(いあな)  県指定天然記念物

指定年月日 昭和32年3月8日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 管理責任者 富江町
富江半島は、天保海岸や番所山の基盤岩の丘陵を除いて、標高40m以下の起伏に乏しい溶岩台地となっている。台地の上の只狩山(84m)は小さな噴石丘で、火山弾を含む岩滓層で構成され、火口は南に向けて開口する。この富江溶岩台地にはいくつかの溶岩トンネルがあり、最も大きい井坑が指定を受けている。
井坑の入口は大きく開き、幅6.5m、高さは3.5mある。井坑の入口附近の地表は約40m間が陥没して、トンネルの天井が崩落しているが、その先は再び全長85mの通り抜けの可能なトンネルに連続する。トンネルはゆるやかに屈曲しながらほぼ南に向けて徐々に下がるが、延長およそ400m地点で天井まで満水状態となり、先が不明となる。先端にたまる水には海水が混じる。
溶岩トンネル・井穴  ○福江港から車約30分

表面の溶岩が冷え、内部の溶岩が流れ去った後にできたトンネル。「岩の穴」がイワンアナとなまり、更にイアナに転訛したと思われる。富江熔岩台地(只狩山84m)には、いくつかの井穴が確認されているが、最大のものが県の文化財に指定された。入口は幅6.5m、高さ3.5mのアーチ状になっている。
延長約400m地点で水没し、先は不明。洞穴内の水は淡水に近い海水で、海の干満の水位と時間差があることから、奥は海とつながっていると考えられる。洞穴内には、学術的にも珍しい盲目魚「ドウクツミミズハゼ」が生息している。体長6cm内外で、鱗はなく、魚体は白色ですき透っている。眼は全く退化し皮下に埋設してケシ粒くらいの痕跡がある。生きたまま観察できるケースは世界的にも珍しい。
現在は落石のため進入禁止となっている。