月別アーカイブ: 2008年7月

倉岳大えびす  天草市倉岳町宮田

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倉岳大えびす  天草市倉岳町宮田

国道266号線により天草市柄本町から倉岳町へ向かう。宮田第一トンネルを出た十五社の手前から右折して宮田漁港へ出ると、先端の埋立地に「倉岳大えびす」がある。
倉岳はタイ釣りの町。日本一というこの像は台湾産大理石造。台座高が3m、えびす座高が7mある。
現地説明板は次のとおり。
倉岳大えびす  献 辞

波しずかな、不知火海を望む景勝のこの地に、「豊漁・豊作」「商売繁盛」「航海安全」さらに「タイ釣りの町」を象徴する日本一のえびす像を建立しました。
えびす様のふくよかなほほ笑みは、福を呼び、豊を呼びます。これを機にわが故郷(まち)が、またお互いの未来(あす)が明るく活気みなぎり、豊かに栄え、一層躍進することをめざします。
平成二年九月十一日                      倉岳町長 稲津俊穂

五島市・新上五島町の風景

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五島市・新上五島町の風景

平成20年6月27、28日、五島市・新上五島町へ行く。
福江入港、石田城(福江城)内、武家屋敷通り、崎山海岸、玉之浦への道、玉之浦港と教会、島山島瀬戸、浦頭教会、戸岐大橋、奈留島海岸、若松瀬戸と大橋、土井ノ浦教会と港などの風景。

寄神(よりがみ)貝塚  五島市岐宿町岐宿

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寄神(よりがみ)貝塚  五島市岐宿町岐宿

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町へに向かう。約25分で岐宿の中心へ着く。県道から五島市岐宿町支所の道に入り、岐宿小学校・岐宿郵便局前まで出ると、「巌立神社へ200m」の案内標識がある。
三叉路はまっすぐな細い路地に入り、六地蔵から左折すると巌立神社の正面鳥居前へ出る。

史跡「寄神貝塚」は、この神社の鳥居前の道をまっすぐに海岸の溶岩台地へ向けて行くと、風力発電の風車が近くに見えるあたりの草地にある。これが一番わかりやすい道。
史跡記念碑のみあり、別に何もないが、いかにも縄文・弥生人の住居跡があったと思いがするところ。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

寄神(よりがみ)貝塚  県指定史跡

指定年月日 昭和37年11月8日  所在地 南松浦郡岐宿町岐宿郷寄神ほか
管理責任者 岐宿町
岐宿町北端の低平な溶岩台地上にある貝塚で、厚い貝層の堆積をもつ。弥生前期および同中期にわたって形成され、岩礁性の貝類およそ50種、近海魚類、鹿などの陸獣骨を含んでいる。骨角器が若干出土しているが人骨の埋葬は認められない。
貝塚周辺には住居跡も認められており、長期間にわたる定住と漁労生活のあとをよくとどめている。出土土器からすれば、北部九州の文化圏内にあったことが知られるが、縄文時代の伝統である海洋依存の生活実態をとどめた地域性をよく物語っている。

巌立神社社叢  五島市岐宿町岐宿

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巌立神社社叢  五島市岐宿町岐宿

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町へに向かう。約25分で岐宿の中心へ着く。県道から五島市岐宿町支所の道に入り、岐宿小学校・岐宿郵便局前まで出ると、「巌立神社へ200m」の案内標識がある。

これからが分岐が多く標識がなく、神社がまったくわかりにくいので地図を載せた。三叉路はまっすぐな細い路地に入り、六地蔵から左折すると巌立神社の正面鳥居前へ出る。
史跡「寄神貝塚」も、鳥居前の道をまっすぐ行かないとたどりつけない。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

巌立神社社叢  県指定天然記念物

指定年月日 昭和45年6月9日 所在地 南松浦郡岐宿町岐宿郷 所有者 岐宿町
この神社は岐宿町の中心、岐宿郷の平坦地にあって、回りの大半は畑地となつている。この境内はほぼ長円形で、南北約280m、東西の幅の広いところで約140m、南にある鳥居をくぐって北に進むと130mのところに社殿があり、社叢は主に社殿の西側と背後にひろがっている。
社叢にはシイノキとオガタマノキの大木が多く、ほかにハマセンダン・エノキ・ヤマザクラなどの高木が見られ、バクチノキ・モクタチバナ・ホルトノキ・ナタオレノキのほか、草木のアオノクマタケランがある。このなかで大木はないが、モクセイ科のナタオレノキの多いのが目につく。

水ノ浦教会  五島市岐宿町岐宿

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水ノ浦教会  五島市岐宿町岐宿

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町に向かう。約25分で岐宿の中心へ着き、そのまま県道を魚津ヶ崎方面への海岸へ下って行くと、途中に水ノ浦教会が見え案内標識による道へ入る。3枚目写真は鐘の鉄塔。
五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

水ノ浦教会  福江市街より車25分

風光明媚な水ノ浦の入江を望む丘に白亜の天主堂が立つ。明治13年(1880)パリ外国宣教会ザルモン師によって創建され、その後現在の天主堂が昭和13年(1938)に完成された。木造教会堂として最大の規模を誇る。
青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさだが、この地もまた明治期における迫害の舞台となった。天主堂からさらに坂道を上った場所には、キリシタン牢跡の記念碑が立ち、殉教の悲劇を伝えている。

ドンドン渕  五島市岐宿町河務

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ドンドン渕  五島市岐宿町河務

福江港ターミナルから県道384号線により岐宿町に向かう。岐宿の中心へ着く手前に「河務」バス停あり、右折して第一、第二河務橋を渡り、戸岐・奥浦の方への県道162号線に入る。
約2km行った谷間の「宗里橋」にドンドン渕入口の案内標識があり、これから林道へ入り、600m行った先の左側支流にドンドン渕がある。

県道162号線により堂崎教会がある奥浦の方から戸岐大橋を渡っても行かれるが、まだ悪路があり時間がかかる。実際はすぐ上に滝があり、2段滝となっているようである。
五島市HP「五島ウェブ 観光案内」による説明は次のとおり。

ドンドン渕

水が勢いよく流れ落ち、岩屋にあたって太鼓を打つようなドンドンという音がするのでこの名がついたといわれています。
滝の流れが枯渇することはなく、滝壺は格好の水遊びの場となっており、夏場は家族連れで賑わいます。清涼感にあふれ、持参のソーメン流しは最高です。

堂崎教会  五島市奥浦町堂崎

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堂崎教会  五島市奥浦町堂崎

福江港ターミナルから県道162号線により奥浦や堂崎教会方面へ向かう。福江市外から約15分。県道分岐に案内標識があり、奥浦湾の北先端へ行くと堂崎教会がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。

堂崎教会  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和49年4月9日  所在地 福江市奥浦町堂崎
管理責任者 浦頭カトリック教会
西坂で処刑された26人の殉教者の1人、ヨハネ五島という五島出身の青年を記念して、日本26聖人殉教者聖堂と命名された。創立は明治12年(1879)であるが、現在の天主堂は、明治40年(1907)5月竣工。翌41年にペルー神父によって、献堂式が挙行された。
建造に当ったのは、長崎浦上天主堂建立を企画したフレノー神父ではないかと考えられている。設計施工は鉄川与助。煉瓦造、ゴシック風様式で、落着きと安定感のある、美しい外観を有し、五島内の他の同型天主堂のモデルとなっている。
内部は木造で、色ガラス窓、コーモリ天井は型の如くである。かつては全五島の布教の中枢基地であった。また、社会奉仕施設や修道院の草分けでもあり、キリシタン史上からも重要な位置を占めている由緒ある天主堂である。現在は巡回教会となっている。

堂崎教会  県指定有形文化財(昭和49年指定)  市街より車15分

明治12年(1879)、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立。キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を果たしてきた。赤レンガ造り、ゴシック様式の現在の天主堂は、明治41年(1908)に五島初の本格的洋風建造物として建てられたもの。信徒にとっては、長く厳しい弾圧時代の受難と勝利のシンボルであり、巡礼者が絶えない。
現在も月1回ミサは行われるが、その内部は資料館となっており、隠れキリシタンがマリアに見立てて礼拝したマリア観音など受難の歴史を物語る資料が展示されている。庭園にはこの教会を設立したマルマン神父と、現天主堂を建てたペルー神父、日本二十六聖人の1人であるヨハネ五島の像が、教会を見守るようにして立っている。

樫の浦のアコウ  五島市平蔵町

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樫の浦のアコウ  五島市平蔵町

福江港ターミナルから県道162号線により奥浦や堂崎天主堂方面へ向かう。約5kmほど走ると「浦頭教会」があり、ここに案内標識があり右折して樫の浦漁港まで行くと、集落の中にアコウがある。

多々良島の正面となる浜では、「観光地引網」を体験できるところである。樫の浦の岸壁先の天満神社にもアコウの大木があった。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

五島樫の浦のアコウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和27年5月13日 所在地 福江市平蔵町1570 管理責任者 福江市
アコウはクワ科の常緑高木で、中国南部から台湾・南西諸島を歴て九州・四国・本州の暖地に分布する。県内では島原半島・長崎半島・西彼杵半島の沿海暖地、五島各地、平戸島から北松浦郡の鷹島、壱岐に大木を見る。
その中でも、福江市樫の浦のアコウは上位に入る巨樹である。根まわり15mを越え、樹高10m以上、四方へ30mも枝を張る。枝はさらに分岐して錯綜し、その枝からは大小の気根が下垂する。長大なものは地面に達して支柱根となり、四方へひろがる枝を支えている。根元には水神社を祀っている。
このアコウは長崎県の最大の巨樹であるだけでなく、九州でも第一級の部類に入る。

天然記念物・アコウの大樹  ▽堂崎天主堂、福江港から車15分

アコウは、アコギまたはアコノキなどといわれるクワ科の常緑高木で、イチジクのような小果を結び、わが国では九州、四国、本州の暖地に分布する。
県の天然記念物に指定された奥浦・樫之浦のアコウは、本幹、支幹が入り乱れ、大きいものだけで約100本、そのうち気根が土中に入って、支柱根となったものが40本をこえる。
全景は非常に奇観で、樹高は10m以上、根回りは15mを超え、枝張りは東西南北にそれぞれ14・19、11・16m。県内最大の巨樹で、九州でも第一級の部類に入る。

奈良尾のアコウ  南松浦郡新上五島町奈良尾郷

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奈良尾のアコウ  南松浦郡新上五島町奈良尾郷

九州商船長崎・五島フェリーなどで、五島中通島の「新奈良尾港」に上陸する。すぐ「ならおトンネル」か「ならお大橋」を通って、新上五島町奈良尾支所などがある町の中心に出ると、アコウ通りがあり奈良尾神社へ着く。

参道を跨いで立ったアコウは大巨樹で、樹種別において日本有数の樹といわれる。昭和36年国指定天然記念物に指定され、平成2年「新・日本名木百選の木」に選ばれている。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

奈良尾のアコウ  天然記念物(国指定)

指定年月日 昭和36年4月27日  所在地 南松浦郡奈良尾町奈良尾郷田中
所有者 奈良尾神社
このアコウは、奈良尾神社の参道にそびえている巨樹で、しかも木の格好が変わっていておもしろい。すなわち、この巨樹の地上7mのところから、あたかも人が両足を大きく開いたように二大支根に分かれている。
この支根の大きさはそれぞれ6mと7mほどで、この開いた根幹の間を幅2mの参道が通っている。参詣者は二大支根の間を悠々とくぐることができる。地上7mの幹のまわりは12m、幹の高さは25m、枝張りも大きく枝葉もよく茂っていて樹勢も旺盛である。