堂崎教会 五島市奥浦町堂崎
福江港ターミナルから県道162号線により奥浦や堂崎教会方面へ向かう。福江市外から約15分。県道分岐に案内標識があり、奥浦湾の北先端へ行くと堂崎教会がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」教会一覧による説明は次のとおり。
堂崎教会 県指定有形文化財・建造物
指定年月日 昭和49年4月9日 所在地 福江市奥浦町堂崎
管理責任者 浦頭カトリック教会
西坂で処刑された26人の殉教者の1人、ヨハネ五島という五島出身の青年を記念して、日本26聖人殉教者聖堂と命名された。創立は明治12年(1879)であるが、現在の天主堂は、明治40年(1907)5月竣工。翌41年にペルー神父によって、献堂式が挙行された。
建造に当ったのは、長崎浦上天主堂建立を企画したフレノー神父ではないかと考えられている。設計施工は鉄川与助。煉瓦造、ゴシック風様式で、落着きと安定感のある、美しい外観を有し、五島内の他の同型天主堂のモデルとなっている。
内部は木造で、色ガラス窓、コーモリ天井は型の如くである。かつては全五島の布教の中枢基地であった。また、社会奉仕施設や修道院の草分けでもあり、キリシタン史上からも重要な位置を占めている由緒ある天主堂である。現在は巡回教会となっている。
堂崎教会 県指定有形文化財(昭和49年指定) 市街より車15分
明治12年(1879)、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立。キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を果たしてきた。赤レンガ造り、ゴシック様式の現在の天主堂は、明治41年(1908)に五島初の本格的洋風建造物として建てられたもの。信徒にとっては、長く厳しい弾圧時代の受難と勝利のシンボルであり、巡礼者が絶えない。
現在も月1回ミサは行われるが、その内部は資料館となっており、隠れキリシタンがマリアに見立てて礼拝したマリア観音など受難の歴史を物語る資料が展示されている。庭園にはこの教会を設立したマルマン神父と、現天主堂を建てたペルー神父、日本二十六聖人の1人であるヨハネ五島の像が、教会を見守るようにして立っている。