大宝寺  五島市玉之浦町大宝

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大宝寺  五島市玉之浦町大宝

福江港ターミナルから県道49号線と県道384号線により富江経由か、県道27号線と県道164号線により二本楠経由で玉之浦町中須に出て玉之浦町大宝まで行く。
富江経由は海岸部を通るので、急カーブが多い。後者が道が整備され、早くて楽である。

大宝寺は集落の海岸部にあり、「西の高野山」といわれ、遣唐使渡航時代の空海ゆかりの古刹。寺は改築されていたが、古い梵鐘は県指定有形文化財である。
境内で長崎市鍛冶屋町清水寺にあるのと、まったく同じの「奇縁氷人石」を見た。
次を参照。  https://misakimichi.com/archives/277
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。写真は上のが県指定、下のは新しい梵鐘。

大宝寺の梵鐘(一口)  県指定有形文化財・工芸品

指定年月日 昭和39年3月16日 所在地 南松浦郡玉之浦町大宝郷633 所有者 大宝寺
鐘身をつつむ輪郭は肩からやや張りのある曲線の裾広がりになり、下方で垂直にくだって均整のとれた姿をみせる総高1mほどの鐘である。上帯は素文、乳区には円錐形の笠をつけた乳が4段4列に配されている。そして、撞座は八葉蓮弁で、竜頭の長軸方向へ配置されていて下帯も文様がない。
池の間と縦帯に銘文が陰刻されていて、「大日本国関西路利肥前州 五嶋珠浦弥勅山大宝寺」にはじまり、最後に「応安八年歳次乙卯二月十八日友瓚書之 大工豊前小蔵 藤原顕宗 十方檀那 院主 賢仙」とあり、豊前小倉の鋳造師藤原顕宗が作者であることが知られる。なお縦帯には「大願主幡州多賀郡西林寺住増信」ともあり、かかわりの人々の海の道を介してのつながりがしのばれる。

西の高野山・大宝寺  ▽福江から車45分
空海ゆかりの古刹
大宝寺は約1300年前の大宝元年に創建された。弘法大師が遣唐使と共に帰朝の途中、ここに立ち寄って真言宗最初の道場として布教した由緒ある古刹。西の高野山と云われている。大宝寺の梵鐘の鐘銘には播磨国多賀郡西林寺の僧が渡唐に際して、航海安全を祈願して大宝寺に寄進したと記されている。
鋳造した工匠は芦屋釜冶金工の流れをくんだ豊前小倉の藤原顕宗で応安8年(1375)の作。鋼製で、総高95・5cm、口径56cmある。貴重な工芸資料であり、日本と大陸との航海路の歴史の上からも重要な資料と評価され、県の文化財に指定されている。