山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

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山崎の石塁(勘次が城)  五島市富江町岳

福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。

この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、まず富江溶岩トンネル「井坑」の駐車広場があり、山崎の石塁(勘次が城)は、井坑からまだ2km先の海岸部となる。 
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。

富江町・山崎の石塁  県指定天然記念物

指定年月日 昭和45年1月16日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 所有者 山本義夫
富江町南部の低い溶岩台地上の海岸部に構築された砦状の遺構。人頭大の火山礫によって構築され、複雑な平面構造をもち、蛸壺状の構築物を配している。狂人の大工、勘次が構築したともいわれ、「勘次が城」の称もある。
倭寇の根拠地であったという口碑もあるが明確ではない。明銭の出土例があり、後者の説をとる研究者もある。所在地「山崎郷」は松浦党の田尾氏の所領であり、田尾氏との関係ある構築物である可能性がある。

謎の石塁・勘次ケ城  ○福江から車30分

富江町山崎の海岸沿いにあり、町が園地化をすすめている。さんさんキャンプ村から約4Kmのサイクリング道路があり、同村でキャンプを張る方には、おすすめのコース。
勘次ケ城は富江町南部の低い溶岩台地の海岸に築された砦状の遺構。火山礫によつて構築かれた複雑な断面構造を持ち、たこ壷状の構築物を配している。
1850年前後に狂人大工勘次が、河童と共に築いたとの伝説によりその名があるが、明銭の出土例もあり倭寇の根拠地であったという口碑もある。所在地の山崎郷は、松浦党の田尾氏の所領であり、その砦ではないかともいわれ、定説はない。