月別アーカイブ: 2008年2月

「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

大村市三城町にある三城城跡(さんじょうじょうあと)は、JR大村駅先の裏手の小高い丘。大村純忠(すみただ)と、その子喜前(よしあき)にわたる2代の居城。慶長4年(1599)、喜前が玖島城を築いて移るまでの城跡である。現在、本丸跡には県下6万余の第二次世界大戦戦没者を祭る忠霊塔がある。(大村市HP)

三城城跡の大木を見に行った帰り、下りの道で道脇に立てかけられた標石を見つけた。ここは今、道路工事中で折れた石は上部のみ。「陸軍用…」とあった。付近をよく探すと、道の両脇に数本があった。ほとんどは「陸軍用地」と刻まれていた。
築城前墓碑跡の下の石には「陸軍所轄地」とあった。丁寧にも下の道路からの歩道石段には、上下左右の4本が立っていた。

大村市は、大戦中は軍都。今も自衛隊の部隊がいる。三城城跡の場所がどう利用されていたかわからないが、ここに忠霊塔が建てられているのは、軍の要衝の施設があったためではないか。
長崎市浜平1丁目の中央タクシー本社横、「浜平中央ビル」の下角にあった原爆の熱線を浴びたと思われる「陸軍所轄地」の黒い標石は、先項で紹介している。
大村へ出向き、たまたまここで見つけたこの標石も、その関連から記録しておきたい。

三彩の里の藤が絡みついたクスノキ  大村市原町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

三彩の里の藤が絡みついたクスノキ  大村市原町

長与三彩の陶郷「三彩の里」は、大村湾の展望がよい琴平岳スカイパーク登り口の高台にある。Yahoo!ブログ「大村さくら(さん)の日記」の地域2006.5.10の記事に次がある。

藤の花、大木に絡みついています

藤の花が、大きな楠に絡みながら咲いていました。もう可なり花は過ぎ掛けていますが、まだ綺麗でした。陶器教室の有る、三彩の里の庭です。
5月の陶器祭りに行ったときに写しました。3日から7日まで開催された時のものです。可なりの藤ですので、花の房が長くて綺麗でした

写真は、http://blogs.yahoo.co.jp/harukou5973/34048291.html を参照。クスノキの濃い緑葉の間に、藤の花が無数垂れ下がり、クスノキは美しい大木となっている。
山ではよくあることだが、近くを通りかかったので、三彩の里へ寄ってみた。藤棚のフジの幹のつるは写真のとおり、横のクスノキに絡みついていた。

他のブログによると、埼玉県秩父市には大ケヤキに張ったり、福岡県福智町にはクスノキとカシを宿り木とした「宿り木藤」もある。

(追 記 平成20年4月15日)
佐世保市小舟町・藤山神社にも、ものすごい絡みフジがあった。Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中にでてくる。同HPを参照。
幹周り4.6m、樹高30m。樹齢800年あまりのオガタマノキに、樹齢およそ650年の九州一といわれる 大フジが絡んでいる。
私が訪ねた記事は次を参照。藤の開花は4月下旬。まだ早かったが、藤山神社の木の写真を最後に追加した。
https://misakimichi.com/archives/775

大村のイチイガシ天然林  大村市雄ケ原町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

大村のイチイガシ天然林  大村市雄ケ原町

国指定天然記念物「大村のイチイガシ天然林」は、多良山系の裾野となる大村市雄ケ原町の狸尾堤上の山林。大村市坂口方面からハイテクパークを通り行くか、東大村から前項の山神神社前分岐から下る。
天然林は藩政時代から伐採されずに残った。「雄ケ原」(ますがはら)の名のとおり何か古い歴史があるよう。現在、道路の周辺は自衛隊演習場となっていた。 
現地説明板は次のとおり。後はOtoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明から。

天然記念物 イチイガシ天然林   指定 昭和56年1月24日 文部省

イチイガシ(ブナ科の常緑樹)は、大木になると樹皮に指紋のような模様が出るので、見分けがつきやすい。
このカシは、丘陵地の下部や谷すじのゆるやかな傾斜地など、地味豊かな区域に生える。そのような場所には古くから人が住みつき、農地を拓いたため、またその材木が建築材としてすぐれていたため、広く伐採された。ここの天然林は、全国的にみても数少ないイチイガシの残存林である。
ここには、谷すじのイチイガシ天然林のほか、尾根の上にはコジイ林が自然状態のまま残されている。それらは私たちの祖先が数千年前に見たであろう原生林のおもかげを、いまによく伝えていて貴重である。
昭和59年3月  大村市教育委員会

イチイガシ原生林 ブナ科コナラ属 常緑高木

大村市雄ヶ原町(多良山系の裾野)のイチイガシ天然林。コジイ、イスノキ、ヤマビワ、シイモチなどを見ることができる。国の天然記念物に指定され、また「大村市の木」にも指定されている。
樹皮は暗褐色。老木になると樹皮はバラバラ剥がれる。葉は革質で4〜12cmの倒披針形で上半部に鋸歯がある。葉裏は黄褐色の毛がついている。側脈は9〜15個。
4〜5月に開花。堅果(ドングリ)は秋に熟し、殻斗は椀形で総苞片が6〜7個の環をつくる。黄褐色の毛はドングリまでつき、粉をふいたように見える。
関東地方南部以西、四国、九州に生える。花序は4月下旬。果実は8月初旬。白い若葉は4月中旬。

山神神社のタブノキ  大村市東大村2丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

山神神社のタブノキ  大村市東大村2丁目

国道34号線久原交差点から右へ入る。国立長崎医療センター前を通り、レインボーロードや長崎高速道をまたぎ、五家原岳の裾野へ向けてなお走る。東大村小学校の分岐を過ぎた高台に開拓神社、中澤病院があり、さらに行くと九一庵(豆腐の製造販売)の工場がある。山神神社はこの先の茶畑の中にある。

山神神社は神社と書いたが、木の鳥居にヒノキ並木があり、奥に「山神」と刻まれた大石があるだけ。この後の大タブノキが神体として祀られていると思われる。脇に倒木の古株もあった。道路はここが分岐となっており、左へ下ると雄ケ原町イチイガシ原生林や狸尾堤へ出る。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大村市東大村の大タブ

東大村小学校先にある九一庵(豆腐の製造販売)傍の神社にある。両側は茶畑が広がっている。ヒノキで囲まれた細長い沿道を行くと奥に大タブノキがある。地上40cmほどで二つに幹は分かれ、太い方の幹はさらに3つに分れている。それぞれの幹周りは、198cm、183、112、101、48cmで、およそ6.4mはある巨木。

社と言えるものはなく、「山神」と彫られた石がタブノキの傍に置かれてある。何と言う名の神社だろうと、道路際の質素な鳥居をみるが、「山神」とだけ書かれてある。こんな細長い神社は初めて。
畑を造ろうと森を切り開いたが、大タブがあったので、それを残し、沿道にヒノキを植えたことで、このような形の神社になったのだろう。近くにはりっぱな開拓神社があった。

多良山系黒木のモミの巨木  大村市黒木町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

多良山系黒木のモミの巨木  大村市黒木町

多良山系黒木の奥深い山中にモミの巨木があることは、ずっと以前から話は聞いていた。場所も小川内渓谷の左支沢上部、黒木ケ原岳(標高658m)の尾根斜面らしいと知っていたが、山を失礼していた時期だったから見に行くことはなかった。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中に次の説明と写真があり、平成20年2月1日訪ねてみた。位置図は同氏HPにある。
他のHPでは、ばってん亀さん「山汗記」の平成13年9月30日記録「噂の巨木」に出てくる。当時は道や標識はほとんどなく、コンパス頼りにより探している。

現在は山道が完全に整備されている。車が黒木から五家原岳登山口の山道入口まで入る。ここが木橋の近く。「大モミの木」標識が要所につけられている。五家原岳横峰越に行く沢を渡った山道を10分ほど行って左に分かれ、小沢を少しつめる。後は500mほど急斜面を登ると、モミの巨木と対面することができる。しかし、かなりハードな登りとなり、30分以上は要する。
根元の長崎森林管理署の説明板によると、この木は幹周り(胸高)563cm、樹高39m、樹齢(推定)230年である。

モミの巨木の近くにケヤキの大木もあり、モミもあと2本立っていた。手前では「イタジイ」の大きな古木を見た。ここまで来る途中の道は、こどもの体験学習に利用されるのだろう、道脇の樹木のほとんどに名札が着けられていて、たいへん参考となる。
下から登って主な樹木名をメモしたら、次のとおりであった。
カツラ・ケヤキ・ヤマザクラ・クマノミズキ・ウラジロガシ・アラガシ・カヤ・ミズキ・ムクノキ・カゴノキ・エノキ・イヌガヤ・サンゴジュ・カラスサンショウ・タブノキ・イスノキ・サカキ・イヌシデ・イタジイ・イイギリ・ツガ

モミの巨木

引地秀司著「多良岳の休日:長崎新聞新書発行」の中に大村市・黒木町の山中にあるモミの巨木が紹介されていた。見たくなった。まだ、山道や森には雪が残っているが、早速、見に行くことにした。
萱瀬ダムの先にある黒木町に向う。多良山系の五家原岳や金泉寺・経ヶ岳の登山道の登口でもある。金泉寺に向う登山道近くの駐車場に車をとめ、少し戻って民家の脇道を通って、民宿やさわがにキャンプ場」がある道に出る。駐車場所の方を振り返ると、多良山系が望めた。最高峰の経ヶ岳がそびえていた。…
五家原岳に向う登山道を進むと、左手の山道との分岐点に着く。… 山道を行くことにした。細い道だ。足を踏み外すと谷底に滑り落ちる恐れもある。どうにか木橋に着く。 
雪の木橋を渡って、左手の五家原岳に向う山道を進む。10分ほど行くと、左手に「モミの木」の 表示板が掛けられてある。浅い川を渡って、印のテープを頼りに小さな沢を登る。15分ほど、何度か沢を横切ったところで、急な斜面を尾根に向って登る。印を頼りに行くも、難所だ!雪が残っていて、ヒンヤリするはずだが汗だくになった。
30分も登った場所に、シイの巨木があった。写真を撮って、少し登ると、遠くにそれらしき巨木が見えた! お目当ての モミの巨木だった。
幹周り5.78m、樹高41m、樹齢350年ほどの巨木と言う。幹にはシダの一種のマメヅタが絡んでいる。見上げて見る姿は圧巻。
幹の下でしばらく休み、急坂を下る。登りより楽であった。…

なお、長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁に、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」がある。日本一のモミは、兵庫県篠山市追手神社のモミ(幹周り7.8m)だが、国有林内に限れば、この黒木のモミが最大の巨樹であると記している。
また、長崎森林管理署HPのトピックス2007年12月14日の記事に次があった。

Ⅱ.山中にある巨樹・巨木

多良山系の山中にある日本一のモミ(樅)の巨樹を第一にあげる。黒木ヶ原岳(658m)の尾根から下りた東斜面にあり、林野庁が選定した「森の巨人たち百選」では、国内の山中(国有林)のモミの最大は栃木県日光市の「太郎モミ」(幹周り5.28m、樹高30m)、第2位は宮崎県都濃町の「尾鈴大山神モミ」(幹周り4.71m、樹高27m)とあるが、幹周り、樹高共にそれを上回ったみごとな巨樹である。あまりの大きくてヘリコプターの搬出ができないことから伐採を免れたという。また、一帯にはツガの巨木も点在している。
モミ(マツ科)    幹周り 5.78m  樹 高  41m
ツガ(マツ科)         4.08m        34m
ツガ(マツ科)         3.10m        26m

トピックス 2007/12/14   黒木渓谷を見守る“大モミ”に会いに行こう

12月2日、大村市の萱瀬山国有林において大村市、大村山岳会、黒木地区住民や当署職員等、約20名が参加し、樹高39m、幹周り(胸高)563㎝の“大モミ”までの案内板や樹名板の設置を行いました。
黒木地区の国有林には、萱瀬スギを始めケヤキやモミの巨木が点在していることから「黒木渓谷を見守る巨木に会いに行こう」と題して、巨樹・巨木を広くPRし、市民や登山客等に親しみをもってもらおうと行ったものです。
当日は職員手作りの案内板等を設置。作業終了後は全員で大モミの前で記念撮影をし、まだ紅葉が見られる景色に疲れを癒しながら下山しました。

萱瀬(かやせ)スギ植物群落保護林と大名杉  大村市中岳町  

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

萱瀬(かやせ)スギ植物群落保護林と大名杉  大村市中岳町

大村市中岳町にある「萱瀬(かやせ)スギ植物群落保護林」は、九州森林管理局が管理している。黒木渓谷や鹿島へ行く国道444号線の萱瀬ダム手前の右方萱瀬山(標高400m)の国有林内となる。
ダムにかかる手前の久良原公民館前に案内標識があり、急坂を1.8km奥まで車が入る。

車はここで通行止め。すぐ先が保護林で、説明板や「森の巨人たち100選」銘板がある。辺りはスギの巨木が林立して鬱蒼としている。植林の歴史は、大村藩江戸時代に遡る。「大名杉」と命名された木が最も大きく、ここからまだ800mほど上。歩いて20分登る。幹周り4.9m。県下最大のスギ大木である。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

萱瀬(かやぜ)スギ

大村市中岳町にあるスギの森は「萱瀬スギ」として、平成12年に「森の巨人たち百選」に選ばれた。県内では最も古い人工林である。3.73haのスギの森には456本のスギがあり、幹周り4m前後のスギの巨木が点在する。スギの巨木の多さに感激する。樹高47m、樹齢240年になる。その中で最大のスギの巨木は「大名杉」と言い、幹周り4.9m。真直ぐに伸びた姿は雄大。「萱瀬スギ」の入口からさらに20分ほど登った奥にある。
萱瀬スギの周辺には赤い実をつけたアオキの低木やサツマイナモリの花が咲いていた。
訪れたのは1月下旬。まだ雪が残っていた。
久良原公民館から萱瀬スギまでは1.8kmで、徒歩で40分ほどかかる。車でも行け、萱瀬スギ近くに駐車できる。久良原公民館から車で行くなら、民家のくねった細い急な坂道が続き、ドキドキする。

なお、長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁に、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」がある。この中に「萱瀬スギ植物群落保護林」を次のとおり記している。
また、長崎森林管理署HPの説明は以下のとおり。

※「萱瀬杉」学術参考保護林 (植物群落保護林)

大村市中岳郷萱瀬山(標高400m)の国有林。約3.73ha中には樹齢400年を越す杉が美林をなしていて、幹周り3.5m以上、樹高40mを越すものが大半を占めている。
ここは狸の尾水源涵養林同様、水確保を目的に大村沖積平野を潤す郡川最上流域の黒木の里(萱瀬)に大村藩が大々的なスギの植林をおこなってきた。
しかし、残念なことに第二次世界大戦時の軍用材としてほとんど伐採されてしまった。そのためいま県内に残る最も古い貴重な人工スギ林「萱瀬杉」は、1993年に植物群落保護林に指定された。
林野庁の「森の巨人たち百選」には、長崎県で唯一ここ「萱瀬杉」(幹周り4.9m、樹高47m)が選ばれている。

萱瀬スギ植物群落保護林( か や せ す ぎ )

植物群落保護林は、我が国又は地域の自然を代表するものとして保護を必要とする植物群落及び歴史的、学術的価値等を有する個体の維持を図り、併せて森林施業・管理技術の発展・学術研究等に資すること目的とするものです。

萱瀬スギ植物群落保護林は、長崎県大村市の北東で、佐賀県境の”経ヶ岳”(1076m)、”多良岳”(996m)及び長崎県諫早市境の”五家原岳”(1057m)に囲まれた西南側の緩傾斜地に位置しています。
林相は、萱瀬スギの老齢林となっており、林齢は240年以上、径級は40〜130㎝の林分で、樹冠は幾分疎開しています。
萱瀬スギの歴史は、江戸時代にまで遡り、大村藩4代藩主大村純長が萱瀬村の藩直轄林にスギ苗7万本を植林したのが始まりだと伝えられています。明治維新後国有林となり、当時30ha程ありましたが、戦中戦後の伐採により殆どのスギが伐採されました。その残りが”萱瀬スギ”として残ったものです。
この内、1本の”萱瀬スギ”(樹高:47m、幹周:490cm、樹齢:240年生)が、平成12年4月に「森の巨人たち100選」として選ばれました。
また、平成14年には、大村市が市制施行60周年を記念して「大名杉」という愛称を命名し、多くの市民に親しまれています。

玖島崎(くしまざき)樹叢  大村市玖島1丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

玖島崎(くしまざき)樹叢  大村市玖島1丁目

大村公園の大村城跡東側斜面から海岸道路にかけて「玖島崎樹叢」がある。長崎県指定天然記念物として保護されている。
現地説明板は次のとおり。公園一帯にはあちこちに高・低木が見られる。貴重なのはヒゼンマユミ、コバノチョウセンエノキ、クシマザサとのこと。
写真は、ヒゼンマユミのほか、海岸沿いにあったエノキのヤドリギ、タブノキの巨木、ハマボウなど。

県指定天然記念物  玖島崎(くしまざき)樹叢

この樹叢は、玖島城の本丸を取り囲むように茂る自然林で、城の東側の斜面から教育センターの手前まで広がっています。
樹叢の中には、クスノキ、シイノキ、ナナメノキ、ヤマモガシ、ヤマモモ、バクチノキなど主に暖地性の樹木があり、また大陸性のコバナチョウセンノキも見られます。樹下には、クシマザサ、イヌガネ、シロヤマシダ、ホウチャクソウ、ムサシアブミなど珍しい植物が生えています。特に注目されることは、諫早が北限とされていたヒゼンマユミが樹叢内でいくつか発見されたことです。
玖島城には、江戸時代に既に大きな樹木があり、大村を来訪した文人の日記にもお城の建物が樹木で見えないというエピソードが出てきます。廃城となった後、人の手が入らなかったため、林が自然の状態へと戻っていき、現在のような大木を含む樹叢になりました。
この樹叢は、自然保護の上からも、学術的にも、極めて貴重なものであり、昭和四十九年県の天然記念物に指定されました。現在も自然の状態で保護されています。
平成十五年三月  大村市教育委員会

大村神社のオオムラザクラ  大村市玖島1丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

大村神社のオオムラザクラ  大村市玖島1丁目

大村公園は桜の名所。中でも大村城跡の上部広場にある大村神社前の桜は、たいへん珍しい品種である。八重桜の一種「オオムラサクラ」。公園に多く見られる。
国指定天然記念物。開花は4月中旬以降。美しいピンクの花をつける。現地説明板は次のとおり。開花画像は、あじこじ九州HP「長崎観光 九州」から。
全国の珍しい桜も植えられている。

国指定天然記念物  大村神社のオオムラザクラ

オオムラザクラは、昭和十六年、当時、大村の女子師範学校の教官であった外山三郎氏(のち長崎大学名誉教授)によって学会に報告され、命名された大変珍しい品種で、八重桜の一種です。
花は、八重桜を二つ重ねたような独特の二段咲きで、下の花を外花、上の花を内花といい、外側にあるがく片は十枚(桜の基本は五枚)、花弁の数が、多いものでは二〇〇枚にも達するなどの特徴があります。
大村公園に多く見られますが、大村神社社殿前の二本が、昭和四十二年に国の天然記念物に指定されました。ソメイヨシノより少し遅く、四月の中旬以降にピンクの花をつけます。
大村市の市花となっています。       平成八年三月    大村市教育委員会

大村城跡のマキ  大村市玖島1丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

大村城跡のマキ  大村市玖島1丁目

大村公園の大村城跡へ大手門から登る。高い石垣の上にイヌマキがある。長崎県指定天然記念物。料亭庭の板戸を開けて見せてもらった。大きな根元が3本並んでいた。手前の1本は伐られている。長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

大村城跡のマキ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和42年2月3日 所在地 大村市玖島1丁目35 所有者 大村神社
大村神社社叢の風致を象徴するもので、神社の石段、右手の料亭に縁先にならび、総数4本。幹まわりは、それぞれ4.02m、2.60m、4.15m、3.32mほどで、高さ約25m。マキの名木といえる。
このマキは玖島城時代に植えられたものと考えられ、樹齢は350年余りになると思われる。
マキはマキ科に属する常緑樹で、イヌマキともいい、人によく知られている。種子は直径1cmほどで、丸くて緑色。その下に花托の変化した倒卵形の玉がついていて食べられる。