月別アーカイブ: 2008年2月

日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

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日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

長崎街道の日見峠へ長崎市日見方面から車で行く場合は、日見トンネルを通る前の国道34号線の道を行く。日見トンネル手前の長崎自動車道芒塚IC入口から、高速道下の右手道に入る。九十九折により峠へ向って登って行くと、途中に去来句碑の芒塚(すすきづか)がある。やっと着いた切り通しが、明治新道の日見峠。

その昔の日見峠へはここから10分ほど急坂を歩いて登る。関所跡があり、峠を越えた先に地震神社の鳥居がある。額は「御夢想 地震 神社」。石の神を祀るのか。調べる手立てがない。長崎方面へ明治新道を下ると、本河内低部水源池前の番所バス停のところに出る。
ヒサカキは切り通し入口角の岩清水の上、ムクノキ・カゴノキ・クロガネモチは地震神社の祠のところに生えている。Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

長崎街道・日見峠

長崎市芒塚町から本河内町に向う長崎街道の日見峠は、山越えの難所で「西の箱根」とも言われた。坂本竜馬も越えた。日見峠の山をV字形に切り開いて、明治15年に「日見新道」が造られた。馬車で通れるようになった。通行料を取ったので、日本初の有料道路と言う。…
芒塚は、芭蕉十哲の一人・向井去来(長崎市で生れた)が、長崎を離れるときに日見峠で 詠んだ句 「君が手も まじるなるべし 花薄(ススキ)」の句碑が建立されている。 「見送る君の姿は遠くなり、あれは、君の振る手なのか、揺れるススキなのか 」という意味のようだ。今では、日見トンネルや新日見トンネルができていて、高速道のトンネル建設も進められている。…

日見峠の新道の角にヒサカキがある。そこからV字形に開かれた切通しを少し歩くと右手に日見峠の表示板がある。その急な坂道を登っていくと、関所跡がある。意外に狭い場所だ。そこから、さらに登ると、剪定されたマサキのトンネルがある。日見街道はその手前を左に降りて行く。マサキをくぐって進み、左に折れる道に行くと祠がある。

地震神社の祠の道沿にムクノキの大木がある。そばにはカゴノキが寄り添っていた。祠の横にクロガネモチの大木があった。太いカズラが絡んで上の方まで伸びていた。
峠を越える人々は、このあたりで、一息ついたのだろう。近くの石段を下ると、地震神社の鳥居がある。そこから、さらに下ると民家を通って日見新道に出る。

富川渓谷のイロハカエデ・スタジイ  諌早市富川町

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富川渓谷のイロハカエデ・スタジイ  諌早市富川町

長崎県指定天然記念物「富川渓谷のカツラ」については、先項で紹介している。これはその途中で見られるイロハカエデとスタジイの大木。イロハカエデは富川渓谷の駐車場から入ったすぐ右遊歩道脇。スタジイは滝上の森の吊橋を渡った右斜面にある。
長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」の中による説明は以下のとおり。

高来町側の轟渓上流域小松尾公園内のイロハカエデは、キツネノカミソリの時期に行ったのだが、気づかなかった。
後の5枚は、県指定史跡「大雄寺の五百羅漢」。大雄寺先の滝の両岸岩面に見られる。
503体の羅漢像が刻まれ、県下一の磨崖仏群だそうだったが、諫早大水害などでだいぶん現地は変わっている。

Ⅴ.富川渓谷・大雄寺一帯の巨木、大木

現在、県の新観光百選の地となっている富川渓谷の大雄寺一帯にはまとまってスタジイ、クスノキなどの巨木や年輪を重ねても幹周りが3m以上には育ちにくいヤブツバキ、イロハカエデ等が川の両岸に大きく枝を伸ばしている。
特にイロハカエデは大木はもちろん小木が結構多いことから、植栽されたものではなく、自生のものと思われる。高来町側でも轟渓上流域の小松尾公園内に自生の幹周り2.54mのイロハカエデの大木がある。
また、大雄寺境内には、珍しいケンポナシが植え込まれている。

スタジイ(ブナ科)     幹周り 3.32m  樹 高 21m
クスノキ(クスノキ科)        3.25m       24m
イロハカエデ(カエデ科)      2.84m       16m
ヤブツバキ(ツバキ科)  根回り 2.10m        8m

深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

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深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

深堀のすぐ手前の海に、かつて「女島」という小さな島があった。昭和43年(1968)深堀〜香焼間の海面埋立てが完成し、三菱重工などの工場が進出した。この埋立地の中にまだ「女島」の島影が残っている。

場所は、深堀バス終点前の角に深堀公番がある。埋立地大通りを香焼側に50mほど行くと右に入る道があり、奥に赤い鳥居があってここが境内である。
アコウの大きな枝分かれした木の根元に「女島大神」が祀られ、中にはぐるぐる蛇がまいたような不思議な石の神体があった。女島は小さな岩礁だったので昔からあったのは、この祠だけと聞いた。他の祠や浜恵比須は後でどこからか持ってきているらしい。

アコウの木は、祠の後側とすぐ上の一番高かった岩礁に株を広げ、この広大な埋立地の中に隠れた一角をつくっている。
写真の後の2枚は、2007年5月撮影。地図は、明治34年測図国土地理院旧版地図である。

野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

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野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

平成20年2月4日、松原から野岳湖へ行き湖を一周。深沢儀太夫が築いた人工湖。ここから黒木へ行くため萱瀬ダムへの林道近道を通る。40年ほど前、野岳に泊まり、この山道を歩いたことがある。だいたいそのとおり車道となって整備されている。
杉を祀った水源や、ロッククライミングの岩場がある。多良の連峰と萱瀬ダムが高い位置から眺められ、景観がよい。萱瀬ダムの北川内橋手前に出る。

野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (1)

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野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (1)

平成20年2月4日、松原から野岳湖へ行き湖を一周。深沢儀太夫が築いた人工湖。ここから黒木へ行くため萱瀬ダムへの林道近道を通る。40年ほど前、野岳に泊まり、この山道を歩いたことがある。だいたいそのとおり車道となって整備されている。
杉を祀った水源や、ロッククライミングの岩場がある。多良の連峰と萱瀬ダムが高い位置から眺められ、景観がよい。萱瀬ダムの北川内橋手前に出る。

多良山系黒木の大ケヤキ  大村市黒木町

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多良山系黒木の大ケヤキ  大村市黒木町

多良山系黒木の奥深い山中の巨樹探訪。萱瀬の大名スギ、黒木ケ原岳尾根の大モミノキに続き、最後の巨樹となる岩屋越の登山道途中にある大ケヤキを訪ねた。前日は山に雪が降り、多良山系の尾根は雪が残っていた。
大村・鹿島を結ぶ国道444号線。黒木小学校のところで黒木渓谷へ行く道と分かれる。山へ向かって国道はぐいぐい登り、平谷黒木トンネルの入口に来る。写真の左上鞍部が岩屋越。
トンネル右手の踏み跡をたどると、すぐ岩屋越の本来の登山道に出る。5分すると「大ケヤキ」への道である表示板がある。

登山道はしっかりしている。レスキューP「502」を見ながら小沢の3つ目を渡り、切り通しまで来ると大ケヤキは近い。登山道のすぐ左手下に大木が見える。トンネルから40分ほど。ここまではさほど急な道でない。ここから岩屋越まではさらに40分かかる。
大ケヤキは、根元ですぐ2本に分かれ、幹周りは4.6m。樹皮が鱗状に剥がれた文様は見事。谷の上流である斜面地。よほど成長に適していたのか、対面に幹周り4mの大ケヤキがあと1本ある。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。位置図は同HPに詳しくある。
この木の紹介は、同氏以外ない。長崎森林管理署HPの2007年12月14日トピックスでは、大モミの道に表示板など取り付けた記事がある。文中に「黒木地区の国有林には、萱瀬スギを始めケヤキやモミの巨木が点在している」と記しているだけのようだ。
本では、長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁に、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」があるが、この大ケヤキは紹介されていない。

周辺を探した。同氏はケヤキの2本しかふれられていないが、すぐ近くに大モミも2本あった。何の石垣跡か長い。そこから生えた1本は、幹周り4m以上の大木。あと1本はやや小さい。
岩屋越まで行く。この道は昔、2回ほど登った記憶がある。最後の登りはやはりきつい。郡岳ー経ヶ岳の尾根縦走路で、岩屋越はこの中間くらいの地点。雪道の越には「大村鹿島県境」の標石と、「平谷温泉へ2km 岩屋へ2.5km」の道標があった。

大ケヤキ

以前、五島の巨木の写真を送って頂いた針本さんから、大村市黒木の大ケヤキのある場所を教えてもらった。早速、見に行く。黒木トンネル近くに駐車し、トンネル入口の真上に向かう左手の山道を登る。5分ほど登ると大ケヤキの表示板がある。山道は、岩屋口ー岩屋越コースになっている。
この山はスギ、ヒノキが植林された国有林。高木にはシイ、アカガシ、ホソバタブ、ヤブニッケイ、低木にはヤブツバキ、アオキ、ネズミモチ、ヒサカキなどが多い。2〜3ヶ所、水のない渓流を渡る。どこが道なのか判りずらい箇所があるが、テープや印の石組みを頼りに進む。「レスキューポイント番号502 」の表示を過ぎる。

登り始めて40分ほどで、針本さんから教えてもらった切り通しに着く。めざす大ケヤキは、ここから100mほど。足も軽くなる! しばらくすると、左斜面下にそれらしき巨木が見えた。斜面を下り、大ケヤキと対面。
そこから、山道を少し登ると レスキューポイント番号503 」の表示がある。初めて訪れるには、判りずらい。針本さんの地図のおかげで見ることができました。針本さんに感謝!

大ケヤキの幹は地上2mの所から二つに分かれているが、二本が合着したようにも見える。幹回り4.6m。樹高は25m前後。森の中で存在感がある。そこから少し下ると渓流になっていて、水が流れている。手ですくって渇きを癒す。
一息ついて見ると、対岸の斜面に大ケヤキが1本ある。幹回り4m。樹高はさきほどのケヤキとほぼ同じで、両方のケヤキの枝が空で触れ合わんばかりに、向かい合っていた。

郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林の今  大村市重井田町

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郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林の今  大村市重井田町

Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)に、次のとおり郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林を記していた。野岳湖の大村湾CCの奥一帯。この道は萱瀬ダムへ出る。自然休養林が今、どうなっているか、立ち寄ってみた。
現況は写真のとおり。遊歩道は、一部歩けるが、後は荒れている。伐採したところもあり、ベンチ・トイレ・樹木の名札などは撤去しているようだ。時間がなかったから、もちろん中までは見ていない。かろうじて、郡岳南登山口にエンコウカエデとハイノキの名札を見つけた。

自然休養林

自然休養林とは、国民の休養・レクレーションのため、施設などを整備した国有林を言う。郡岳(こうりだけ)を中心とした山麓は、スギ・ヒノキの人工林と、クロマツの混交林、広葉樹の天然林が広がる。ゴルフ場に接した場所に遊歩道がある。
気持ちのよい遊歩道を歩くと、シイ、アカガシ、ヤマビワ、リョウブ、クマノミズキ、etc、の中、トキワガキの高木もある。ツクバネガシの他、オオツクバネガシが多く見られた。
残念ながら施設の老朽化のため、この休養林は平成18年4月に廃止が決定された。国の財政緊縮策がこんな所にも反映している。長崎では西彼杵半島の一部だけが自然休養林となる。

松原八幡神社の社叢  大村市松原本町

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松原八幡神社の社叢  大村市松原本町

大村市松原は、長崎街道の有名な宿(茶屋)跡。国道34号線の松原入口交差点から旧道へ入るか、松原1丁目交差点から左折し、JR大村線ガード上の道を渡る。八幡神社の社叢は、国道左にすぐ見えている。
社殿左のクスノキは、幹周り7mの巨木。根元の大きさに驚く。境内にはエノキ、ケヤキの大木のほか、松原国民学校同窓生が寄贈した見事なサカキ、ホルトノキなどがある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

松原本町八満宮樹叢

クスノキの巨木や、エノキ、ケヤキの大木があり、神社社叢として大村市の天然記念物にしてされている。
境内には寄贈されたものであるが、京都の 北山杉を見ることができる。

網場天満神社の社叢  長崎市網場町

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網場天満神社の社叢  長崎市網場町

国道34号線の網場道バス停から日見の町と網場漁港へ方へ行き、そのはずれの海岸通りに神社はある。この県道は、茂木へ続く。
HP「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

網場天満神社の社叢  市指定天然記念物

指定年月日 昭和53年3月20日 所在地 長崎市網場町1番地1 天満神社境内
所有者 天満神社
旧日見村のころの氏神であった神社で、網場の海岸沿いの小高い丘の上にある。
この小高い丘全体が境内であり、社叢でもある。丘を覆う主なものは、クスノキ、スタジイ、ヤマモモ、カゴノキ、アラカシ、ツバキ、ナナメノキなどの高木と、ハクサンボク、マサキ、クスドイゲなどの低木の照葉樹である。ここには、特別に貴重といえる種類も、また、巨木というほどのものもない。
それでも、丘全体が社叢というまとまりと、沿海地の照葉樹木の社叢としても、大切に保存すべきものである。

大村市に残るアーチ石橋  大村市中里町「ひやけはし」

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大村市に残るアーチ石橋  大村市中里町「ひやけはし」

大村市中里町にはカキノキの樹形がよい大木があった。「ひやけはし」という変った名のアーチ石橋もあるとHPにあったから訪ねてみた。大村市では、この橋が唯一の石橋のようだ。
国道34号線が鈴田峠を過ぎ、JR大村線の鈴田峠トンネル出口付近で左折して踏み切りを渡り、旧国道の道を行くとすぐの川に架かっている。鉄道のすぐ左側。折りよくシーサイドライナーが通った。
橋の銘柱はコンクリート製。変った形をしていて「ひやけはし」とある。架設年は不明。このあたりの地名が「日焼」とバス停があった。HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

第 62 番 ひやけはし   大村市中里郷
年代 不明   長さ 約6.0m 幅員 約4.0m
地域在住の大久保氏から連絡を頂いた橋。旧国道に架かる橋。ここに石橋があることを、知らせてもらうまで全く知らなかった。感謝。
【ガイド】諫早市から国道34号線で鈴田峠を越える。鉄道のトンネル付近で左折して旧国道に入る。