日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

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日見峠と地震神社のヒサカキ・ムクノキなど  長崎市本河内3丁目

長崎街道の日見峠へ長崎市日見方面から車で行く場合は、日見トンネルを通る前の国道34号線の道を行く。日見トンネル手前の長崎自動車道芒塚IC入口から、高速道下の右手道に入る。九十九折により峠へ向って登って行くと、途中に去来句碑の芒塚(すすきづか)がある。やっと着いた切り通しが、明治新道の日見峠。

その昔の日見峠へはここから10分ほど急坂を歩いて登る。関所跡があり、峠を越えた先に地震神社の鳥居がある。額は「御夢想 地震 神社」。石の神を祀るのか。調べる手立てがない。長崎方面へ明治新道を下ると、本河内低部水源池前の番所バス停のところに出る。
ヒサカキは切り通し入口角の岩清水の上、ムクノキ・カゴノキ・クロガネモチは地震神社の祠のところに生えている。Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

長崎街道・日見峠

長崎市芒塚町から本河内町に向う長崎街道の日見峠は、山越えの難所で「西の箱根」とも言われた。坂本竜馬も越えた。日見峠の山をV字形に切り開いて、明治15年に「日見新道」が造られた。馬車で通れるようになった。通行料を取ったので、日本初の有料道路と言う。…
芒塚は、芭蕉十哲の一人・向井去来(長崎市で生れた)が、長崎を離れるときに日見峠で 詠んだ句 「君が手も まじるなるべし 花薄(ススキ)」の句碑が建立されている。 「見送る君の姿は遠くなり、あれは、君の振る手なのか、揺れるススキなのか 」という意味のようだ。今では、日見トンネルや新日見トンネルができていて、高速道のトンネル建設も進められている。…

日見峠の新道の角にヒサカキがある。そこからV字形に開かれた切通しを少し歩くと右手に日見峠の表示板がある。その急な坂道を登っていくと、関所跡がある。意外に狭い場所だ。そこから、さらに登ると、剪定されたマサキのトンネルがある。日見街道はその手前を左に降りて行く。マサキをくぐって進み、左に折れる道に行くと祠がある。

地震神社の祠の道沿にムクノキの大木がある。そばにはカゴノキが寄り添っていた。祠の横にクロガネモチの大木があった。太いカズラが絡んで上の方まで伸びていた。
峠を越える人々は、このあたりで、一息ついたのだろう。近くの石段を下ると、地震神社の鳥居がある。そこから、さらに下ると民家を通って日見新道に出る。