月別アーカイブ: 2008年2月

県立長崎工業高校角の「かりさこ橋」は石橋か?  長崎市岩屋町

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県立長崎工業高校角の「かりさこ橋」は石橋か?  長崎市岩屋町

道の尾交差点から左へ虹が丘病院や岩屋神社に行く道へ入る。市道岩屋町滑石線。工業高校前バス停の手前岩塔橋にかかると、左下に長崎県立長崎工業高校があり、校舎の左角に「かりさこ橋」が架かって見える。一見すると見事なアーチ石橋。

しかし、この橋はHP「長崎県の石橋を訪ねて」には出てこない。総合サイトトップへ戻ると、”fwd‐net長崎・諫早”。HP同氏のか、「お気楽日記帳」2007年7月14日記事「石橋かな?」に次のとおり出てくる。

fwd‐net長崎・諫早の変化狸の森羅万象日々雑感  「石橋かな?」

岩屋町開成学院前かりさこ橋という記載が57年の長崎市の調査資料にあるが、長崎工業高校のところに有ると聞いたので、ちょっと拝見。
写真のように一見、石造アーチ橋のようにデザインされた橋が在った。親柱を見ると「かりさこばし」とあるから、この橋のことなんだろう。
(ここで「続きを読む」をクリックすると)
石積みはあるが、コンクリートアーチの桁橋であった。残念。

「かりさこ橋」で検索すると、同ブログはすぐ出てくる。長崎工業高校は、昭和46年、家野町から現在地の県立開成学園跡地へ全面移転している。
私のブログ中の「長崎の石橋」は、専門の記でないからこんな橋も訪ねる。解体されてとうの昔から新しくなっている橋も、どんなところか見てみたいから訪ねて記事にしている。
この岩屋川沿いのまだ上流、旧道には「山口橋」が石橋としてただ1つ残っているが、これは後項により紹介する。

雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景  西海市大瀬戸町雪浦

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雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景  西海市大瀬戸町雪浦

平成20年2月13日、西海市大瀬戸町雪浦へ行く。雪浦海浜公園・つがね落しの滝・九州自然歩道の風景。歩道の途中、集落の石垣と猪垣の跡が荒れてあった。

2008長崎ランタンフェスティバル

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2008長崎ランタンフェスティバル

平成20年2月11日夜。中島川通り・浜市アーケード街・新地湊公園へ家族が行って写した。連休。天候に恵まれ、人出が多い。ちゃんぽんは慶華園で食って帰ってきた。
土産が桃太呂のぶたまん。ぶたの尻尾を写すのに苦労したらしい。21日まで開催。

ラクウショウ(落羽松:ヌマスギ)の気根  長崎県民の森

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ラクウショウ(落羽松:ヌマスギ)の気根  長崎県民の森

足元注意!。長崎市神浦の「長崎県民の森」は、バイクツーリングが多い。駐車場は暴走行為をさせないよう、車駐車枠の突起が大きく、うっかりしているとつまづいて転ぶ。
東ゲートから清流の森みどりの池へ下る沢筋の道に、写真のとおり地面から何か根っこが数多く頭を出している。あたりに中木が生えて、「すぎ科 ぬますぎ」の樹木プレートが付けられている。この一帯も、足元にしっかり気をつけて歩かなければ転ぶ。この根はなにか。

「ラクウショウ」(落羽松)という名のスギ科の樹木が、一名「ヌマスギ」と呼ばれる。水に浸ることの多い所で育つには、膝を曲げたような気根を出し、地表からの呼吸と養分吸収をする。「呼吸根」または「膝根」(しっこん)ともいう気根の一種。県立諫早総合運動公園入口近く教材園にもラクウショウが植えられ、大木となっている。
大阪市長居植物園ブログに、次のような説明があった。

地面から根っこがニョキリ…?!  2008-01-26 Sat 07:00

植物の根っこは、通常自分の体を支え、また地中の養分や水分を吸収するために地中にあるものがほとんどです。しかし、地中に飛び出した特殊な根っこを持つ植物もあります。例えば、海岸の柔らかい土壌に根を張る「マングローブ」という木は、幹の途中から根が生え地面に降りてきて幹を支える役割を果たしています。これを”支柱根”と呼んでいます。

また、湿地や川辺の水に浸りやすい場所(地中部の酸素が少ない環境)で生育するために、地表に”呼吸根(気根の一種)”と呼ぶ根を出し酸素や養分を吸収している植物もあります。長居植物園には、この珍しい根っこ(気根)を出す植物があります。
「ラクウショウ(落羽松)」という名の植物で、一名「ヌマスギ」とも呼ばれています。学名:Taxodium distichum(スギ科ヌマスギ属)

北アメリカが原産で、流れのある湿地帯や川岸の湿った所に生育しており、一年のうち数か月間は水につかる環境と言われています。大池内で水に漬かり易いために気根がよく発達しています。根の一部が、地上にまるでタケノコのようにニョキニョキと立ち上がり必要な空気を取り入れています。乾燥地では気根を出さずに生長するようです。

植物園の正面玄関を入った両側に列状に植わっているのが「ラクウショウ」です。ここでも小さな気根を見ることができますが、大池のレストハウス南側にある「ラクウショウ」の大木の根元の周りには見事な気根を観察することができます。
植物の生きる知恵、不思議な生態をジックリと観察してください。(園長&スタッフ)

長崎県民の森の風景  長崎市神浦北大中尾町ほか

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長崎県民の森の風景  長崎市神浦町北大中尾町ほか

平成20年2月10日、長崎市神浦「長崎県民の森」の散策ウォーク。東ゲートー展望台ーみどりの池ーシャクナゲ橋ー水車小屋ーオシドリ渕ーオオルリ橋ー芝生広場ー森のつり橋ーキャンプ場管理棟ー御用堤ー山菜の森ー薬草の森ー森林資料館と歩いた。
帰りは神浦へ下り、外海の道の駅から海を見た。

森林資料館正面に展示している巨樹標本の説明は次のとおり。
杉      樹齢179年、 直径1.28m、 島原市眉山国有林
けやき   樹齢200年、 直径1.60m、 大村市萱瀬国有林
さわら   樹齢179年、 直径2.27m、 島原市眉山国有林

長崎県民の森の散策  平成20年2月

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長崎県民の森の散策  平成20年2月

平成20年2月10日(日)曇ときどき晴。長崎市神浦「長崎県民の森」の散策ウォーク。参加17人。風景は別項。
東ゲートPを10時発。展望台ーみどりの池ーシャクナゲ橋ー水車小屋ーオシドリ渕ーオオルリ橋ー芝生広場(昼食)ー森のつり橋ーキャンプ場管理棟ー御用堤ー山菜の森ー薬草の森ー森林資料館と約10kmを歩く。15時着現地解散。
昔と変り過ぎ、私は一行からはぐれ、迷いオジさんとなった。あまり道と標識が多くわかりずらい。マップ図や標識は、ピクニック用に一周基本コースを表示してほしい。

鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

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鎮西橋・西山橋(西山川)と鳴滝橋(鳴滝川)  長崎市馬町ほか

先項において、桃渓橋から上流の西山川に残るアーチ石橋4橋を訪ねた記事を載せた。うっかりしていた。諏訪神社前の国道34号線馬町交差点にある「鎮西橋」をもらしていた。
資料は、石橋を最も詳しく調べられている諫早在住の方のHP「長崎県の石橋を訪ねて」。このHPに「鎮西橋」は出てこない。それで私ももらした。他の人のHPでは、石橋として紹介されている。

(1)鎮 西 橋
鎮西橋(ちんぜいばし)は、昭和9年(1934)架設と銘板がある。欄干から下部を見るとアーチ石橋のようだ。桃渓橋側から全体が見える。最近の工事で石が新しく白っぽい。馬町交差点に地下歩道を造ったとき、改修されたのでないか。
川の景観に調和させるため、表に見えるところだけ石を張り、下のアーチ部分は全面コンクリート。近代工法の橋である。
そのため、同氏HPの石橋の範囲に「鎮西橋」は該当しなかったようだ。ほかにも理由があるかも知れない。すぐそばの大手橋側の川底から見た2つの橋の写真。大手橋は石橋が残っている。

(2)西 山 橋
大手橋のすぐまた上流の「西山橋」。今の橋に銘板があるので、橋は間違いない。長崎バイパスへ行く西山通りの県道を挟んで、正面に料亭富貴楼と松森神社のクスノキが見える。
この橋も昔は石橋だったようである。同氏HPの中に読者などからの情報に基づく「調査中の石橋」があり、「長崎市下西山の西山橋は現存するという。 07/01/2007消失を確認」とある。これは同氏が現地を見に来た日。現在の橋が架け変えられた時期はあくまで大水害後であろう。が、水害前もすでに石橋ではなかったという人もいる。
その人の話によると、長崎大学経済学部裏通りのリンガーハットへ出る橋も、昔は石橋だったそうである。

(3)鳴 滝 橋
鳴滝川の「鳴滝橋」。やはり同氏HPの中「調査中の石橋」に、「鳴滝橋が57年の長崎水害では被害を受けていなかったという。 06/30/2007架け替えを確認」とある。
「鳴滝橋」と言われるのは、現在、3つの橋がある。
①鳴滝の滝の上に架かる本来の鳴滝橋。自然石の橋名が残る。②鳴滝高グランド横から車道を進み、次に川を渡るところの橋。コンクリートの橋名がある。③鳴滝入口の石橋が残っている「古橋」(ふるはし)。これも一名「鳴滝橋」と呼ばれる。

現在の鳴滝橋は②だが、これは石橋でなかったようだ。HPの情報は③のことでなく、やはり本来の①のところの鳴滝橋であろう。今はここは暗渠橋で片側しか見えない。鳴滝高グランド横のここは、大水害前のまだ前、昭和30年代末頃までは、街のシシトキ川のような開渠であった。その年代には石橋が架かって、川を渡っていた。名残りが今の橋脇の標石であろう。改修されたのは暗渠工事の際でないだろうか。
地元で石橋のこんなことを聞いても知らない人が多い。関係官庁の保存資料もなくなっている。

古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

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古賀と船石地区に残るアーチ石橋  長崎市古賀町・船石町

昭和57年長崎大水害から残ったアーチ石橋が長崎市古賀町に1橋、船石町に2橋ある。滝の観音境内にある羅漢橋、普済橋を除き、集落の里道で今も使われているこの橋を訪ねた。
その外に、船石地区の木場橋は存在が貴重である。水害により損壊し橋は新しくなっているが、近くの田嶋邸庭(並松翠鯉の苑)に旧橋欄干の片側が移設され、立派に保存されている。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真 1   第118番  正念の橋(念橋 善八橋) 長崎市古賀町正念
年代 大正5年との近隣の住民の話   長さ 6.3m 幅員 2.0m
長崎バイパス市布古賀入口近く。付近には正念公民館や長崎市消防団第29分団6部詰所がある。もとは長崎へ山越えで抜ける間道に架かる橋のようだが、現在は下流に新しい橋が架かっている。
この橋は「2000年の東長崎」という郷土史によれば、「善八橋」として記載されている。著者が現地で橋の名前を、そのように取材されたそうだ。「善八橋」の名を併記する。

写真 2   第154番  下 大 野 橋  長崎市船石町千束野
年代 昭和35年  長さ 5.0m 幅員 4.0m
石垣バス停から右折し船石ポンプ場より左折。数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。親柱も欄干も架橋当時のまま残る。多少白い手すりが気になるが現役の橋としては安全の為にはいたしかたないだろう。このままでも充分美しい。

写真 3   第177番  千  歳  橋  長崎市船石町並松
年代 明治45年架橋、昭和12年拡幅  長さ 4.0m 幅員 4.4m
数多くの石橋が有った船石地区で57年の水害に残った石橋。古賀木場バス停から右手に入ってから更に右手に下る。拱環石もしっかりしている。周辺の風景に溶け込んで美しい。

写真 4           木  場  橋  長崎市船石町並松
近くの木場橋も水害で損傷は受けたものの残っているかも?との情報で近くを歩いたら、こんな所で遭うことが出来た。木場橋は千歳橋から少し下ったところにある田嶋邸の池の手摺に姿を変えていた。何でも大正3年に田嶋家のご先祖様の顕徳を記念して架橋したのが木場橋であったとかで、水害後の復旧工事の際に田嶋家が手摺部分を譲り受け、田嶋倉治翁の100回忌に親族の手で手摺だけが残されたものだそうだ。

57年の水害時の被害とし木場橋の上流、木場川に架かっていた石造アーチ橋で流出した橋は下流側から、すすき橋(市道中川内線、長さ6m、幅3.6m、単アーチ)・山下橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)・山口橋(市道山口線、長さ4m、幅4m、単アーチ)、また更に支流となる二双船川の二双橋(市道曲田線、長さ5.3m、幅3.5m、単アーチ)で有った。

また木場橋から下流には都通川と名前が変わって千束野橋(市道上戸石千束野線)が現在コンクリート橋として架かっているが水害時半壊し、その後解体した。
さらに下流で本流の八郎川となって角橋(市道木場線)、鎧橋が石造アーチ橋であった。

甑岩神社のイスノキ・モッコク   長崎市早坂町ほか

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甑岩神社のイスノキ・モッコク   長崎市早坂町ほか

甑岩は長崎市東部の山。江戸時代に書かれた『長崎名勝図絵』に「その頂に巌あり、甑の形のごとし崇くそびえて峭絶す」とある。愛宕・田手原を通る飯香浦行きのバス道路を行き、日吉青年の家の1つ手前のバス停が甑岩入口である。
展望台から遊歩道を甑岩神社へ歩く。岩があり樹木が密生する神社の周辺にイスノキ・モッコクなどの大木が見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(長崎の山)の説明は次のとおり。

甑岩(362m)

長崎市の早坂町・北浦町・飯香浦町にまたがる山。その姿が、お米を蒸すときに使う甑(こしき)に似ることで、甑岩と呼ばれる。… 日吉青年の家に向かう途中に甑岩のバス停がある。甑岩に向かって進むと展望台のある駐車場に着く。そこで駐車。甑岩に向かうと、アスレチック広場の公園がある。そのすぐ先に、小甑岩がある。

小甑岩の道を進むと、小甑岩神社がある。神社の側にイスノキとモッコクの大木が並んであった。… 神社から下って、甑岩に向かう。山道は途中から分岐するが、岩の尾根道は急で、岩を登ることになるが、備え付けの梯子は壊れていて、危なっかしい。岩の尾根を諦めて、傍らの山道を行くと、岩の尾根道と飯香浦町へ下る山道と合流する。そこから岩の尾根まで戻ると、見晴らしのよい岩場がある。

甑岩のなだらかな尾根を進む。アラカシ、マテバシイ、シイ、ヤブニッケイ、イスノキ、シャシャンボ、ネズミモチなどが多い。尾根道は見晴らしは良くないが、林下は草地で、花の時期には思いもしない草花と出会えそうな雰囲気があり、ちょっとワクワクする。コショウノキが花をつけていた。15分ほどで、北浦町へ下る急坂になる。…