「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

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「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

大村市三城町にある三城城跡(さんじょうじょうあと)は、JR大村駅先の裏手の小高い丘。大村純忠(すみただ)と、その子喜前(よしあき)にわたる2代の居城。慶長4年(1599)、喜前が玖島城を築いて移るまでの城跡である。現在、本丸跡には県下6万余の第二次世界大戦戦没者を祭る忠霊塔がある。(大村市HP)

三城城跡の大木を見に行った帰り、下りの道で道脇に立てかけられた標石を見つけた。ここは今、道路工事中で折れた石は上部のみ。「陸軍用…」とあった。付近をよく探すと、道の両脇に数本があった。ほとんどは「陸軍用地」と刻まれていた。
築城前墓碑跡の下の石には「陸軍所轄地」とあった。丁寧にも下の道路からの歩道石段には、上下左右の4本が立っていた。

大村市は、大戦中は軍都。今も自衛隊の部隊がいる。三城城跡の場所がどう利用されていたかわからないが、ここに忠霊塔が建てられているのは、軍の要衝の施設があったためではないか。
長崎市浜平1丁目の中央タクシー本社横、「浜平中央ビル」の下角にあった原爆の熱線を浴びたと思われる「陸軍所轄地」の黒い標石は、先項で紹介している。
大村へ出向き、たまたまここで見つけたこの標石も、その関連から記録しておきたい。