長崎外の古写真考」カテゴリーアーカイブ

長崎外の古写真考 目録番号:2360 火消し衆(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2360 火消し衆(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2360 火消し衆(2)

目録番号:4841 火の見櫓前に勢揃いした火消組
〔画像解説〕
鍛冶橋警視庁火の見櫓前である。火事の消化は警視庁消防本部の仕事だった。明治になり消防局が設けられた時、いろは48組の町火消を管轄下に置いた。明治7年警視庁が創設されると、彼らは警視庁の組織に組み入れられた。さすがトビ職、櫓に乗り、屋根に乗り、これだけの人数でもみな顔が写っている。初めて公式に出初式を行った明治8年(1875)1月4日と思われる。

■ 確認結果

目録番号:2360「火消し衆(2)」は、次の目録番号:4841「火の見櫓前に勢揃いした火消組」のとおり、東京「鍛冶橋警視庁火の見櫓」前ではないだろうか。
「さすがトビ職、櫓に乗り、屋根に乗り、これだけの人数でもみな顔が写っている」とあり、黄囲線の工作物?も同じである。
解説中の「火事の消化」は、「消火」の間違い。撮影年代は、同じ明治8年(1875)だろう。

目録番号:2360「火消し衆(2)」は、米国セイラム・ピーボディー博物館所蔵「モースコレクション/民具編 モースの見た日本」小学館2005年刊179頁にも、同じ写真が掲載されている。タイトルは次のとおり。解説はない。撮影年代は、「1890年頃」となっている。
414 火消し ca.1890

長崎外の古写真考 目録番号:2136 杉並木を行く駕籠 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2136 杉並木を行く駕籠 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2136 杉並木を行く駕籠

目録番号: 834 駕籠道中
〔画像解説〕
ここに見える駕籠は、山駕籠という粗末なもの。背景の杉並木は、日光か箱根のものであろう。駕籠の行列が、街道の道筋とは異なっているのが不自然である。恐らく撮影のための演出であろう。

目録番号: 211 箱根街道の駕籠道中
〔画像解説〕
箱根元箱根の杉並木に並ぶ山駕籠と雲助の行列で、何度も複製されて、箱根の雲助の写真として有名だが、最初の写真はネガ番号から日下部金幣の撮影と思われる。いかにも、土産用に作られた不自然な配列である。

■ 確認結果

目録番号:2136「杉並木を行く駕籠」と、次の目録番号: 834「駕籠道中」は同じ写真である。
2作品は、3枚目の目録番号: 211「箱根街道の駕籠道中」と同じような構図で撮影されている。箱根街道の風景ではないだろうか。杉並木は似ている。
撮影者は要調査。「日下部金幣」は「日下部金兵衛」か。横浜の弁天通に開設した写真スタジオが「金幣写真」。

長崎外の古写真考 目録番号:2121 日光東照宮(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2121 日光東照宮(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2121 日光東照宮(1)
〔画像解説〕
日光東照宮の奥社の拝殿右側から本社の拝殿や陽明門などを見下ろしている。奥社の宝塔には徳川家康の眠る神柩(しんきゅう)が納められている。画面手前に見えるのは本社拝殿の屋根。画面中央の杉の右側にある白い柱の建物が陽明門。右端は神輿舎(しんよしゃ)である。

目録番号: 88 日光東照宮外観
〔画像解説〕
奥社の杉並木の合い間より陽明門裏面を見る。 左に神楽殿、 右に神輿舎があり、 手前に拝殿の屋根がある。 陽明門の屋根は入母屋造りで四方に唐破風をつけている。 陽明門から始まる本丸の回廊は本社を囲み、 本社の裏手は石垣である。 その上に奥社がある。

■ 確認結果

目録番号:2121「日光東照宮(1)」は、次の目録番号: 88「日光東照宮外観」と同じ写真である。〔撮影者:日下部金兵衛〕となろう。タイトルの調整も必要。

長崎外の古写真考 目録番号:2110 山間の民家

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2110 山間の民家

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2110 山間の民家

目録番号:5044 箱根街道(3)
〔画像解説〕
現在の小田原市入生田並びに箱根町山崎辺りから湯本方向を眺めた写真である。中央の道は東海道(現在の国道一号線)で、道の両側の民家には荷車や人力車・桶等が見える。兄弟らしき子供3人も写っている。右端に電信柱が見え、明治6年(1873)の東京・長崎間の電信敷設後のものと分る。

■ 確認結果

目録番号:2110「山間の民家」は、次の目録番号:5044「箱根街道(3)」のとおり、松並木の街道で、背景の山の重なりと特徴的な大萱葺の家から、神奈川県足柄下郡箱根町湯本山崎の風景と思われる。

長崎大学のデータベースには見当たらないが、ベアト撮影の「view on the tokaido」もあるので、次の記事も参照。資料は前のを再掲。 https://misakimichi.com/archives/2623

実はこの古写真は、HP「OLD PHOTOS of JAPAN」に掲載されていた。〔撮影者:江南信國〕となる。同解説は次のとおり。

1890年代の箱根 • 田舎道
タグ: 江南信國 • 明治 • 箱根 • 田舎 • 眺望
箱根の湯本にある三枚橋の辺りの田舎道の美しい眺め。道路に立っている子供達、女達、農夫たちや旅人達の関心が、この写真を撮った榎波信国に集まっている。皆明らかに興味深々である。箱根は神奈川県にあって横浜から遠くなく、当時も今も温泉保養地として人気がある。三枚橋は早川にかかる木の橋で、小田原と箱根の間の東海道上の重要な宿場だった。

この写真は、江南信國が箱根一帯で撮影した約40枚の写真の内の一枚。テリー・ベネットの
「Old Japanese Photographs: Collectors’ Data Guide」によると、榎波が撮った三枚橋という題名の写真はもう一枚あり、その番号は21番である。
この細部を見ると、この田舎道に色々な人々がいるのがわかる。
グーグルの地図では、現在の三枚橋の場所はわかるが、この写真を撮った正確な場所を確かめることは未だできていないので、確かな情報をいただければ大歓迎である。

長崎外の古写真考 目録番号:1893 川遊びをする娘たち

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1893 川遊びをする娘たち

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1893 川遊びをする娘たち
〔画像解説〕
振り袖姿の3人の女性が平船にのって舟遊びをしようとしている。岸と船との間は一枚の板が渡されている。恐る恐る板の上を渡る女性。

目録番号:2610 鴨川の床の夕涼み(3)
〔画像解説〕
鴨川四条大橋西詰南側の床の上で夕涼みに興じる舞妓・芸妓を撮影する。舞妓・芸妓のうち、左側の2人は盃で酒を酌み交わし、右の2人は拳遊に興じている。床の上には行灯や煙草盆が置かれる。背後には鴨川東岸の町並みが続き、五条大橋が見える。写真は京都の観光絵葉書のために撮影されたものであろうか。玉村康三郎撮影。

■ 確認結果

目録番号:1893「川遊びをする娘たち」は、どう見ても京都鴨川の光景だろう。次の目録番号:
2610「鴨川の床の夕涼み(3)」のとおり、奥に見えるのは「五条大橋」ではないだろうか。大橋中央後方の立木?や背景の山並みが似ている。
なお、目録番号:2610「鴨川の床の夕涼み(3)」は、〔撮影者:玉村康三郎〕となろう。

長崎外の古写真考 目録番号: 793 長崎の庭園

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 793 長崎の庭園

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 793 長崎の庭園
〔画像解説〕
ベアト撮影。「長崎近くの森の飛び石と橋、66年1月」と書かれているが、これは

■ 確認結果

目録番号: 793「長崎の庭園」は、画像解説が「これは」で書きかけ終わっている。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2−外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊の40頁には、タイトル「55.江戸の庭園」としてある。
上記の画像解説は、これを書きかけて終ったのだろう。横浜開港資料館編のタイトル「江戸の庭園」が正しいと思われる。ベアトのメモが記憶違いか、写真が入れ替わっていたのではないか。

長崎外の古写真考 目録番号:1764 大法要の人出

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1764 大法要の人出

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1764 大法要の人出
〔画像解説〕
大規模な法要である。中央に2列に並んだ僧侶の長い列が続く。周囲に溢れた人々がひしめいている。

■ 確認結果

目録番号:1764「大法要の人出」は、東京の池上本門寺で明治14年に行われた、「日蓮入滅後600年遠忌」の模様だと言われる。
石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の285頁に、次のとおり解説している。HP「石黒コレクション」にも同じ写真が掲載されている。

【日蓮上人遠忌】Ⅱ16−13
本門寺は日蓮宗開祖日蓮の入滅の地である。日蓮は療養のため身延山を出立し常陸へ向かう途次、池上の領主で本門寺の創立者でもある池上宗仲の屋敷で、弘安5年(1282)10月13日に入滅。この写真は明治14年に池上本門寺で行われた、日蓮入滅後600年遠忌の模様だと言われる。
多くの僧侶と見物人が写っている。明治14年は日本に乾板はまだ伝わっていないので、湿板写真法で撮られた筈だ。しかし、これ程多くの人がいて、殆どブレていないのが不思議だ。写真師は不詳だが、相当の技術をもった人に違いない。場所は、経蔵背後の古くからある車坂だろうか。六切大。〔Y〕

長崎外の古写真考 目録番号:1202 和船(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1202 和船(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1202 和船(2)
〔画像解説〕
港に停泊している5艘の和船であるが、皆同型のようである。整理番号6-27「和船(1)」は帆を上げているが、同じ型である。これらの船は江戸中期から明治半ばまで活躍した北前船である。

■ 確認結果

目録番号:1202「和船(2)」は、東京の佃島前の風景である。石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の261頁に、次のとおり解説している。

【大川に停泊中の荷船】Ⅱ12−10
同じ写真を大阪としている写真集があり惑わされたが、これは東京である。Ⅱ12−06と背景の家並みが同じであるし、帆柱の間に住吉神社の屋根も垣間見えるから、バックは佃島である。
一見したところ石川島灯台がないように思えるが、手前の弁財船の船尾の上部に、チラリと小さく見える屋根が灯台らしい。随分低い灯台だった。Ⅱ12−07の右に見える白い倉庫が、灯台より少し右手にあるから位置関係は合っている。〔Y〕

長崎外の古写真考 目録番号:1793 都踊り(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1793 都踊り(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1793 都踊り(1)
〔画像解説〕
都踊りは京都祇園の芸妓の踊り。毎年4月1日から30日まで京都祇園の歌舞練場で催される。明治5年(1872)に始まる。したがって整理番号42-27、47-28、47-29の写真はこれ以後の撮影。

目録番号:1794 都踊り(2)   (掲載略)
〔画像解説〕
京都祇園で毎年開かれる都踊りの写真。鼓、三味線の伴奏で、芸妓が一人扇を開いて踊っている。背後は大きな屏風。

目録番号:1795 都踊り(3)   (掲載略)
〔画像解説〕
京都祇園で毎年4月に開かれる都踊りの写真。屏風を背に華やかな集団の踊り。「毎年踊り子と演奏者はもっとも有名な踊り子と歌い手である。」という意味の英語が付されている。

■ 確認結果

目録番号:1793「都踊り(1)」の左下キャプションを拡大すると、「IN KYOTO」のような英字が見える。〔撮影地域:京都〕で良いのではないか。
関連作品の目録番号:1794「都踊り(2)」、目録番号:1795「都踊り(3)」も同じ。

長崎外の古写真考 目録番号:1531 順磨の浦

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1531 順磨の浦

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1531 順磨の浦
〔画像解説〕
高台から須磨の海岸を撮影した写真である。民家と農夫が撮影されている。

■ 確認結果

目録番号:1531「順磨の浦」のタイトルは、「須磨の浦」が正しい。