長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2110 山間の民家
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:2110 山間の民家
目録番号:5044 箱根街道(3)
〔画像解説〕
現在の小田原市入生田並びに箱根町山崎辺りから湯本方向を眺めた写真である。中央の道は東海道(現在の国道一号線)で、道の両側の民家には荷車や人力車・桶等が見える。兄弟らしき子供3人も写っている。右端に電信柱が見え、明治6年(1873)の東京・長崎間の電信敷設後のものと分る。
■ 確認結果
目録番号:2110「山間の民家」は、次の目録番号:5044「箱根街道(3)」のとおり、松並木の街道で、背景の山の重なりと特徴的な大萱葺の家から、神奈川県足柄下郡箱根町湯本山崎の風景と思われる。
長崎大学のデータベースには見当たらないが、ベアト撮影の「view on the tokaido」もあるので、次の記事も参照。資料は前のを再掲。 https://misakimichi.com/archives/2623
実はこの古写真は、HP「OLD PHOTOS of JAPAN」に掲載されていた。〔撮影者:江南信國〕となる。同解説は次のとおり。
1890年代の箱根 • 田舎道
タグ: 江南信國 • 明治 • 箱根 • 田舎 • 眺望
箱根の湯本にある三枚橋の辺りの田舎道の美しい眺め。道路に立っている子供達、女達、農夫たちや旅人達の関心が、この写真を撮った榎波信国に集まっている。皆明らかに興味深々である。箱根は神奈川県にあって横浜から遠くなく、当時も今も温泉保養地として人気がある。三枚橋は早川にかかる木の橋で、小田原と箱根の間の東海道上の重要な宿場だった。
この写真は、江南信國が箱根一帯で撮影した約40枚の写真の内の一枚。テリー・ベネットの
「Old Japanese Photographs: Collectors’ Data Guide」によると、榎波が撮った三枚橋という題名の写真はもう一枚あり、その番号は21番である。
この細部を見ると、この田舎道に色々な人々がいるのがわかる。
グーグルの地図では、現在の三枚橋の場所はわかるが、この写真を撮った正確な場所を確かめることは未だできていないので、確かな情報をいただければ大歓迎である。