一ツ葉杜の由来 長崎市梁川町
一ツ葉杜(ひとつばのもり)の石塔などのお堂は、長崎市梁川町7街区にある。長崎市立病院成人病センターから梁川公園の方へ、国道の裏通りを進むと、左奥の駐車場のところに見える。
現地説明板は、次のとおり。
一ツ葉杜(ひとつばのもり)由来
今より約四百年前の長崎奉行六代目竹中菜女正重興より召喚され、豊後の国より来崎した二代目当主、志賀親勝宗色は浦上、渕村(西町より神の島)を知行(土地をもらう)され志賀山(護国神社)を拠点に庄屋として行政を掌った(県立図書館渡辺文庫より)。
以後代々庄屋として継承され九代目当主、志賀新左衛門新壽宗貞の時に宗貞がある晩、現在地(当時浦上川川沿)の通路を通りがかった際「志賀!志賀!」と呼び捨てに呼ぶ声が聞こえるので立ち止まり、自分を呼び捨てにする者などいない筈なのに何者かと辺りを見回したが姿は見当たらずその晩は帰宅しました。
しかし、昨晩のことがどうしても不思議に思い、翌朝また現地に来て見るとなんと大友宗麟の腹心、一ツ葉の首がさらし首で川岸にありました。宗貞はびっくり驚き、さっそく『流岸浄生信士』と石塔を刻み建立し手厚く葬りました。その石塔が左側の塔で右横に願主宗貞の名が刻まれてあります。
右側の自然石碑は元公卿様で(官女)通称宝塔様大納言と称され(大臣の位)、石碑には『玉秀命神霊』と刻まれてあります。この碑は長崎二代目市長、横山寅一郎により長崎市建立として建てられた碑で、裏側に明治三十二年十二月長崎市建立と刻まれてあります。(長崎市典歴史編より)
玉秀命(たまひでのみこと)は長崎港湾改良工事、水道増設、長崎商品陳列所の建設等、長崎発展の為に多大な貢献をなされ、その功績を讃え建立された碑です。中央の観音像は皇族の方の名のある祈祷師として山崎教随先生が鎮魂の像として献納されたもので現在、穴弘法山に教随先生の銅像が建立され祭られてあります。
以上のような由来があり首から上の病、頭の神として祭られ入学、入試、神経系統、心の病、ストレス等、無病息災、安全健康等に大変御利益があり信仰祭られてあります。御参拝、御祈祷されてみてください。
(詳細は筆者林田敏博まで)