ステッセル将軍一行上陸の碑  長崎市丸尾町

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ステッセル将軍一行上陸の碑  長崎市丸尾町

日露戦争において、乃木希典大将とロシアのステッセル将軍が旅順開城の交渉をし、ステッセル将軍とロシアの将兵は、明治38年(1905)1月14日、長崎に上陸した。
この上陸の碑が、長崎市丸尾町の旭橋近く川岸に建立されている。碑文は次のとおり。
碑の下部にある上陸の古写真は、このあたりの景色に間違いないだろう。

日露戦争で旅順を守った勇将にして仁将
ステッセル将軍一行上陸の碑  明治三十八年(1905)一月十四日上陸

日ロ親善を期して 平成22年(2010)7月建立 長崎日ロ協会

「(明治)天皇陛下はステッセルの(旅順)苦戦を嘉(よ)みし、武士の名誉を保たしむ可き旨、攻団(乃木)軍司令官に電命せらる。ステッセル将軍は帯勲帯剣のまま、敬すべき軍人として、最上の早き時間内に於て放還されるべき事に我が大本営は夙(つと)に決議しあり」
明治38.1.3 東洋日の出新聞

ステッセル将軍及び家族の宿舎は、長崎ホテルに非ずして、ロシア人との縁で平戸小屋の道永お栄の宅に定められ…又、稲佐諸岡お松宅には将官四名を始め、福田(甚八)、中村(七平)、山野辺(右左吉)等有志の宅には夫々上級将をして予定され、諸岡お松宅にては六十人分の賄を仕出すべき用意を命ぜられ、「…一千名に近き一行なれば…事務所は悟真寺…」
明治39.1.9 東洋日の出新聞

旅順要塞司令官 ステッセルの評価については、坂の上の雲 司馬遼太郎 五巻 「水師営」
P237より、「司馬遼太郎を勝手に語るブログ」に記事がある。
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