琴海の主な史跡など (2)  琴海戸根原町・長浦町

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琴海の主な史跡など (2)  琴海戸根原町・長浦町

琴海の主な史跡などの説明は、琴海町教育委員会編「琴海町史」平成3年発行の1076頁以降「第五章 史跡史話」などから抜すい。

写真  1〜 2   1 神上墓地のクロガネモチ  (琴海戸根原町)

「自証寺前」バス停少し先の墓地。国道から左坂道を上がる。
本ブログの次を参照。  https://misakimichi.com/archives/451
(町史 1123頁)
当町内の墓地で平地に建つのは、当墓地のみではあるまいか。樹齢数百年を思わせるシラ木、空洞化しながらも、なお夏には緑陰を作って、祖霊を安住させるが如くに立ち続ける。日本人の考えでは33年忌が済むと、祖神となるという。祖神の依代として、シラ木が立つ当平地が選ばれたのであろうか。新旧型の墓石が混じて約150基、寛永4(1792)年、天保2(1831)年の頭頂櫛形の古墓石が見いだされる。

写真  3〜 5   2 土井ノ浦海岸のアコウ  (琴海戸根原町)

戸根か長浦から、パサージュ琴海アイランドGCの方へ向かう。半島東側の入江が土井ノ浦海岸で、公園として整備され、外海町から移植されたアコウ記念樹がある。
本ブログの次を参照。  https://misakimichi.com/archives/449
(現地説明板)
琴海町のアコウ樹
アコウは、アコギまたはアコノキなどいわれるクワ科の常緑高木です。イチジクのような小果を結びわが国では九州、四国、本州の暖地に分布します。県内では本土の沿岸暖地や五島・平戸・壱岐・鷹島等のキリスト教信者の多い島に多く大木を見ることができます。亜熱帯植物で奇観を呈することが多いですが、琴海町のアコウ樹は県内でも一級の巨樹の部類に入ります。大きさは根回り6.5メートル、胸高幹回り4.8メートル、高さが10.4メートルとなっています。このアコウは護岸整備竣工の記念樹として外海町から移植したものです。

写真  6〜10   3 小崎の城  (琴海戸根原町)

国道から東方に見え、パサージュ琴海アイランドGC道路へ入る。その途中にあって、現在は「琴海中央公園」として整備されている。城跡は展望台西側の高地。
(町史 1124頁)
土井の浦にあって、海を背に、前面を戸根原川に臨む要塞地。戸根原川と山城間に開かれた水田は、江戸期開拓の新田であり、中世末期までは、葦茂る浜辺であったと考えられる。当城を『郷村記』にみると、「高さ平地より壱町(109m)程、四方深谷、北の方絶壁なり。頂上平地あり、七間方(13m四方)程野地なり、西の方に少しの平地あり。其の間に堀切の形残れり、東北の間海なり、城主築立由緒不知」とある。土地の人は「こじょうじ城」と呼ぶ。古城の地跡の意であろう。

写真 11〜13   4 神上の山神  (琴海戸根原町)

国道からパサージュ琴海アイランドGC道路の反対側へ入る。河内川に沿った車道を行くと、上流に「山の神橋」あり。その手前が神社である。
(町史 1122〜1123頁)
戸根原川上流の河内川南側、大岩石の中に鎮座する山神で、『郷村記』に載る古社である。同伴の西浦春次が「こりゃ、ええ所におらるざい」と思わず口ばしる。筆者(町史の執筆者山口博氏)も当町内で数か所の山神、畿内では数多く訪ねたが、巨大な石鳥居、常夜灯の立つ山神は初めてである。境内は奥行き30m、幅2m、向かって右に川、左に巨岩聳立、境内は全て石畳を思わせる岩盤、奥まった所にニ祠あって、いずれも入母屋平入り、一は台石とも80cm、奥まった所に建つ小祠は30cm、石室に「三千万山之神」と記してある。神酒、マガリが供えられてある所は当社のみ。供え物については、山神の概説の項で述べたが、山を支配する山神の鎮座地として、これほどの格好の地は全国的にも珍しい。

写真 14〜15   5 長浦橋  (長浦町)

「長浦」バス停から手崎川へ向かい、旧県道の道へ入る。手崎川に昭和4年3月竣工の「長浦橋」。次に古い橋は、琴海形上町の四戸川に昭和6年5月竣工の「四戸川橋」(写真16)。
(町史 589頁) 交通の発達から
⑦長浦地区  旧県道は戸根原から直進して国道を横切り、長浦川を直角に渡る。この橋は現存する琴海町最古の橋で、長さ6m50、幅4m、昭和4年3月架橋。鉄棒を芯棒にセメントで包み固め、ランカンも中柱で空間をつくることなく、全部がセメント塗り、高さ30cmで扇子形をなしている。昭和4年ころの道幅を示す橋としても大切な橋といえよう。… 

写真 17〜19   6 「萩原峠越え」の古道標  (長浦町)

長浦バス停から手崎川へ向かい、左右岸の車道を1kmほど上流に行く。手崎川が角々に曲ったあたりに坂本宅がある。坂本宅入口と橋の間の右石垣上に古道標が立つ。
幅15cmほどの角柱、高さ50cm。正面「右 かめのうら かたがみ 道」、左面「左 山 道」、右面に「明治八年 乙亥十一月 施主 佐木喜代作 濱口直左エ門 小林辰蔵 溝口共吉」?と刻む。
本ブログの次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2866
(町史 148〜151頁) 往還道から
…大子から手崎へは無人地帯の山系を通った。「さやの首」と呼ばれる所に「籠立石」があって、現国道から2kmの西側山中に位置する。いよいよ萩原峠越えとなる。鬱蒼たる山中道は、約200mで手崎農道に出た。楠原や長浦岳が展望されて急に天地が開けた。農道は旧道の石垣を残して拡幅されており、東へ300m歩くと、ミカン収納庫がある。農道を離れて山中へ分け入ると、古道の面影を盛り土道に残している。横断する農道を3つほど横切り、畑中の古道を駆け下ってようやく手崎川に出た。これが「萩原峠越え」である。…

写真 20〜22   7 三社大神のヤマモモ・ホルトノキ  (長浦町)

長浦バス停を過ぎ、国道がカーブする所の上に歩道橋が渡る。手前から右方の狭い車道を登り左の道に入ると、三社大神宮の鳥居前へ出る。社殿周りの森には巨木が林立している。
板根になったホルトノキの大木もある。
本ブログの次を参照。  https://misakimichi.com/archives/452
(町史 1114頁)
明治八年神社調帳では、「三社大神、建立年代不詳、社地六畝一八歩、境内・末社山神、祭神大山祗命」とあり、『郷村記』も同様記事を載せる。明治9年長浦村社に列せられ、戦時中には小学校全員が挙って参拝した思い出がある。旧長浦村内神社五社のうち、創建年代不詳と記されるのは当社のみ。鳥居3基の第1鳥居は明和元(1764)年建立。
社地に入ると、平地ではあるが社地広大、緑の巨木鬱蒼と茂り、長年月の間神域として崇拝されてきた歴史を物語る。中でも社域入り口のヤマモモの木は、樹齢数百年を思わせ、洞穴の直径2m余。これを神の依代として、天文8(1539)年に三社大神を祀ったのに始まる。…

写真 23      8 真珠養殖  (長浦町)

形上湾内で見られる真珠養殖所と海面の浮玉。写真は小島が浦手前の長浦町深江真珠。
大村湾の天然真珠は「肥前風土記」から表れる。大村藩時代は、藩の直営産物とし、一般人の採取を禁じていた。
(町史 1039頁)
…大正七年『村松村誌』は、「九、特産」で真珠について次のように記す。
本村ノ浦内ハ波穏ヤカニシテ、海底ノ傾斜徐ニナルガ故ニ、真珠貝ノ棲息ヲ易カラシメ、其他砂礫ノ状態温度亦繁殖ニ適スルアリ。其産格ニ於テ其品質ニ於テ夙ニ名声アリ。県当局ニ於テモ其養殖ニ最モ適所ナルヲ認メ、数回試殖ヲナセシモ、其結果非常ニ良好ナリキ。現今数区ニ分チ、個人ノ経営スルトコロトナリ、天然養殖ノ外、人工養殖ノ方法ヲ案出シ、独特ノ技術ヲ施シ、其成績ハ頗ル良好ニシテ品質優秀殆ンド天然物ト識別スル能ハス、実ニ洋々タル前途ヲ有ス。
村松村の西村真珠養殖所と、楠木真珠養殖所は大正二年創業。大村湾、長崎県真円真珠養殖の草分け的存在であった。…