長崎の風景・史跡 (市中央)」カテゴリーアーカイブ

長崎グラバー園 (2)  長崎市南山手町

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長崎グラバー園 (2)  長崎市南山手町

JR長崎駅から路面電車またはバスで大浦方面へ行き、大浦天主堂下で下車。徒歩7分。大浦天主堂の横に「長崎グラバー園」ゲートがある。入園料は大人600円。
南山手・東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る国の重要伝統的建造物保存地区。中でもグラバー園は、眼下に長崎港が広がる絶景の地、南山手の丘に立地する。

外国人居留地であったこの地にもともとあった旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅(いずれも国指定重要文化財)が保存されているほか、市内各所に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元し、昭和49年(1974)に「グラバー園」として開園した。

長崎グラバー園の入園パンフレットによる説明は次のとおり。
(1)に旧リンガー住宅・旧オルト住宅、(2)に旧リンガー住宅の写真。
長崎版画は旧スチイル記念学校に、くんち出し物は長崎伝統芸能館に展示。
樹木は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1441                  
時は幕末、外国人たちの街だった、南山手の丘

鎖国の時代、西洋への唯一の窓口となっていた長崎。
開国後は、長崎、神奈川(横浜)、函館、兵庫(神戸)、新潟の5つの町が開港され、それぞれの町に「外国人居留地」が造られました。
グラバー邸があるここ南山手も、眼の前に広がる長崎の港を望み、隣の東山手の丘とともに、外国の人々や文化を受け入れる居留地として栄えていたのです。
21歳の頃、グラバーはこの辺りでももっとも見晴らしのいい場所を選び、屋敷を構えました。
その後の大戦も、グラバーの邸宅やリンガー邸、オルト邸は奇跡的に戦禍をまぬがれました。
現在は長崎市内から移築された6つの洋館とともに、当時の長崎の風景を今に留めています。

K  旧グラバー住宅
真上から見ると屋根が四葉のクローバーの形をしている旧グラバー住宅は、江戸時代末期に建てられた、日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されています。中には愛用のステッキや釣り道具など、グラバーゆかりの品々が展示されているほか、天井裏には隠れ部屋も残されています。

F  旧リンガー住宅
英商フレデリック・リンガーの旧邸は、外壁石造りの木造住宅。優雅な南欧風バンガロー形式の建物で、明治初期洋風建築として貴重な建物となっています。

G  旧オルト住宅
江戸時代末期に天草出身の職人・小山秀之進が手がけたウィリアム・オルトの旧邸。タスカン様式の列柱が印象的で、ポーチ横には日本最古で最大級の木香バラが茂っています。重要文化財に指定され、裏手には当時の厨房や貯蔵庫がそのまま残されています。

長崎グラバー園 (1)  長崎市南山手町

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長崎グラバー園 (1)  長崎市南山手町

JR長崎駅から路面電車またはバスで大浦方面へ行き、大浦天主堂下で下車。徒歩7分。大浦天主堂の横に「長崎グラバー園」ゲートがある。入園料は大人600円。
南山手・東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る国の重要伝統的建造物保存地区。中でもグラバー園は、眼下に長崎港が広がる絶景の地、南山手の丘に立地する。

外国人居留地であったこの地にもともとあった旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅(いずれも国指定重要文化財)が保存されているほか、市内各所に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元し、昭和49年(1974)に「グラバー園」として開園した。

長崎グラバー園の入園パンフレットによる説明は次のとおり。
(1)に旧リンガー住宅・旧オルト住宅、(2)に旧リンガー住宅の写真。
樹木は次を参照。  https://misakimichi.com/archives/1441                  
時は幕末、外国人たちの街だった、南山手の丘

鎖国の時代、西洋への唯一の窓口となっていた長崎。
開国後は、長崎、神奈川(横浜)、函館、兵庫(神戸)、新潟の5つの町が開港され、それぞれの町に「外国人居留地」が造られました。
グラバー邸があるここ南山手も、眼の前に広がる長崎の港を望み、隣の東山手の丘とともに、外国の人々や文化を受け入れる居留地として栄えていたのです。
21歳の頃、グラバーはこの辺りでももっとも見晴らしのいい場所を選び、屋敷を構えました。
その後の大戦も、グラバーの邸宅やリンガー邸、オルト邸は奇跡的に戦禍をまぬがれました。
現在は長崎市内から移築された6つの洋館とともに、当時の長崎の風景を今に留めています。

K  旧グラバー住宅
真上から見ると屋根が四葉のクローバーの形をしている旧グラバー住宅は、江戸時代末期に建てられた、日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されています。中には愛用のステッキや釣り道具など、グラバーゆかりの品々が展示されているほか、天井裏には隠れ部屋も残されています。

F  旧リンガー住宅
英商フレデリック・リンガーの旧邸は、外壁石造りの木造住宅。優雅な南欧風バンガロー形式の建物で、明治初期洋風建築として貴重な建物となっています。

G  旧オルト住宅
江戸時代末期に天草出身の職人・小山秀之進が手がけたウィリアム・オルトの旧邸。タスカン様式の列柱が印象的で、ポーチ横には日本最古で最大級の木香バラが茂っています。重要文化財に指定され、裏手には当時の厨房や貯蔵庫がそのまま残されています。

長崎グラバー園と中島川岸のハートストーン

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長崎グラバー園と中島川岸のハートストーン

長崎の主な神社・寺などの縁結びや安産の「陰陽石」を見たついでに、長崎観光名所の「ハートストーン」も訪ねた。見つけたら恋の願いが叶うという。写真は次のとおり。

写 真  1〜 8  長崎市南山手町 長崎グラバー園
2つある。小さな石で表示板はない。人だかりがないときは探すのに苦労する。
写 真  9〜18  長崎市諏訪町 中島川岸(眼鏡橋近く)
はっきりしたのは1つ。そのほかハートに似た砕石が5〜15個はあるという。

長崎の主な神社・寺などの陰陽石

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長崎の主な神社・寺などの陰陽石

長崎諏訪神社の長坂参道にある敷石の陰陽石を見たついでに、思い出した長崎の主な神社・寺などの同じような陰陽石を訪ねてみた。写真は次のとおり。
長崎市内の全般と詳しい説明は、岩永弘氏著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊があるので参照。

写 真  1〜 4  長崎市上西山町 諏訪神社の「縁結びの陰陽石」を再掲。
一の鳥居付近に男石、四の鳥居付近に女石、拝殿前に合体石。
写 真  5〜 8  長崎市矢上町 矢上神社。「安産股ぎ石」
新日見トンネルの貫通石の八角形玄武岩。平成5年9月(株)間組が奉納。
写 真  9〜12  長崎市丸山町 料亭青柳の「陰陽石」
玄関前。上の割れているのが女石。白い浜石を挟み、その下が男石という女将の話。
写 真 13〜15  長崎市東小島2丁目 正覚寺の「陰陽石」
そのものズバリ。立派な表示板が設置されている。

トードス・オス・サントス跡  長崎市夫婦川町 春徳寺

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トードス・オス・サントス跡  長崎市夫婦川町 春徳寺

長崎市新大工町商店街からシーボルト通りへ向かう。長崎市立桜馬場中学校の角に出て、学校の石垣に沿った道を上がると「春徳寺」へ着く。
トードス・オス・サントス跡。当時の遺構として井戸が残っているが、写し忘れた。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

トードス・オス・サントス跡(セミナリヨ及びコレジヨを含む)  県指定史跡

指定年月日 昭和41年4月18日  所在地 長崎市夫婦川町135  所有者 春徳寺
トードス・オス・サントス(Todos os Santos)ポルトガル語で「諸聖人」の意。長崎で最初に建てられた教会である。永禄12年(1569)ビレラ神父によって長崎甚左衛門がイルマン・ルイス・アルメイダに与えた土地に建てられた。
慶長2年(1597)セミナリヨの一部コレジヨと金属活字印刷所が一時的にここに移された。その後慶長7年(1602)と慶長10年(1605)修錬院も開かれ、慶長17年(1612)有馬から追放されたセミナリヨはここに移り禁教令まで存続した。
教会の建物は元和5年(1619)まで残り、後に春徳寺が建立された。当時の遺構として井戸が残っている。

桜馬場天満神社  長崎市桜馬場1丁目

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桜馬場天満神社  長崎市桜馬場1丁目

長崎市新大工町商店街からシーボルト通りへ向かう。商店街を出た交差点のすぐ先の通りの左に鳥居があり、奥へ行くと「桜馬場天満神社」がある。
天満神社大祭の準備をしていて、社殿内部の天上絵を写せた。御神橋は石橋の項を参照。
九州文化図録撰書3「長崎街道」のぶ書房2002年刊、越中哲也氏稿「天領長崎」75頁による説明は次のとおり。
四、桜馬場郷

…長崎の町の入口である新大工町大門に着く。その門のすぐ近くに天満社威福寺があった。この寺は僧高順が慶長12年(1607)に創建した長崎最初の神社で、中に立派な本殿も建ち、寺の名は威福寺といった(現在の桜馬場天満宮)。
その威福寺が有名になったのは、江戸参府のオランダ人が長崎の町を離れる時、必ずこの寺に立ち寄らされ、道中の安全を祈らせられたからである。
このことは『紅毛通詞年番行事』や、シーボルトの『江戸参府旅行記』に詳しく記されている。…

松の森通り・松森神社  長崎市上西山町

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松の森通り・松森神社  長崎市上西山町

諏訪神社の二の鳥居手前から右方へ広い道を松森神社へ行く。この通りが「松の森通り」。長崎歴史散歩道。手づくり郷土賞の通りである。
長崎通詞に英語を指導したインデェアン系「ラナルド・マクドナルド顕彰之碑」ができていた。
古い水路に桁橋が残る。松森神社にも見事な参道橋と職人尽彫板、大楠などがある。

長崎諏訪神社・長崎公園 (2)  長崎市上西山町

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長崎諏訪神社・長崎公園 (2)  長崎市上西山町

諏訪神社は鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様。諏訪・森崎・住吉の三社を祀る。長崎くんちの舞台。隣に長崎公園がある。石造物を主に見に行く。
石造橋、石門、噴水池などは、石橋の項を参照

(1)は、肥前鳥居、陰陽石の敷石、山本健吉文学碑、珍しい狛犬など。
(2)は、常夜灯、まよひ子志らせ石、太鼓楼、ピェール・ロチ碑など。

長崎諏訪神社・長崎公園 (1)  長崎市上西山町

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長崎諏訪神社・長崎公園 (1)  長崎市上西山町

諏訪神社は鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様。諏訪・森崎・住吉の三社を祀る。長崎くんちの舞台。隣に長崎公園がある。石造物を主に見に行く。
石造橋、石門、噴水池は、石橋の項を参照。

(1)は、肥前鳥居、陰陽石の敷石、山本健吉文学碑、珍しい狛犬など。
(2)は、常夜灯、まよひ子志らせ石、太鼓楼、ピェール・ロチ碑など。

長崎出身の山本健吉文学碑「母郷行」(ぼきょうこう 詩碑)は、踊り場のすぐ左下、祓戸神社のところにある。裏面に井上靖の顕彰文。立ち狛犬・逆立ち狛犬もここ。
文学碑はタッちゃんブログを参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/turbobf1516/34987618.html

母 郷 行

長崎の町を行く、雨が洗った石畳の坂道 西日のさす白壁の土蔵の前、物の匂ひのこめる市なかに、ふと少年のままたたずむ私を見る。遠い記憶の故里のかけらの中に少年はいる。
私が町を憶えてゐてくれる。それが身を何か大きなものの手に、すっぽりと委ねてゐる。寛く深い母の懐にあるような。
その時遠く潮騒やよに聞えてくる、子守歌は、うぶすな祭の笛の音、秋空に韻く太鼓の音
一九八八年(昭和六三)建立

長崎入港サン・プリンセスの夜景  松ヶ枝国際観光埠頭

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長崎入港サン・プリンセスの夜景  松ヶ枝国際観光埠頭

8月31日、長崎港松ヶ枝国際観光埠頭に、国際観光船 ” サン・プリンセス “(国籍:バーミューダ 全長:261.31m、総トン数:77,441トン)が入港。
入港の写真は、ほしなべ氏のブログ版「長崎遠めがね」 http://blogs.yahoo.co.jp/hoshinabedon/16137471.html を。
あいにくの雨があがった午後8時ころ、ちょうど通りかかったので、船の夜景を写していた。
次の予定は、10月4日の ” コスタ・アレグラコスタ・アレグラ ” (国籍:イタリア 全長:187.25m、 総トン数:28,579トン)だそうだ。