投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長崎市最大のイチョウは、茂木玉台寺の木?

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長崎市最大のイチョウは、茂木玉台寺の木?

長崎市鍛冶屋町、大音寺の本堂裏手の墓地内にあるイチョウが、長崎市指定天然記念物となっている。現地説明板は次のとおり。
長崎市の文化財HPは、「長崎市では最大のもの」と解説していないが、現地説明板を読むかぎり、イチョウは大音寺のが市内最大の木であり、天然記念物指定の一要件となったと思われる。

市指定天然記念物 大音寺のイチョウ
指定年月日 昭和51年7月20日  所有者 大音寺
イチョウは、中国原産の落葉潅木で雌雄異株である。日本には鎌倉時代に渡来したと考えられ、寺院の境内に老木が多いことから、僧侶によってもたらされたという。
このイチョウは、長崎市では最大のもので、胸高幹囲3.90m、樹高20m、斜上した枝は東西19m、南北17mの樹形をつくる。樹齢は300年をこえると思われる老木のために、枝の基部から多くの乳房状の突起を出している。この木は雄株で、もちろん「ぎんなん」はならない。
長崎市教育委員会 (平成元年3月設置)

はたしてそうだろうか。長崎市茂木町の玉台寺の境内に大イチョウがある。2008年12月の記事としていた。住職の話では、寛政4年(1782)眉山噴火(島原大変)で多くの人が亡くなり、漂着した死者をこのあたりに埋めた。それを栄養に大きくなった?らしい。

イチョウの紅葉には早かったが、きのう念のため、木の大きさを計測してきた。私の計測のため正確さを欠くが、大音寺のイチョウは、胸高(地上約1.3m)幹囲4.50m、樹高25mほど。
玉台寺のイチョウは、胸高幹囲5.10m、樹高30mほどと思われる。ともに雄株で実はついてない。玉台寺の方が幹囲は大きかった。

茂木町が長崎市に編入したのは、昭和37年(1962)1月。大音寺の木の指定当時、茂木はすでに長崎市内だった。幹囲だけが必ずしも指定の要件ではないだろうが、「玉台寺の大イチョウ」も長崎市天然記念物に指定しないと、茂木地区の人にとっては、片手落ちと感じるだろう。
茂木には、玉台寺の木と対をなす「裳着神社のイチョウ」がある。これは雌株で、2本は「夫婦銀杏」と呼ばれる。胸高幹囲3.80m、樹高20mほどだった。

大音寺のイチョウと、玉台寺のイチョウは、本ブログの次の記事を参照。紅葉時の写真も出てくる。東長崎の教宗寺境内にもイチョウがある。幹囲4mくらいだろう。
出島にしかないという県指定天然記念物「デジマノキ」が、琴海の尾戸町に樹齢140年以上の木が生えていた。これらについても長崎市において正しい調査や計測をし、正確な広報をお願いしたい。

https://misakimichi.com/archives/279
https://misakimichi.com/archives/1599
https://misakimichi.com/archives/2454

https://misakimichi.com/archives/1514
https://misakimichi.com/archives/1524
https://misakimichi.com/archives/2132

同様な例だが、南島原市や島原半島世界ジオパークHPと現地説明板で、北有馬町「面無橋」が日本唯一の自然石アーチ式石橋と記していた。
長崎市本河内高部水源池のダム底に「まぼろしの石橋」が残るなど知らせた。私に返答はなかったが、項目全体の内容や写真が更新されるきっかけとなったよう。

長崎大学附属図書館の「幕末・明治期日本古写真データベース」や、国登録有形文化財「ボードインコレクション」及び同写真集の画像解説に、疑問が多いのも困っている。
文化庁に対し、研究員の配置など含め、長崎大学学長を指導するよう先月、要望した。返答は今もってない。学生に任せた方が研究となり、予算を要せず成果があろう。

長崎の古写真考 目録番号: 50 館内から出島を望む (再掲)

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  長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 50 館内から出島を望む (再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 50 館内から出島を望む
〔画像解説〕 超高精細画像
日下部金兵衛アルバムに収められた一葉。旧唐人屋敷があった館内町の福建会館のあたりから長崎港を遠望したもの。画面左手の刹竿が立つところが土神堂で、中央にみえる橋が明治2年(1869)創架の梅香崎橋である。橋の左手に梅香崎の居留地の洋館がみえ、右手には旧新地蔵が並ぶ。橋の手前の入江は、現在の湊公園に当たる。新地の向こうには出島が望まれ、その右手の樹叢は小島の丘の先端で、対岸中央の山が稲佐山である。やや不鮮明ながら、出島の南東隅11番地(現神学校の場所)に建物がなく、梅香崎の海岸側には3番と4番の2棟の洋館しかないようだから、明治5〜6年頃の撮影であろうか。とすれば、F.ベアトの助手時代のものとなる。土神堂は明治維新以後、頽廃していたというので、画面と矛盾しない。手前の館内町一帯は、中国人たちが次第に前面の広馬場や大浦居留地に進出したため、空き地化していた様子がうかがえる。

■ 確認結果

目録番号: 50「館内から出島を望む」が、きょう朝日新聞長崎地域版2011年10月1日付「長崎今昔」に、「旧唐人屋敷跡から出島望む」として掲載された。
「1872年6月、唐人屋敷跡(現:館内町)から見た新地・出島方面です」「内田九一が明治天皇の西国巡幸に随行した時に撮影した写真を(日下部)金兵衛が入手したものと思われます」
撮影されている左手の白壁の建物は「ここは再度火災にあい、97年に再建され福建会館となります」「拡大すると旗竿に国旗が確認できます」と解説している。

新聞記事の解説は、ほぼ間違いなく修正されている。この作品は私が現地確認の上、2009年2月記事で、データベースの解説誤りを指摘していたので、次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1606
「福建会館のあたりから長崎港を遠望した」のではなく、「福建会館の上から、その福建会館(現在)と長崎港を遠望した」写真である。

新しい事実がわかり、今回の新聞記事で修正されているのは結構だが、前記のとおりデータベースの超高精細画像〔画像解説〕は、明らかに事実と違うと思われる説明のまま。
「撮影者:日下部金兵衛」、「画面左手の刹竿が立つところが土神堂」と解説し、公開している。電算システムが硬直しているため、いつまでもたっても、どの作品も修正されない。
再三、要望しているが、困っているのは、利用者や出版社などである。間違って理解されないよう、早急な対応をお願いしたい。執筆者は長崎大学附属図書館長となられた。新聞記事とする前に、まずデータベースから正しくしてほしい。

長崎の西空の夕日  11−08

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長崎の西空の夕日  11−08

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 2  2011年 8月 9日の 6時 4分頃  朝空の虹
写真  3〜 4  2011年 8月23日の18時46分頃
写真  5〜 6  2011年 9月 1日の18時48分頃
写真  7〜 9  2011年 9月 5日の18時38分頃
写真 10      2011年 9月 6日の18時44分頃
写真 11〜13  2011年 9月 5日の18時16分頃

雲仙上大野木場から仁田峠へ  2011年9月

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雲仙上大野木場から仁田峠へ  2011年9月

2011年9月25日(日)晴。雲仙の上大野木場から仁田峠(標高1078m)へ。参加10人。みさき道歩会の例会。昨年9月は登山口で雨に会い、島原新山温泉にしけこんだ。今年5月も雨のため実施できなかった。
上大野木場登山口10:00発ーボタン山ー岩床山北監視カメラ地点11:15ー展望ベンチ12:30着(昼食)13:00発ー大岩13:45−仁田峠展望台14:15着 14:30発ー上大野木場登山口17:00着(徒歩距離約9km)

かつて赤松谷から普賢岳へ登る登山道があった。21年前の平成新山噴火により谷の道は消失した。これに代わる新しい登山道として整備されているのが、きょうのコースなのだが、年数とともに荒れかけていた。
長崎を車2台で7時30分出発。雲仙経由島原外港へ下る国道の途中、「山の寺 邑居(ゆうきょ)」看板のある所から、上大野木場登山口に入る。駐車場は平成新山を見上げる真下。火砕流や土石流の現場で、赤松谷には多くの砂防ダムが築かれている。

登山口からボタン山を越すと、岩床山北の監視カメラ地点まで一気に登り、最初から疲れた。丸太の急な登りの階段は400段あった。いったん国有林道を横切るとヒノキ林となるが、長い登りの山道がまた始まる。仁田峠の展望がきくベンチ地点で、すでに12:30となり昼食とした。

13:00発、仁田峠まであと1.4mである。これからはモミ、イヌツゲなどの大木がある樹林帯となるが、涸沢や苔むした岩を登り下りする険しい道が続く。仁田峠近くの笹原に戦前の軍馬飼育用貯水槽跡があった。仁田峠展望台に14:15着いた。
標高は登山口約400m、仁田峠1078mなので、標高差、実に680mほど登っている。

全員、疲労気味。野岳(標高1142m)往復の気力もなく、時間が時間だし、仁田峠から下山した。帰りは同ルートでなく、仁田峠循環道路を少し戻り、見当をつけて道なき尾根を下ったら、ちょうど昼食を取った近く「上大野木場2.4km 仁田峠展望所1.4km」標識地点の登山道に出た。時間と体力的に大いに助かった。登山口に17:00帰着。まだ早朝の出発とすべきだったろう。

宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/28604482.html

隠岐の島の巨樹・名木 島前(2) 中ノ島・知夫里島  島根県海士町ほか

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隠岐の島の巨樹・名木 島前(2) 中ノ島・知夫里島  島根県海士町ほか

中ノ島及び知夫里島の巨樹・名木。資料がなく見かけた木だけ。現地説明板は次のとおり。

写真  1〜  7    1 北野神社のツバキ・イチョウ・スギ (海士町知々井)

菱浦港から県道317号により右回りする。天川の名水を過ぎて一山越すと知々井である。県道左下に北野神社がすぐあり、大木が見える。

(現地説明板) 
海士町の文化財  天然記念物  北野神社の椿・銀杏・杉
所在地  隠岐郡海士町大字知々井1618
所有者  北野神社
<椿>
希に見る野生の大椿で根元の周囲2m、直幹2.5m、枝は12m四方に広がり樹勢は良し。根元の片側は2m程の崖で、この椿は根上りのようになっており、曲がった太根は竜の如くである。以前は隠岐通例の方言で「ベーロ}の木と呼ばれていたとのことである。
<銀杏>
目通り4.8m、高さ約25m、雌木で勢いも良く見事な大銀杏である。
<杉>
樹種は島前在来の品種で右側のものは、目通り5.1m、左側のは過去に雷害を受けて幹はほとんど中空になっているが、目通り4.3mで共に高さ30m余あり、樹勢も良く見事な大杉である。
昭和59年  隠岐島前教育委員会指定 

写真  8〜 11    2 松養寺のイチョウ (知夫村郡)

松養寺は、来居港近くの小高い山の頂上にあり、京都東寺真言宗、後醍醐天皇ゆかりの寺。来居港から郡へ向かい、参道の急階段を歩いて登るか、消防署出張所手前から左折し車道を上がると本堂に着く。車道は途中に島根県遺跡の松養寺古墓群がある。
イチョウは本堂の右側に立つ。地元で聞いて確認に行ったが、それほど大きくない。

写真 12〜 16    3 仁夫のタブノキ (知夫村仁夫)

仁夫集落は、来居港とは島の反対側となるので、郡から海岸回りの新しい車道で行く。仁夫の中心、村営アパート?前で右折し、町中の道へ入る。少し行くと右に路地があり、奥に「隠岐八十八箇所第23番霊場」の建物がある。右奥の林内にタブノキが立つ。
パンフレットは写真を載せているが、位置図がほとんど正しくない。正確な場所を記してほしい。道路も案内板がないから注意する。

(現地説明板)
知夫村指定天然記念物  タブノキ(クスノキ科)
高さ 約10m、 根廻り 4.4m、 樹齢 不明
これは、暖地に多く自生する植物で、イヌグスとも呼ばれ隠岐一円に生育するが、現在これの巨木は珍しい。本来常緑高木で果実は野鳥の食用となり、その材はクスノキに似て建築・家具・器具に用い、皮は粉末にして線香に混ぜる。老幹は環状雲紋をなし、一名タマグスとも呼ばれる。                   知夫村教育委員会

隠岐の島の巨樹・名木 島前(1) 西ノ島  島根県西ノ島町

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隠岐の島の巨樹・名木 島前(1) 西ノ島  島根県西ノ島町

西ノ島町指定文化財一覧(平成22年11月30日現在)天然記念物によるデータ(順不同 行程順とした)や、現地説明板は次のとおり。

写真  1〜  3    1 別府のオオバヤドリギ (西ノ島町別府 森宅)

別府の住宅地内。「JA隠岐どうぜん本所」右から奥の通りに入る。ほどなく右手の家角に説明板がある。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 S61.9.27
オオバヤドリギ  1株  別府  個人  西ノ島町を北限とする暖地性の常緑樹。寄生木はユズリハ
(現地説明板) 
隠岐島前の文化財 天然記念物 オオバヤドリギ  (寄生木 ゆずりは)
特徴  西ノ島町を北限とする暖地性の常緑樹。革質で広楕円形の葉で裏面は赤褐色。よく枝分かれし、おおばぐみとよく似た寄生木で常緑広葉のしい、かし、やぶにっけい、ゆずりは、つばきなどに着生するが、時には杉、桑などにも着生する事がある。
この木の繁殖には小鳥のキレンジャク、ヒレンジャクが関係している。寄生という特異性のためその数が少ない。生態など特異性があり分布上も注目すべき貴重な植物である。
昭和61年  隠岐島前教育委員会指定

写真  な し      2 別府のオオバヤドリギ (西ノ島町別府 玉川宅)

別府の住宅地内。2の森宅の道路反対側左の家と思われるが、説明板はなかった。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 S61.9.27
オオバヤドリギ  1株  別府  個人  西ノ島町を北限とする暖地性の常緑樹。寄生木はツバキ

写真  4〜  7    3 判官館跡奥のクスノキ (西ノ島町別府)

別府の海岸通りでなく、町中の太平記通りを黒木御所の方へ行く。別府港から徒歩9分。途中に「隠岐判官館跡」案内標識がある。館跡奥の竹林の中にクスノキがある。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 H18.1.12
クスノキ  1株  別府  個人  目通幹周4.15m、樹高約28m

写真  8〜 11    4 美田尻のラカンマキ (西ノ島町美田)

黒木小学校がある美田尻バス停から、少し戻った四叉路を北側の山手の道に入る。水場まで行って右へ曲がると、竹山宅奥にラカンマキの木立が見える。バス停から200m。
パンフレットの地図では、後醍醐天皇脱出の際、立ち寄られた庄屋跡?

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 S51.5.20
ラカンマキ  1株  美田  個人   高さ20m、周2.4m、樹令不明
(現地説明板) 
ラカンマキ  (町指定記念物)
マキ科の常緑樹。樹齢不明。中国原産といわれ、植栽品か? 樹勢も旺盛で樹高20mと生育がよい。庭木・建材・生活用具などに利用される。

写真  な し      5 美田小向区有林のエドヒガン (西ノ島町美田)

美田ダムあたりらしいが、小向区有林の現地は、山道が荒れているので訪ねなかった。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 S60.9.9
エドヒガン  1株  美田小向区有林  小向区共有

写真 12〜 14    6 焼火山のカゴの木 (西ノ島町美田)

焼火神社は、焼火山雲上寺といわれ、海上安全の神。社殿は国の重要無形文化財。周辺は隠岐固有の植物が群生し、焼火神社植物群は島根県の天然記念物となっている。焼火神社の参道口駐車場まで、別府港から車で20分。神社までは、ここから歩いて400m急な道を登る。
カゴの木は神社方ではなく、駐車場からまっすぐな舗装の切れた焼火林道へ入る。荒れた林道で車は通行できない。途中に牧場跡の看板がある。約1km歩くと、林道左手に西ノ島町教育委員会「カゴノキ」の小さな表示板があり、このすぐ崖上の大木が、町指定「カゴの木」であろう。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 H2.7.10
カゴの木  1株  美田焼火山  焼火神社   根元周囲3.1m、目通周囲2.7m、樹高10m

写真  15〜 17   7 焼火山のスタジイ・焼火神社のスギ

6のカゴの木上奥の林中へ行ったら、スタジイなどの巨木群があった。焼火神社社殿前の大スギも、町指定ものだろう。

写真  18〜 20   8 福萬寺のタブノキ (西ノ島町赤ノ江)

別府港から西ノ島大橋経由で9.3km。赤ノ江バス停近くの高台に見えるのは神社で、珍崎の方へ少し向かう。右手谷間に福萬寺があり、寺の右側にタブノキが立つ。

西ノ島町指定天然記念物  指定年月日 S51.5.20
タブノキ  1株  赤ノ江  個人  根周り5.5m、目通周囲4m、樹高15〜20m
(現地説明板) 
タブノキ  (町指定記念物)
クスノキ科の常緑木。樹齢不明。イヌグスともいう。根回り約6m、樹高12m。隠岐の太古の植生を代表する貴重な植物のひとつである。

海藻の「クロキヅタ」について、国指定天然記念物のため特別に載せる。写真23は?

写真  21〜 23   9 クロキヅタ産地(西ノ島町別府湾ほか)

国指定天然記念物  指定年月日 1922.03.08(大正11.03.08) 
(西ノ島町観光協会送付資料から。資料名不明)    
クロキヅタ
緑藻類のイワヅタ科に属する海藻で、明治43年(1910)に黒木御所近くの海で発見されたことから、この名がついた。海藻とはいえ、胞子によって繁殖する他のものと異なって、ノコ切歯状に伸びた葉茎から新芽がでて増殖するところに特徴がある。
また、この海藻は、紅海が原産地であり、紅海以東の地域では愛媛県の小島と、この隠岐諸島だけに分布している貴重なものである。そのために、大正11年(1922)3月には、国の天然記念物に指定されており、海藻ではわが国唯一の天然記念物指定種である。
隠岐では、黒木御所下の別府湾のほか、海士町の菱浦湾にも見られる。海底では、安山岩の磯をおおう有機物を含んだ泥土に分布する地域に広がっている。水中での葉の色はエメラルドグリーンに似た深緑色で、3cmから60cmにまで伸びる葉もある。

隠岐の島 島前(4) 知夫里島  島根県知夫村

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隠岐の島 島前(4) 知夫里島  島根県知夫村

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、巨樹、石橋など。

島前(4)知夫里島の写真は、フェリーどうぜんで渡る、知夫里島来居港入港、島根の名水百選「河井湧水」、松養寺とイチョウ、文覚上人の墓、汐見橋、知夫村ヘリポート場、大波加島、知夫里島灯台近くからの展望、石の唐櫃古墳?、御越鼻メグリ照射燈付近の海岸、隠岐知夫赤壁、赤ハゲ山三角点、赤ハゲ山展望台、ウグイガ崎の西ノ島との海峡

国指定文化財等データベースによる解説は次のとおり。

史跡名勝天然記念物
名称: 隠岐知夫赤壁
ふりがな: おきちぶりせきへき
種別1: 名勝
種別2: 天然記念物
指定年月日: 1935.12.24(昭和10.12.24)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼,(一)岩石、鉱物及び化石の産出状態,(九)風化及び侵蝕に関する現象
所在都道府県: 島根県
所在地(市区町村): 隠岐郡知夫村
詳細解説
南ハ立ケ崎ヨリ北ハ帶ケ崎ニ至ル知夫里島ノ西海岸ニシテ延長一キロ余ニ及ブ此ノ海岸ハ其ノ北ニ隣セル西島ノ國賀海岸ト同シク粗面安山岩質玄武岩ノ断層崖ニシテ断崖ノ高サハ前者ニ一籌ヲ輸スルモ黒キ玄武岩ノ熔岩層ハ風化ニヨリテ紅赤褐黄等種々ノ色彩ヲ呈スル凝灰岩層ト相重ナリ加フルニ白色乃至灰色ヲ呈セル粗面岩若クハ粗面安山岩ノ岩脈ト黒色乃至褐色ヲ呈セル玄武岩ノ岩脈トハ縱横無盡ニ前記ノ熔岩層及凝灰岩層ヲ貫キ其ノ形状大小千差萬別ニシテ到底筆紙ノ能ク之ヲ詳スベキニアラズ 要スルニ岩石ノ色彩ノ配合ノ宜キヲ得タルト岩脈ノ形状ノ奇ヲ極ムルトハ此ノ海岸ノ特色ニシテ此ノ二点ハ國賀海岸ト同日ノ比ニアラズ岩壁ニ現ハルゝ岩脈ノ最モ著シキモノヲ昇龍岩及臥龍岩ト云ヒ前者ハ上ニ広ク下ニ狭ク中央ニ括レタル部分アリ其ノ状恰モ龍ノ天ニ昇ルガ如ク後者ハ横ニ長クシテ蛟龍ノ臥スルニ似タリ全海岸ヲ通シテ崖下ニハ土地ノ隆起ニヨリテ生シタル二段ノ波蝕海壇アリ海壇上ニハ波蝕甌穴ノ美ナルモノアリ又數夛ノ波蝕洞窟ノ外男池及女池トスル波蝕溝アリ背景ノ赤平山ハ隱岐特有ノ牧畑ニ供用セラレ軟草地ヲ蔽ヒ灌木之ヲ點綴シ四季ニ從テ其ノ色彩ヲ變スルモ晩秋ノ黄赭色ハ断崖ノ色彩ト調和最モ宜キヲ得ルモノゝ如シ

隠岐の島 島前(3) 中ノ島  島根県海士町

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隠岐の島 島前(3) 中ノ島  島根県海士町

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、巨樹、石橋など。

島前(3)中ノ島の写真は、入港直前三郎岩、中ノ島菱浦港入港、小泉八雲広場、隠岐神社、金光寺山からの展望、明屋海岸、御塩司所、日本名水百選「天川の水」、北野神社杉・銀杏・椿の巨木、奈須神社の石神様、木路ヶ崎灯台、風呂屋海水浴場

隠岐の島 島前(2) 西ノ島  島根県西ノ島町

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隠岐の島 島前(2) 西ノ島  島根県西ノ島町

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

島前(2)西ノ島の写真は、外浜海水浴場、由良比女神社、同神社イカ引き彫刻、イカ寄せの浜、鬼舞展望台、赤尾展望台、国賀浜・国賀海岸、通天橋、摩天崖、摩天崖上から
の展望

国指定文化財等データベースによる解説は次のとおり。

史跡名勝天然記念物
名称: 隠岐国賀海岸
ふりがな: おきくにがかいがん
種別1: 名勝
種別2: 天然記念物
指定年月日: 1938.05.30(昭和13.05.30)
指定基準: 五.岩石、洞穴,八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼,(六)洞穴,(九)風化及び侵蝕に関する現象
所在都道府県: 島根県
所在地(市区町村): 隠岐郡西ノ島町
詳細解説
粗面玄武岩ヨリ成レル島前西島ノ西北海岸ガ断層ニ沿フテ海蝕ヲ被リ直立二〇〇メートルニ垂ントスル断層崖ヲナセルモノニシテ崖上崖下一樹ノ茂生スルモノナリ其ノ魁奇豪壯ナル景觀ハ木邦罕ニ觀ル所ナリ加フルニ崖下ニハ奇岩怪礁ノ亂立スルアリ且天然紀念物トシテ價値アル天然石橋及ヒ大小五十■ノ洞窟アリ此等ノ多クハ玄武岩中ニ發達セル断層及ビ岩脈トノ間ニ成因上ノ関係ヲ有スルモノニシテ就中明暮ノ岩屋(一名明暗窟)ノ如キハ一ハ断層ニ沿ヒ他ハ岩脈ニ沿フテ發生シタル二條ノ狹長ナル洞窟ガ其ノ中程ニ於テ相交叉シ之ニ入ルモノ 洞内ニ於テ截然明暗ノ二區アルヲ感ズルヲ以テ其ノ名ヲ得タルモノニシテ波蝕洞窟トシテ珍ラシキモノナリ