裳着神社と玉台寺の「夫婦銀杏」  長崎市茂木町

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裳着神社と玉台寺の「夫婦銀杏」  長崎市茂木町

長崎市茂木町で見た大木として、玉台寺の大イチョウを前項に載せた。裳着神社も史跡の項に載せ、イチョウを写している。この2本の大きな木を、地元では「夫婦銀杏」と呼んでいるという話。

玉台寺のイチョウが大きいのは、寛政4年(1789年)島原の眉山の大爆発のとき漂着した死者を大量土葬した墓地(慰霊碑あり)に生えているから、という話もある。
平野露治氏著「茂木史談」昭和63年刊、第4章名所・旧蹟等42〜43頁による説明は次のとおり。

夫 婦 銀 杏

茂木の町に、四季折々の風情をそえる2本の大きな銀杏の木がある。町の人はこれを、「お宮の銀杏は雄銀杏、お寺の銀杏は雌銀杏」といっている。
お宮というのは、茂木の氏神様裳着神社、お寺というのは松尾山玉台寺のこと。いずれも、寛永3年(1626)の建立で、今から353年前のことになる。別に縁起をかつぐわけではないが、お宮お寺の建立が同じ年、2本の銀杏がまた、樹齢といい、大きさといいほぼ同じで、しかもそれぞれの地にあることなど思い合せて、なにか興味深いものがある。

2本の銀杏の樹齢は、もちろん推定だが、どちらも500年位だろうといわれる。根周りは、お寺の銀杏が5m、お宮の銀杏は4.6mでやや小さい(昭和37年調)。高さは目測で、お寺の方が20〜25m位だが、お宮の方はもっと低い。
だが、樹相というか、その姿となると、お寺の方は堂々とそびえて如何にも男性らしく、お宮の方は横に枝がはって豊満な感じだし、むしろこちらの方が女性を思わせる。学問的事はわからないが、こんなところに自然の愛敬があるのかもしれない。

それにしても、遠い昔の「通い夫」(かよいづま)のように、銀杏の木の精が、小高い裳着神社の地から若菜川を越え町並みを越えて、平地の玉台寺へ飛び、見事に銀杏を実らせる図は、思うだにおおらかで楽しい。
ちなみに、裳着神社は、初め八武者大権現といい、明治初年の神仏分離に改称したものだが、この八武者大権現と同じ年に、同村の各郷の神々の、つまり、田上の山王権現、稲荷大明神、木場の山神、宮摺の三方荒神、大崎の加茂大明神、千々の盟寵大明神が建立されている。