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茂木の散策 (8) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

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茂木の散策 (8) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(8)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」のコース外。周辺を訪ねる。次も続く。

道しるべ(旧県道 黒橋手前国道脇)、黒橋、若菜川の淵頭と渡り石、長崎市立茂木小学校、付近の古写真、城山(秋葉山 茂木小前バス停近くから登る)、潮見崎の原爆慰霊碑、海岸沿いの料亭 海月別亭・かね万・二見、立石海岸と料亭こがね、立て岩の近景

もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。

写真  1〜    道しるべ(旧県道)
旧県道開通時に建てられたと思われる。前は現在地の下の段にあったと云われ交通の安全祈願と思われる。

写真  8〜    城山(城の古跡)
大友宗麟の女白縫姫が籠城した跡とも云われている。茂木はよいとこ城山背にし、前は海原、潮見崎。こんな歌もあります。別名秋葉山ともいう。

写真 17〜    立て岩
海辺を離れて海中にあり、衝きたる秀たる頂上に松あり。一つは大きく数十丈、一つはやや低し、盆石を見るごとし。(名勝図絵)    

茂木の散策 (7) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

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茂木の散策 (7) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(7)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」コースの順路により、まず一回りした終り。次はさるくコース外へ続く。

南川橋を渡った先にある一番札所、茂木の旧家池山邸と屋根(釣竿を持つ恵比須・大黒の飾り瓦、代々の当主の名「文」入り特注瓦が見どころ)、国道を渡った旧家、玉台寺と大イチョウ、長尾安右衛門尉の墓、玉台寺墓地高台から町並みを望む、クラフトベーカリー オロン、松柏楼(ビーチホテルと別の「茂木長崎ホテル」)跡の高崎湯、潮見崎観音と月見台、潮見崎公園、茂木漁港岸壁、茂木一○香本家、店内の休憩所と色紙

もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。
なお、新田にあった松柏楼(茂木長崎ホテル)跡は、長崎の古写真の項、次の記事を参照。「茂木商工会30周年記念誌」平成2年刊の44〜45頁に、貴重な記事と古写真がある。
https://misakimichi.com/archives/1535

写真  5〜    玉台寺
浄土宗、松尾山無量院玉台寺。寛永3年(1624)僧宝誉の開山。山門前向かって左側の墓地に立つ碑は寛政4年(1789)島原眉山爆発崩壊の時漂着した死者を埋葬したもの。

写真  8〜    長尾安右衛門尉の墓
玉台寺境内に高さ1丈くらい自然石の下に豆腐石を置いた墓。安永14年島原の乱が起り茂木のキリシタン住民も参加、安永15年長尾安右衛門尉は当時島原領であった茂木のキリシタンを撲滅し領主高力摂津の守が労をねぎらいその死を悼み壮大な墓を造り威を示した。

写真 12〜    松柏楼(茂木長崎ホテル)跡
外人専用のホテルとしてあったそうで、その後松柏楼という小料理屋に変わり、大正12年〜昭和12年まで開業していたと云われる。

写真 14〜    潮見崎観音
潮見崎観音は宝永3年(1706)開山。本尊は11面観音菩薩、子育て子授けの観音として信仰され、市中より参拝者も多い。

写真 17〜    月見台
月見台は潮見崎の上にあり注連(しめ)が崎とも云い、月は赤井が崎(赤崎鼻か)の上から出てその先を海にうつし注連が崎、月見台の下にかけて布を引いたようになるので「布引の月」と云う。    

茂木の散策 (6) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

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茂木の散策 (6) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(6)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」コースの順路により、まず一回りしている。前の続き。次へ続く。

Sマート前弁天橋へ戻る、厳島神社、同地の大戦中茂木砲台の退避壕?跡(3基)、北浦への堀切と開通の碑、若菜橋、マキの木、茂木町役場跡地(現茂木商工会)、旧茂木町道路元標(札のつきの場所?)、旧家の町並み(前川内べっ甲店)、裳着神社、社殿内の展示写真、道永エイ名のある寄進石、本殿高梁の欄間彫刻、円成寺、同寺墓地からの展望

もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。

写真  5〜    堀切開通の碑
大正10年茂木鉄道株式会社が設立され、淵頭から北浦を通って長崎へ通じる鉄道敷設のため弁天山の北側を掘り切って、残土を茂木港内、打越海岸の埋立に利用し茂木北浦の交通路が完成(大正15年)。しかし鉄道の開通計画は挫折する。

写真 12〜    マキの木
昔の造り酒屋、湊屋の跡で閑院宮織仁殿下の御手植えのマキの木である。峰酒店から若菜橋を渡って右奥にある。

写真 14〜    札のつき
御高札の場所で村の往来の中心地。

写真 16〜    裳着神社
長崎市で最も古い神社で明治以前は八武者大権現を祭る。神功皇后が三韓出兵の途中当地に立ち寄り裳を着けたとの故事から裳着の地名が起り、その後当社が創建されたと伝えられる。
キリシタン布教で社殿を焼かれ一時廃寺。寛永3年(1626)再建され茂木の鎮守となる。その後裳木神社となる。

写真 22〜    円成寺
日蓮宗慶応山円成寺。長崎長昭寺の末寺上席となる。明治14年(1881)柴田俊道開山。

茂木の散策 (5) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

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茂木の散策 (5) 茂木の風景・史跡  長崎市茂木町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(5)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」コースの順路により、まず一回りしていく。次へ続く。

「長崎茂木びわ」のふるさと看板(茂木入口黒橋近く)、長崎バス茂木バス停、「さつまや」を屋号とする商店、四十四番札所と茂木まちかど茶屋、旧家の町並み、北村西望作・伊達木仙一翁像、長崎枇杷集散所、茂木枇杷記念碑、村山等安別邸跡(旧ビーチホテル跡)、浦見番所跡、旧天草通船突堤?跡、弁天山(旧裳着神社地跡)、茂木保育園、長崎市茂木合同庁舎、長崎天草フェリーターミナルビル、中のもぎたて新鮮市、茂木百年桜植樹地、昔の海岸線の防波堤の名残り(浜ノ浦団地)、茂木植物化石層(長崎県指定天然記念物)

もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。

写真  4〜    茂木町新四国八十八ヶ所霊場のいわれ
昭和4年(1929)四国八十八ヶ所霊場巡りの御利益と、町全体が仏の光に包まれることを願い、数名の先達が本四国の各霊場より砂を貰い、それぞれ1番札所の砂は茂木の1番札所へと埋め、霊所とした。札所番号が順路に沿って並んでいないのは、茂木に古くからあった祠や古仏に番号を当てはめたためであると思われる。

写真  8〜    茂木枇杷記念碑
茂木枇杷は茂木町の原産で天保弘化(1830頃)、北浦元木場の三浦シヲが長崎代官に女中奉公中、唐船から枇杷を貰い庭に蒔いたのが起源となる。

写真  9〜    村山等安別邸跡
村山等安は初代長崎代官で熱心なキリシタンで禁教のあと処刑される。慶長年間(1600年頃)村山等安はこの地に豪壮な別邸をたてキリシタン布教の便を計った。元和2年(1616)等安没後茂木庄屋宅となる。明治39年元庄屋宅跡に茂木長崎ホテル(後ビーチホテル)を建設した。昭和59年解体。

写真 12〜    浦見番所跡
寛文5年(1665)茂木海岸に浦見番所を設ける。番所役は村の治安行政を預かると共に問屋等を営み商業を行ったとされる。

写真 14〜    弁天山
旧裳着神社地跡。裳着神社創建の地で今から800年前此所より現在の裳着神社へ移される。末社の伊都岐島神社(弁天社)のみ残る。

写真 21〜    茂木植物化石層
露頭の下部の深さ1.5mの泥岩の層に31科40属52種の植物化石を含んでいる。この化石の地層の地質時代は新世代第三紀新世の終わり頃、1000万年前と考えられている。
明治12年(1879)スウェーデンの探検家ノルデンショルドが此の化石を採集した。これが日本の新世代植物化石の最初の記録となる。国際的にも有名である。昭和57年7月22日、県天然記念物指定。 

茂木の散策 (4) 千々の風景・史跡  長崎市千々町

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茂木の散策 (4) 千々の風景・史跡  長崎市千々町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(4)は、千々の風景・史跡。ここは健脚向きの難コース。経験ある指導者を要する。

千々橋から猿岳(秋葉山)を望む、鈴虫岩、同岩から猿岳を望む、猿岳麓の住人がいた岩屋、滝修行の捨身滝(渇水期 猿岳川の右股沢)、石室跡、猿岳の石祠、同岳から千々・天草・為石方面を望む、千々の県道から千々川上流の谷を望む、同谷にある納手岩三段滑滝(千々集落の取水口下流)、小八郎岳の下りから見た千々峠(乙女峠)、佐敷岳途中から見た小八郎岳と八郎岳

茂木の散策 (3) 千々の風景・史跡  長崎市千々町

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茂木の散策 (3) 千々の風景・史跡  長崎市千々町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(3)は、千々の風景・史跡。千々は続く。

千々の海岸、猿岳(秋葉山)を望む、塩竈神社と楠、四国茂木60番札所、千々の集落と海岸、干藤尋常小学校跡と干藤トンネル、二ッ岳崎、同崎にある陸軍省長崎要塞地帯標第十六号、藤田尾から千々への古道出口、藤田尾崎の海岸岩場

茂木の散策 (2) 大崎・千々の風景・史跡  長崎市大崎町・千々町

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茂木の散策 (2) 大崎・千々の風景・史跡  長崎市大崎町・千々町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(2)は、大崎・千々の風景・史跡。千々は続く。

大崎の海岸と集落の遠望、悪所岳を望む、大崎林道入口、長崎農協大崎枇杷出荷場、大崎公民館前の海岸、大崎鼻の地蔵、同鼻の陸軍省長崎要塞区域標第十九号、南中学校下バス停、四国茂木八十八ヶ所55番札所の草積御前祠、長崎市立南小中学校、猿岳と八郎尾根を望む、千々の海岸と集落の遠望、新築の長崎千々簡易郵便局、千々バス終点

茂木の散策 (1) 宮摺の風景・史跡  長崎市宮摺町

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茂木の散策 (1) 宮摺の風景・史跡  長崎市宮摺町

長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(1)は、まず宮摺町から南下することとし、宮摺の風景・史跡。

宮摺トンネル、野母半島県立公園宮摺海水浴場、竈神社の大クス(長崎市指定天然記念物)、宮摺林道建設記念碑(竈神社前)、四国茂木八十八ヶ所48番札所、宮摺山ン神の社叢(長崎市指定天然記念物)、斜面一帯のびわ畑、宮摺沖を出漁中の船、宮摺海水浴場の遠景、宮摺導水トンネルの取水口、烏帽子岩から雲仙・天草・宮摺を望む

竈神社の大クスの現地説明板、宮摺山ン神の社叢のHP「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。
市指定天然記念物  竈神社の大クス

指定年月日 昭和48年7月27日  所在地 長崎市宮摺町竈神社境内  所有者 竈神社
日本の樹木のうち、樹齢と樹高ではスギに勝るものはないが、幹囲りと枝張りではクスノキに勝るものはない。
この大クスは、神社創建の寛永3年(1626)当時からあったと伝えられている。樹高およそ25m、地上50cmの幹囲10.50mで、本県屈指のクスの巨樹である。枝張りも雄大で、地上すぐに2本の大支幹を広げ、これが更に4本の幹に分かれる。これらの幹から出た大小の枝は、東西に40m、南北に37mの大樹冠をつくっている。
長崎市教育委員会(平成16年12月設置)

宮摺山ン神の社叢  市指定天然記念物

指定年月日:昭和51年5月10日 所在地:長崎市宮摺町736番地 所有者:宮摺町自治会
山ン神とは文字通り山を守り、山をつかさどる神で、祭神は大山祗神である。幅12m、延長40mほどの小さい社叢に、スダジイ・ヤマモモ・タブノキ・モッコクの大木を中心に、ハマビワ・サザンカ・ツバキ・シロダモ・ヤマビワなど30種をこえる自然林が茂っている。
このうち、モッコクは、胸高幹囲1.43m、1.2m、1.00mと、この種として珍しい大木で貴重である。モッコクは、暖地の海岸に近い山地に生えるツバキ科の常緑高木で、その端正な樹形から庭木の王者と称せられる。土地の人たちは、社叢の樹木の一つ一つに神霊が宿るとして、大切にしてきたものという。

みさき道のベンチ作り・草刈りと熊ノ岳から宮崎ダムへ  平成21年5月

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みさき道のベンチ作り・草刈りと熊ノ岳から宮崎ダムへ  平成21年5月

平成21年5月6日(水 振替休日)快晴。みさき道のベンチ作り・草刈りと熊ノ岳から宮崎ダムへ。参加6人
三和行政センター前広場9時半発ー蚊焼峠ー展望所(ベンチ作り 昼食)ー徳道ー熊ノ岳ー宮崎ダムー川原公園前バス停17時半着(約10km)

長崎港外の高島・端島が良く見える伐採植林地のみさき道展望所。「長崎県の山歩き」著の林先生が、NHK文化セミナー講座で受講生を連れ、近日、みさき道のここを歩かれるため、草刈りを兼ねて竹を編んだベンチを点検に行った。
以前のはまだ使えるし、手前に4基8mを増設。竹・伐採ヒノキ・雑木は近くで現地調達できる。鋸と針金・ペンチだけ持参。これで計14m。40人は座れるようになった。
出来ばえは写真のとおり。13時までかかり、昼食後、徳道の集落を通って「熊の岳いこいの里」へ行く。みさき道は特に草刈りするところはなかった。

熊ノ岳山頂15時着。駐車場から遊歩道を歩いて10分である。快晴なので、天草灘の見晴らしが良い。標高288.37m。四等三角点だが、先日、三角点の項の記事にしたとおり、三角点の碑が脇に設置されている。
長い車道下りを避け、アスレチック広場から尾根をまっすぐ下ると、宮崎ダムへ40分で着く。我々だけしか歩かない近道のルート。ダムで水没するため、旧徳道径から移設された森園地蔵のところへ出る。川原の小池を埋め立てた三和記念公園へ見て、川原公園前バス停で解散。連休なのに、参加のみなさんご苦労さん。
宮さんブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/16127335.html

野母崎の散策 (13) 樺島の風景・史跡  長崎市野母崎樺島町

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野母崎の散策 (13) 樺島の風景・史跡  長崎市野母崎樺島町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(13)は、樺島の風景・史跡。樺島大橋は昭和61年(1986)1月開通した。
樺島は次の記事により、すでにまとめて掲載済みのため参照

樺 島(1)は、 https://misakimichi.com/archives/1609
樺島全景、渡海船桟橋跡、樺島大橋、赤灯台、樺島漁港、樺島バス終点、無量寺、大うなぎ井戸、熊野神社のあこう、弘法寺、金比羅神社、長崎市立樺島小学校

樺 島(2)は、 https://misakimichi.com/archives/1610
樺島灯台への道、樺島灯台公園と資料館、行者山神社、地下ダム、樺島灯台点灯