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野母崎の散策 (12) 脇岬の風景・史跡  長崎市脇岬町

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野母崎の散策 (12) 脇岬の風景・史跡  長崎市脇岬町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(12)は、脇岬の風景・史跡。県道34号線により岬木場へ向かう。

県道の登りから脇岬を見る、国民宿舎「亜熱帯」跡の公園、井上近くから見た樺島の全景、井上のアコウ、長崎県亜熱帯植物園サザンパーク野母崎正門、同地から上に風力発電風車を見る、野母崎グリーンパークモトクロスコース、野母崎ゴルフクラブレストハウス、野母崎サイクリングロード終点、岬木場バス終点、分校跡地の岬木場公民館、野母崎ゴルフクラブ入口、脇岬村と川原村との境界だった川原木場の「堺橋」、みさき道の堂山峠、遠見山山頂から見た脇岬・樺島・ビーチロック、同山頂の佐賀藩烽火台跡、同山頂の太平洋戦争時の敵飛行機電波警戒機据付跡、長崎県史跡地図にある脇岬烽火台跡(モトクロスコース奥)

野母崎の散策 (11) 脇岬の風景・史跡  長崎市脇岬町

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野母崎の散策 (11) 脇岬の風景・史跡  長崎市脇岬町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(11)は、脇岬の風景・史跡。脇岬は続く。

脇岬海岸国道上にある元禄15年「従是観音道 山道十丁」道塚⑪、脇岬海水浴場、抜け荷?灯籠、長崎市立脇岬小学校、脇岬のビーチロック(県指定天然記念物)、八坂神社、樺島通船の桟橋跡と樺島大橋、弁天山樹叢(県指定天然記念物)、脇岬海岸埋立地のホルトノキの街路樹、長崎市脇岬地区公民館、同公民館前にある脇岬神社の扁額

長崎さるくマップブック「野母崎界隈」80〜81頁による説明は次のとおり。

写真  1〜     脇岬海水浴場
長さ1.3kmも続く白砂の浜は、ボートセーリングのメッカ。また、干潮時には波の浸食により創られた自然の棚瀬(ビーチロック)が姿を現わします。

野母崎の散策 (10) 脇岬の観音寺  長崎市脇岬町

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野母崎の散策 (10) 脇岬の観音寺  長崎市脇岬町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(10)は、”みさきの観音”と呼ばれる脇岬の観音寺。脇岬は続く。

円通山観音禅寺(曹洞宗)の参道口、入口の石門と鐘楼、仁王像、中門の山門、梵鐘、宝篋印塔、天明4年(1784)今魚町寄進「道塚五拾本」(道塚⑩)、国指定重要文化財などの説明板、同説明板の拡大、木造千手観音立像、天井絵、奥の石門、地蔵塔、本堂と甍

長崎さるくマップブック「野母崎界隈」80〜81頁による説明は次のとおり。

写真  1〜     円通山観音禅寺
観音禅寺は、約1300前の平安末期に、行基(ぎようき)菩薩という有名な僧侶によって和銅2年(702)創建されたといわれる真言宗の寺院跡に建立された寺で、現在の建物は江戸時代に再建されたものです。
観音堂のご本尊は国指定重要文化財の平安時代末期に造立された十一面千手観音立像で、昔から長崎からの参詣者が多く、唐人屋敷跡近くの十人町から続く御崎道(みさきみち)という道に沿って観音様詣りをしていました。今も当時の御崎道に”みさきみち”と標された石碑が残っています。
8月17日に御開帳となる千手観音立像。江戸時代、この寺に長崎の人々が参拝していた証拠に、境内には長崎の町人が寄贈した灯籠や本堂の太鼓、鐘などが残っています。また、観音堂の150枚の天井絵は長崎の絵師、石崎融思や川原慶賀によって描かれました。(県指定有形文化財)

野母崎の散策 (9) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

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野母崎の散策 (9) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(9)は、野母の風景・史跡。野母の最後。次は脇岬。

田の子バス停付近、のもざき物産センターと店内、田ノ子島、観光案内所2階にある軍艦島資料館、同資料館の展示品、水仙の里公園の開花期、野母崎文化センター・野母崎教育センター、文化センター内の野母崎郷土資料展示品(土器・石器・人骨出土状況・古写真・民具など)

野母崎の散策 (8) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

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野母崎の散策 (8) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(8)は、野母の風景・史跡。野母は続く。

蔵徳寺、葉山神社、小立神岩、大立神岩、権現山展望公園、日の山神社、深浦(ケゴシラ)、野母崎海の健康村 陽の岬温泉

長崎さるくマップブック「野母崎界隈」80〜81頁による説明は次のとおり。

写真  4〜     葉山神社
神仏混淆禁止令が出された明治の初め、神像があまりにも仏像に似ているということで没収。以来、神社となった葉山神社。社殿と鳥居は残され、その後、付近の住民によって祀られるようになったといわれています。

写真  8〜     権現山展望公園と椿公園
日本最西南端に位置する標高180mの権現山からは、東に天草灘、西に五島灘、そして南に果てしない東シナ海が一望できます。権現山には、江戸時代以前から海外から入港してくる貿易船などを見張る”遠見番所”が置かれていました。展望公園内には、世界平和の願いを込めた梵鐘や烽火台跡が残っています。
また、権現山は国内外の椿250種約300本、やぶ椿1万数千本が自生する椿の名所としても知られ、一帯が椿公園となっています。その中には野母崎でしか見られない可愛らしい白椿”陽の岬”があります。

写真 14〜     日の山神社
貞観13年(871)。熊野神社の例祭の夜、海の彼方から流れた光が鳥居道の海岸で消えた。その夜、宮司の夢に現れた観音菩薩が、海上遥かに見渡す山頂に自分を安置するようにお告げがあり、不思議に思った宮司達が鳥居道の浜に行くと、観音菩薩が流れていたので、これを日の山に祀ることになったといわれています。日の山の名称は、朝日が昇ってから西の水平線に陽が沈むまで輝いている山、という意味です。

写真 15〜     深  浦(ケゴシラ)
熊野神社の縁起によると、孝徳天皇の御代(645〜654)、紀州熊野の漁師が漂着したのが、ケゴシラ(毛頭)と呼ばれるこの辺り。その後、近隣、遠国から人々が集まり、村をなした場所です。この野母崎で最初に人々が住み着きできた村落は、今はのどかな漁業の町となっています。

写真 17〜     野母崎海の健康村 陽の岬(ひのみさき)温泉
客室は全室オーシャンビュー。雄大な海を望める宿泊と温泉施設。泉質は美容効果が高い重曹泉で鉄分を多く含み、婦人病にいいとされています。併設するレストランでは、野母崎特産の ”のもんあじ”や”伊勢えび”などの旬の食材を使った季節料理が楽しめます。

野母崎の散策 (7) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

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野母崎の散策 (7) 野母の風景・史跡  長崎市野母町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(7)は、野母の風景・史跡。野母は続く。

長崎市野母崎行政センター、長崎市立野母崎中学校、前県道道路元標、海岸通りの児童作品、長崎市立野母崎病院、権現山展望公園の案内標識、無量山海蔵寺、熊野神社、同神社から港と町を見る、長崎市立野母小学校、庄屋跡の石垣、母ヶ浦海岸、対岸の造船所、のもざき朝市直売所

長崎さるくマップブック「野母崎界隈」80〜81頁による説明は次のとおり。

写真  9〜     無量山海蔵寺
慶長年間(1596〜1614)に僧・善金が野母に来て真宗の教義を布教、その後、万治3年(1660)僧・以峰によって開基、本願寺14代琢如上人から木佛尊像を下附され無量山海蔵寺と号しました。野母八景の屏風絵や多数の古文書を所蔵しています。
10代彰己住職は河原白朝の俳号で知られる俳人。権現山山頂には、俳人・下村ひろしの書による「蘭船このかたの水路や雲の峰」の句碑が建立されています。

写真 10〜     熊野神社     
斉明天皇4年(658)、紀州熊野の漁師夫婦の漂着により、夫婦の故郷の神、熊野神社の加護によるものと感謝し、自宅近くの丘に勧進しました。明治維新までは神仏混淆で、阿弥陀如来が祀られていたといいます。野母の地名の由来には諸説ありますが、この熊野神社の縁起によると、無人の野っ原に老母が住居を構え村落をなしたので、この老母の功績を後世に伝えようと、「野の母」の野母と名づけられたといわれています。

写真 17〜     庄屋屋敷跡の石垣
野母小学校前、地元では城と呼ばれるこの界隈は、かつての領主・深堀(野母)仲家の居住地。仲家は深堀家の3男で、2男は高浜の領主でした。その後、庄屋となり、この地は今でもその名残がこの石垣に見られます。

写真 18〜     母ヶ浦海岸
最初にこの地に移り住んだ漁師夫婦のうち、夫は帰郷のため老母が1人残りました。母に抱かれた浦という意味で人々は母ヶ浦と呼ぶようになりました。

写真 20〜     のもざき朝市
野母崎三和漁協、約70名の組合員さん達が獲れ獲れの活魚を入荷。週末は開店30分前から行列ができる料理人さんにも人気の直売店。鮮魚が3分の2を占め、あとは地元で採れた野菜や水産加工品が並びます。アジやエソを原料としたカマボコが自慢の逸品です。

長崎学さるく “長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” (2)  平成21年5月

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長崎学さるく “長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” (2)  平成21年5月

平成21年5月3日(日)曇りのち小雨。長崎学さるく幕末編第4回”長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” 講師は、諫早市郷土館織田武人先生。参加32人。
矢上バス停9時半発ー矢上神社ー教宗寺ー役の行者ー福端寺ー古賀大村庄屋屋敷跡ーラカンマキー迎仙閣(昼食)ー滝の観音ー奥の院ー間の瀬峠ー現川古窯跡ーJR現川駅15時着

長崎街道を矢上宿から古賀まで歩き、滝の観音から現川へ旧道の山越えをして、途中の史跡など見る。約14kmを歩く。
現地を詳細に調べられている資料と説明があった。昼前から小雨となったが、迎仙閣で昼食。現川への峠越えに雨は止み、山道は濡れてなかった。

前年10月にも開催したため、今回は史跡の詳細な写真を多くした。(1)は、親和銀行保養所迎仙閣の昼食まで、(2)は、午後の現川まで。
次回は5月31日(日)に”坂本龍馬が歩いた道ー島原街道を矢上から田結境まで歩く”
宮さんブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/15923979.html

長崎学さるく “長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” (1)  平成21年5月

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長崎学さるく “長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” (1)  平成21年5月

平成21年5月3日(日)曇りのち小雨。長崎学さるく幕末編第4回 “長崎街道歩きと滝の観音・現川の史跡めぐり” 講師は、諫早市郷土館織田武人先生。参加32人。
矢上バス停9時半発ー矢上神社ー教宗寺ー役の行者ー福端寺ー古賀大村庄屋屋敷跡ーラカンマキー迎仙閣(昼食)ー滝の観音ー奥の院ー間の瀬峠ー現川古窯跡ーJR現川駅15時着

長崎街道を矢上宿から古賀まで歩き、滝の観音から現川へ旧道の山越えをして、途中の史跡など見る。約14kmを歩く。
現地を詳細に調べられている資料と説明があった。昼前から小雨となったが、迎仙閣で昼食。現川への峠越えに雨は止み、山道は濡れてなかった。

前年10月にも開催したため、今回は史跡の詳細な写真を多くした。(1)は、親和銀行保養所迎仙閣の昼食まで、(2)は、午後の現川まで。
次回は5月31日(日)に”坂本龍馬が歩いた道ー島原街道を矢上から田結境まで歩く”
宮さんブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/15923979.html

野母崎の散策 (6) 高浜と南越の風景・史跡  長崎市高浜町・南越町

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野母崎の散策 (6) 高浜と南越の風景・史跡  長崎市高浜町・南越町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(6)は、高浜と南越の風景・史跡。高浜は続き。

高浜海水浴場前の八幡神社、昭和58年改築前の扁額など、神社横に片付けられた破損の手洗い石など、料亭松実の高浜温泉給水所小屋、料亭入口に移され祀られた浜添の忍ぶの地蔵、古里海岸埋立地に残る建岩(たていわ)、みさき道の堂山峠入口、堂山峠と道標、南古里の海岸、南越の龍田神社、高浜村と野母村の境となる田ノ子島

高浜紹介HP「さんぽみち」(検索は「高浜さるく」)による説明は次のとおり。同HPも参照。

写真  1〜     八幡神社
髙浜本村の氏神さま。9月25日に、秋の大祭が行われています。地元の人には(にじゅうごんち)といわれしたしまれています。(最近は、23日の秋分の日) 
まつり当日、地元相撲協会や小学生による奉納相撲も行われています。御輿は八幡神社から三浦神社にお上りして三浦神社からお下りになります。
建立:元禄6(1693)  祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

写真  6〜     八幡神社の手洗い石
髙浜の字名の由来考に八幡神社の手洗い石の文字が有り探してみましたが、見つかりませんでした。再度、探しに行ったらそれらしきものが八幡神社の右に無造作に置いてありました。昭和58年に改築したので、そのとき破棄されたのでしょうか。

写真 15〜     古里の建岩
古里港の埋め立て地に大きな岩が有ります。地元の人はトーンビーゼ゛といって地元の象徴になっています。

写真 20〜     南越の龍田神社
南越地区のの一番上にある神社です。古里と出口にもにも龍田神社があります。神社の裏手に有った、古い鳥居には獅子祇社と名が書いていました。出口の龍田神社も鳥居には獅子祇社となっています。龍田神社の下にある祠は、明治41年9月15日となっています。

野母崎の散策 (5) 高浜の風景・史跡  長崎市高浜町

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野母崎の散策 (5) 高浜の風景・史跡  長崎市高浜町

長崎市の野母崎地区は、長崎半島の先端部。九州本土最西南端にあたる。周囲を海に囲まれ、海岸の景観に優れる。野母崎町は平成17年1月4日、長崎市に編入された。
野母崎の散策(5)は、高浜の風景・史跡。高浜の続き。

高浜海水浴場右手(北西側)のインゲリ鼻海岸の岩場、ポットホール(甌穴)、木の化石、洞穴(コウモリ穴)、岩場の潮溜り、端島を向いた地磯釣場と高浜海水浴場

高浜紹介HP「さんぽみち」(検索は「高浜さるく」)による説明は次のとおり。同HPも参照。

写真  1〜     インゲリ
髙浜海水浴場の右手に見える磯です。黒浜や以下宿のような斑糲岩ではなく大部分が砂岩でなっています。木の化石や洞窟(地元ではコウモリ穴と呼んでいる)があります。ここの磯にはポットホールもたくさん見あたります。