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高山新溝記  肝付町新富神之市

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高山新溝記  肝付町新富神之市

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。石碑は補修され、二階堂家住宅へ着く手前の高山川橋脇の土手に建っていた。

高山新溝記 こうやま
(肝属)肝付町 新溝 石碑(板碑型) 高約180㎝,幅約100㎝,厚約20㎝ 寛文11(1671) 町教委 風化が激しいため、側面と頂部をC補強 (正面)「此國肝付郡高山府新富野崎之二邑田疇広而流水乏得甚/雨則農夫鞭牛耕遇旱夫則厮児繋馬秣其稼秀而不実者矣/歳無之此故憂多而楽少矣、惟島津氏久通翁世英傑而□開/國政人向化□□凡之竹其農功盛烈山高水長此民憂請君/以引河流而濯乾田䟽溝洫而開広埜君許以諾也、翁又命又/命士宰之士自承、翁之命寤□思眼清禾完哉笠臨□頭黄昏星/還屋裡還謀」(緑字は2文字で1つの文字→のぎへんに“完”)/上記の「岩渕上の隧道」を含む新溝の完成を記念して建立 2 C

「岩渕上の隧道」は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/4090

雄川の滝 (2)渓谷遊歩道から滝壺へ  南大隅町根占川北

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雄川の滝 (2)渓谷遊歩道から滝壺へ  南大隅町根占川北

錦江町と南大隅町の町境にある雄川渓谷の「雄川の滝」を訪ねた。
私は田代麓から県道448号を下った。まず前の記事(1)により九州電力の滝上ダム取水口の南岸にある「雄川の滝(滝の上)展望所」から滝を見た。次は滝壺だが、この展望所からは下れない。下流から雄川渓谷を大回りし、距離と時間がかかる。

滝見大橋を渡り県道448号へ戻ってしばらく県道を進む。「南大隅町」の案内標識により左折して下って行くと、案内図「かごしまロマン街道」➁地点に着く。ここに「雄川の滝⇒4.6km」の入口標識がある。田代麓から下ると標識が見当たらず、なかなかわかりにくいので、次の案内図をくれぐれも参照。
http://www.town.minamiosumi.lg.jp/minami04/ogawatakichizu.pdf#search=’%E9%9B%84%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%BB%9D’ 苦労して訪ねただけ、雄川渓谷の美しさや滝壺側から見る雄川の滝の景観は格別だった。

ふるさと元気風ネットによる「雄川の滝」の説明は、次のとおり。

雄川の滝   南大隅町根占川北

南大隅町の中心街を流れる雄川の上流に落差46m、幅60mの雄川の滝がある。「雄川の滝」は三国名勝図会にも紹介されている名勝の滝で、雄川流域の一部が大隅南部県立自然公園の指定を受けている。大地の末端をえぐった滝の一帯は、荒々しい岩があらわになった渓谷で、雄大な自然が魅力だ。滝の上流が発電所の取水口になっていて水量は少ない。滝壁面の幾何学模様の節理と壁面の伏流水が美しい景観をなしている。滝つぼは深くないが透明感があり、エメラルドブルーに輝く水面が印象的だ。近年、滝までの遊歩道が整備され、雄川の渓谷風景や滝の全景を近くで観察することができる。遊歩道から見上げるアーチ状のけた橋の滝見橋も迫力があり、見所ポイントのひとつだ。

渓谷風景
滝の下流に位置する駐車場から上流の滝までおよそ1200mの遊歩道。断崖絶壁の荒々しい岩場の渓谷が続く。遊歩道から眺める雄川の風景が絶景だ。

ps;
※大隅南部県立自然公園は,南大隅町外之浦から肝付町火崎に至る太平洋に面した海岸部分と,雄川及び花瀬川流域の一部が指定されている。
※三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書。

雄川の滝 (1)滝の上展望所から  錦江町田代川原

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雄川の滝 (1)滝の上展望所から  錦江町田代川原

根占から佐多岬入口の大泊まで行き、古写真の風景を再調査後、風力発電所がある山間県道68号を通って(写真1,2)、錦江町と南大隅町の町境にある雄川渓谷の「雄川の滝」を訪ねた。
私は田代麓から県道448号を下った。まず九州電力の滝上ダム取水口の南岸にある「雄川の滝(滝の上)展望所」だが、案内図は次をくれぐれも参照。滝見大橋を通って行った。
http://www.town.kinko.lg.jp/kinko03/forms/ogawamap.pdf#search=’%E9%9B%84%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%BB%9D’ 滝壺にはこの展望所からは下れない。下流から渓谷遊歩道を大回りするので、次項(2)とする。

ふるさと元気風ネットによる「雄川の滝」の説明は、次のとおり。

雄川の滝   南大隅町根占川北

南大隅町の中心街を流れる雄川の上流に落差46m、幅60mの雄川の滝がある。「雄川の滝」は三国名勝図会にも紹介されている名勝の滝で、雄川流域の一部が大隅南部県立自然公園の指定を受けている。大地の末端をえぐった滝の一帯は、荒々しい岩があらわになった渓谷で、雄大な自然が魅力だ。滝の上流が発電所の取水口になっていて水量は少ない。滝壁面の幾何学模様の節理と壁面の伏流水が美しい景観をなしている。滝つぼは深くないが透明感があり、エメラルドブルーに輝く水面が印象的だ。近年、滝までの遊歩道が整備され、雄川の渓谷風景や滝の全景を近くで観察することができる。遊歩道から見上げるアーチ状のけた橋の滝見橋も迫力があり、見所ポイントのひとつだ。

渓谷風景
滝の下流に位置する駐車場から上流の滝までおよそ1200mの遊歩道。断崖絶壁の荒々しい岩場の渓谷が続く。遊歩道から眺める雄川の風景が絶景だ。

ps;
※大隅南部県立自然公園は,南大隅町外之浦から肝付町火崎に至る太平洋に面した海岸部分と,雄川及び花瀬川流域の一部が指定されている。
※三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書。

ねじめ陽石  南大隅町根占山本

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ねじめ陽石  南大隅町根占山本

国道269号佐多街道。根占のガソリンスタンドで見かけた。旅行・観光・歴史ガイド「旅豆」に、次の記事があった。これにはさすがに写真はない。

成武建設(株)セイブ石油
造成工事中に土中から出てきたという奇妙な形の石がご神体として展示されています。「ねじめ陽石」と名付けられて、ガソリンスタンドに立ち寄る人たちが拝んで行きます。

南蛮船係留の大くす  南大隅町根占川北

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南蛮船係留の大くす  南大隅町根占川北

現地説明板は、次のとおり。国道269号の雄川河口、塩入橋のところに立っている。

南蛮船係留の大くす   町指定文化財(天然記念物) 昭和43年12月10日指定
今から約500年前の頃、雄川の河口はこのあたりまでも水も深く天然の良港であった。唐や南蛮、琉球の船が出入りする貿易港で入港した異国船はこのくすにともづなを結び珍奇な交易品を荷上げしたと伝えられている。また唐船と南蛮船との間に争いが起こり池端弥次郎重尚がこれを仲直りさせようとして唐人の火矢に当たって戦死したと古い記録に見える。
この頃この附近一帯には唐人町もでき港は繁栄した。この大くすは樹齢千年を重ね、南大隅町根占の栄枯盛衰の歴史を見守ってきた老木である。大事に保護していこう!!
平成18年2月   南大隅町教育委員会

山川からフェリーで根占へ  指宿市山川

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山川からフェリーで根占へ  指宿市山川

2006年(平成18年)1月1日 、指宿市は山川町・開聞町と合併(新設合併)し、新たに指宿市となった。
山川駅は、鹿児島県指宿市山川成川にある九州旅客鉄道指宿枕崎線の駅である。旧・山川町の代表駅。鹿児島中央駅からのほとんどの列車が当駅で折り返し、この先枕崎駅方面は本数が大幅に減る。
山川・根占フェリーは、指宿市の山川漁港と南大隅町の根占港とを50分程度の所要時間で結んでいる。

平成の縄文杉モニュメント  鹿児島市喜入一倉町

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平成の縄文杉モニュメント  鹿児島市喜入一倉町

県道232号により知覧から喜入へ出た。県道234号との交差点手前、屋久杉工芸見学工場前に展示していた平成の縄文杉。屋久島縄文杉の大型模型で繊維強化プラスチック製。
説明板から、次の記事と関係があるよう。

屋久島縄文杉の大型模型、鹿児島市にお目見え(読売新聞) – goo ニュース

世界自然遺産に登録されている鹿児島県・屋久島の縄文杉の大型模型が、鹿児島市喜入瀬々串町のアリヨシ民芸品店の前にお目見えしたそうです。
模型は、繊維強化プラスチック製で、幹回りが実物と同じで、高さは約8メートル。様々な角度の写真を基に、くぼみやこぶの一つひとつまで忠実に再現したそうです。
本物の屋久島縄文杉を見てみたいと思っていたのですが、この模型を見れば屋久島へ行った気分になれるのでしょうか。

里程標  南九州市知覧町東別府

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里程標  南九州市知覧町東別府

現地説明板は、次のとおり。県道232号知覧喜入線の途中にあった。

里 程 標
現在の県道知覧喜入線に立つ石柱の里程標です。里程標は街道の一里毎に建てられた、通行する人々の道しるべです。幹線道路には数多く建っていましたが、現在知覧町内にはほとんど残っていません。この里程標は、加世田を起点として、明治時代に建てられたと考えられています。三面に『距加世田六里』『知覧ヘ一里二十九丁』『喜入へ二里二十五丁』と刻んであり、昭和61年に町指定文化財となっています。

知覧城跡  南九州市知覧町永里ほか

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知覧城跡  南九州市知覧町永里ほか

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。県道232号から入る。

知覧城跡
【所在地】南九州市知覧町永里他
【種 別】国指定史跡
【指定年月日】平成5年5月7日

麓川の左岸,麓川に注ぐ小流の浸食したシラス台地の縁にあった山城で,標高 176m を最高地点とする。知覧郡司の初築と伝えられるが不詳である。15 世紀以降,島津氏の門流佐多氏の本拠城となる。
当城は南北 800m,東西 400m,全体約 45ha で,12 をこえる曲輪(平坦地)があり,防衛された虎口や空堀,土塁,櫓台等々の当時の施設を見ることができる。本丸や蔵之城と呼ばれる中心曲輪群と東之栫,西之栫といった外郭部分,さらに殿屋敷,蔵屋敷等々の屋敷群がそれを取り巻いている。
約 24ha が国指定史跡となり,平成 10(1998)年に保存整備に伴う発掘調査が開始された。調査で 15 世紀から 16 世紀ごろの国内外の陶磁器類をはじめ,石なべ,鉄くぎ,かんざし,硯,武具などの城内の生活の様子をしめす出土品の数々や掘立柱の大型の建物跡と共にこの時期,城内に墓を築いていたことも明らかになっている。

知覧のイチョウ  南九州市知覧町郡

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知覧のイチョウ  南九州市知覧町郡

現地説明板は、次のとおり。知覧武家屋敷入口の歩道にある。イチョウの道路対面角に「旧領主御仮屋跡」の碑がある。

いちょうの由来
藩政時代参勤交代の帰途、京都に立ち寄った知覧領主の家臣らは、柳やかえでを郷里に移し植え、ふもとに京の香りを漂わせた。このいちょうも京からのもので、はじめはめおと木であったが、溝をはさんでそびえていた雄木は、大正3年9月に大火で枯れ、この雌木だけとなった。
知覧領主が奉納した豊玉姫神社のめおといちょうは、天にそびえて森巖の気をそそり、旧役場庁舎の巨木は町民に親しまれていた。役場西隣のいちょうは樹齢350年を数え、このいちょうもその頃のもので、根の回りは約7メートルである。
家臣らは、このいちょうを仰ぎながら京の文化に思いをはせ、庭園をつくり、和歌をたしなみ、カラクリに興ずるなど、感動の文化をつくった。明治100年(昭和43年)を記念し、知覧町はいちょうを町木に定めた。     
平成6年3月吉日 知覧町史談会