岩渕上の隧道 肝付町新富神之市
肝付町HPの「町指定文化財」による説明は、次のとおり。
岩渕上の隧道(昭和59年8月23日指定)
肝付町新富神之市、二階堂屋敷の西側を流れる用水路に隧道があります。
江戸時代初期、米作りの振興増産が奨励され、第19代島津光久(みつひさ)の命により、治水工事、新田開発、地籍などの農政に力が注がれました。
高山郷の地頭に宮之城島津家第4代図書久通(ずしよひさみち)が任命され、高山用水路や用水池を完成させ、新富、野崎の両村にわたり、高2000石の開田を成し遂げました。工事は、寛文元年(1661年)に起工、寛文
11年(1671年)に完成しました。
完成までにおよそ10年の歳月を要した大工事で、永山井手の取入れ口から池之園に至る約10キロメートルの予定地には、ところどころに堅い岩盤があり、工事は困難を極めたといいます。
第一次産業が盛んな肝付町にとって、その基礎を築いた工事であったと言っても過言ではありません。
岩渕上の随道の近くに「高山新溝記」(寛文11年建立)の石碑があります。
関連リンク:
湛水院の供養塔(平成22年3月16日町指定) (宮之城島津家第4代図書久通の供養塔)
近くにある「高山新溝記」(寛文11年建立)の石碑は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/4234