月別アーカイブ: 2011年6月

長崎の古写真考 目録番号: 654 高鉾島(2) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 654 高鉾島(2) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 654 高鉾島(2)
〔画像解説〕
戸町から長崎港口の高鉾島を望む。右からの張り出しは神崎、左からの張り出しは女神である。多くの写真家がこのアングルの高鉾島の写真を残している。この写真は整理番号26-23と同一と思われる。写真下には「長崎港への入口」と英語で書かれている。

目録番号: 692 高鉾島(4)     (掲載略)
目録番号:1204 高鉾島(7)     (掲載略)
目録番号:3244 高鉾島(15)    (掲載略)
目録番号:4484 高鉾島(40)    (掲載略)
目録番号:5239 高鉾島(42)    (掲載略)
目録番号:5560 高鉾島(30)    (掲載略)
目録番号:5621 高鉾島(31)    (掲載略)
目録番号:6119 高鉾島(44)    (掲載略)

■ 確認結果

長崎港口の「高鉾島」関連作品。目録番号: 654「高鉾島(2)」など9作品は同じ写真である。〔撮影者:F.ベアト〕であろうか。現在の写真は、戸町墓地の上部から。
小沢健志氏編「新版 写真で見る幕末・明治」世界文化社2000年刊14頁に、「長崎 高鉾島 1860年代 ベアト」として掲載されている。

ベアトの「高鉾島」作品は、次の目録番号:5366「高鉾島(27)」が、その写真であるが、上記の写真もそうだろうか?
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2712 

長崎の古写真考 目録番号:1288 鍋冠山からの長崎港 ほか(再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1288 鍋冠山からの長崎港 ほか(再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1288 鍋冠山からの長崎港
〔画像解説〕
鍋冠山から大浦居留地、出島から長崎湾奥方向の北部をみた鳥瞰写真である。左下の大浦川に、慶応元年(1865)6月に架設された弁天橋がすでにあるが、明治2年(1869)2月に出島から築町、築町から新地にかけて、出島新橋、新大橋がまだ架かっていない。このことから、この写真の撮影時期は、慶応元年(1865)から明治元年(1868)の間である。この写真の特徴は、大浦外国人居留地、出島、長崎市街地の北部、対岸の飽の浦から稲佐地区、さらに長崎湾奥の浦上新田、これらの長崎湾の地形全体が撮影されていることである。大浦居留地は万延元年(1860)に埋め立てられたが、それ以外の地域は、ほぼ江戸時代のままの姿であるために、浦上新田が干拓された享保15年(1730)頃まで遡り、江戸時代中期の長崎の地形が現実感を持って見ることのできる写真である。鮮明な写真であるために、大浦外国人居留地や出島全域を拡大して見ることができる。

目録番号:4878 ドン山(から)見た大浦居留地・出島  (掲載略)

■ 確認結果

山川出版社が最近、2011年4月25日発行したばかりの古写真集「レンズが撮らえた 幕末の日本」。202頁に掲載された「鍋冠山からの長崎港」。同解説は次のとおり。
鍋冠山からの長崎港 (長崎大学附属図書館蔵)
1865年頃/F.ベアト撮影。右手に見える出島の右側に明治元年(1868)に架けられる大橋が写っていないことから、撮影時期は慶応元年と思われる。海上には多数の船舶が浮かび、長崎港の賑わい振りがうかがえる。

長崎大学データベースでは、目録番号:1288「鍋冠山からの長崎港」などの作品。以前から再三指摘しているが、撮影場所は「鍋冠山」や「ドンの山」からではない。「星取山」が正しいだろう。
データベースが、このようなタイトルや画像解説のまま修正されないのは、利用する側にとって非常に困る。本ブログの次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/1877
https://misakimichi.com/archives/1598

大浦川が左上に斜めに上り、弁天橋が河口に架かり、その左が南山手居留地である。「鍋冠山」や「ドンの山」からは、大浦川や長崎港はこのような景色とならない。「星取山」の山頂から撮影された。現地確認した現在の写真は上のとおり。山頂は現在、木立があり、景色が見える中腹の「港ヶ丘パーク墓苑」から写した。
長崎市教育委員会編「長崎古写真集 居留地」平成15年刊第3版の42頁に同じ古写真が掲載されている。同138頁による「図版説明」は次のとおり。

25 星取山から長崎港を見下ろす         長崎大学附属図書館所蔵
星取山の山上付近から長崎港を見下ろしたもので、手前に大浦、東山手の居留地、右手に出島と旧市街地、港の向こうには大きく広がった浦上川の河口部と対岸・淵村の集落が望まれる。出島にはその左端に慶応3年(1867)に造成された馬廻しの突出がみえるが、明治2年2月に築町間に架設された出島新橋がないので、明治元年頃の撮影と推定される。東山手の丘上には、旗竿を立てたイギリス領事館の2階建て洋館の背面がみえている。

長崎外の古写真考 目録番号:2142 入 浴

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2142 入 浴

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2142 入 浴
〔画像解説〕
女性二人の入浴シーンであるが、写真は豪華な湯殿を映し出している。左隅には大理石の水桶が置かれ、窓にはガラス絵が入れられ、欄間や天井の細工も豪華である。箱根か熱海の温泉か。

■ 確認結果

目録番号:2142「入浴」は、箱根温泉であろう。石黒敬七氏著「写された幕末ー石黒敬七コレクション」明石書店1997年第4刷刊164〜165頁に、同じような湯殿が、写されている。
同解説は次のとおり。

山の出で湯
①明治初年箱根温泉の豪華な内湯、既にガラスがはめられている。

長崎外の古写真考 目録番号:1175 町中の鯉のぼり

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1175 町中の鯉のぼり

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1175 町中の鯉のぼり
〔画像解説〕
町の中の鯉のぼり。道路に4本の鯉のぼりが風に泳いでいる。手前の家は二階建て。少し先の家の屋根の上に物干し台がある。道には多くの人が歩いており、日傘を差した女性の姿も見える。

目録番号:4907 鯉のぼり(3)
〔画像解説〕
原題は Boys Festival at Yokohama. 平屋建の小さな家が並んでいる。瓦葺きと並んで檜皮葺様の屋根も見える。都心から少しはずれた地域の写真と思われるが詳細は不明。

■ 確認結果

目録番号:1175「町中の鯉のぼり」は、次の目録番号:4907「鯉のぼり(3)」と同じ場所を撮影し、〔撮影地域:横浜〕となると思われる。
物干し台とその家の屋根、背景の山が同じようである。

長崎外の古写真考 目録番号:1075 玉尾稲荷祭礼

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1075 玉尾稲荷祭礼

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1075 玉尾稲荷祭礼
〔画像解説〕
川を隔てて見た玉尾稲荷の祭礼。昇りには「玉尾稲荷大明神」と書かれている。石垣で護岸工事がなされた川には船着場が作られ、川には屋形船が浮かんでいる。

■ 確認結果

目録番号:1075「玉尾稲荷祭礼」は、東京都中央区東日本橋3丁目、清洲橋通り近くに残る「玉尾稲荷神社」ではないだろうか。明治の東京地図で確認をお願いしたい。
現在の写真は、中央区観光協会特派員「北遊人」ブログの東日本橋稲荷巡りから。

長崎外の古写真考 目録番号: 401 嵐山(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 401 嵐山(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 401 嵐山(2)
〔画像解説〕
嵐山を背景に、広くゆったりとした桂川が流れている。川岸には、3階建てで広い縁をもつ、料理屋らしき建物がある。

目録番号:4493 嵐山の三軒茶屋(3)
〔画像解説〕
嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。三軒茶屋は中央部が3層、東部と西部が2層となり、東部と中央部は棟続きとなっている。三軒茶屋の東西両側の保津川岸には、長い屋根付きの床が設けられ、嵐山を鑑賞する構造となっている。

■ 確認結果

目録番号: 401「嵐山(2)」の、「3階建てで広い縁をもつ、料理屋らしき建物」は、次の目録番号:4493「嵐山の三軒茶屋(3)」のとおり、嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」である。
[食べログ」京都 嵐峡館 らんきょうかんによると、田山花袋の「日本温泉めぐり」〜近畿の温泉〜(ランティエ叢書)に、次のとおり京都「嵐山温泉」の話がでてくる。

京都の嵐山の奥にある温泉、あれなども人は大騒ぎをして出かけた。炭酸泉で、温度が摂氏の十一度と言うのだから、そう大したものではないのであるが、温泉に乏しい近畿地方では、これでも頗る珍としなければならなかった。
それに、京都に近いので、その旅舎の設備は、温泉という名に呼んではあるけれども、どっちかと言えば、旗亭がつれ込宿の設備で、金もかかるし、おうと落ち着いていられるような処でもなかった。それでも、花か紅葉の時に、舟をそこまで曳かせて上って来て、川に臨んだ欄干に凭れながら、静かに盃をふくむのもまた旅情を慰める一つである。

しかし、田山花袋本で語られているのは、平成16年3月に開湯した渡月橋近くにある嵐山温泉(上河原町)ではなく、(元禄山町)の嵐山温泉のことらしい。
保津川の西京区側の河畔、亀山公園の向かいに建つ純日本建築の一軒宿のようです。どうやら「嵐峡館」のことのようです。渡月橋のふもとから旅館まで、遊覧船に乗って行くそうです。

長崎外の古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 117 江ノ島海岸(1)
〔画像解説〕  省略 写真のとおり。以下、同じ。
目録番号: 292 江ノ島の兜岩
目録番号: 373 江ノ島(3)
目録番号: 374 江ノ島の洞窟(2)
目録番号: 909 由比の浜からの江ノ島
目録番号:1203 江ノ島(11)
目録番号:1514 江ノ島聖天島
目録番号:1730 江ノ島(13)

■ 確認結果

HP”江の島マニアック”「江の島の古写真」の項が、長崎大学データベースの江ノ島関係古写真から29作品を取り上げ、解説している。 http://mirabeau.cool.ne.jp/enoshima/
その中から撮影場所など、具体的に参考となるのが次のとおりある。本ブログの前記事も参照。

目録番号: 117 江ノ島海岸(1)
撮影場所は、現在の「片瀬東海岸」。正面に見えるのは小動岬。
https://misakimichi.com/archives/2560

目録番号: 292 江ノ島の兜岩
江ノ島の兜岩ではなく、「エボシ岩」。
https://misakimichi.com/archives/2203

目録番号: 373 江ノ島(3)
撮影場所は、奥津宮を過ぎて稚児ヶ淵へ降りる。現在の「魚見亭」のある場所。

目録番号: 374 江ノ島の洞窟(2)
江の島の「第一岩屋」。マニアックの解説「舟からのアングル」?は、調査が必要。

目録番号: 909 由比の浜からの江ノ島
写っているのは「小動岬」。「七里ヶ浜」からの撮影。

目録番号:1203 江ノ島(11)
マニアックの解説は、撮影者(保管者):上野彦馬?。調査が必要。

目録番号:1514 江ノ島聖天島
「聖天島」は、埋め立てられ普通の小山になった。現在の江の島「東町海岸」。
https://misakimichi.com/archives/2560

目録番号:1730 江ノ島(13)
撮影場所は、「龍口山」から見た江の島。

長崎外の古写真考 目録番号: 896 海水浴

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 896 海水浴

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 896 海水浴
〔画像解説〕
海水浴というよりも、サザエ採りのような海の労働をしている男たちを写しているようである。逆光気味に、砕ける白い波をきっちり写し取っており、写真技術が相当に高いレベルに達していることを示している。

■ 確認結果

目録番号: 896「海水浴」は、神奈川県「江ノ島海岸の鮑採り」の風景ではないだろうか。
HP”江の島マニアック”「江の島岩屋と磯」の項に、絵葉書「相州江ノ島海岸ノ鮑採り」が掲載されている。
遠景の半島が写っていないなど違いがあるが、中央の岩場や4人の構図は不思議なほど良く似ている。