長崎外の古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 117 江ノ島海岸(1)
〔画像解説〕
英文タイトルは江ノ島となっているが、特定はできない。

目録番号:1514 江ノ島聖天島
〔画像解説〕
江ノ島の南の岩場。左手の岡の下に家があり、右手に海が見える。

目録番号:4462 江ノ島(17)
〔画像解説〕
撮影者未詳。明治時代の写真か。‘Yenoshima’のタイトルがある。鎌倉七里ヶ浜からの眺めで、手前に馬子(まご)と荷馬車が写り、右側に小動岬(こゆるぎみさき)と腰越(こしごえ)の集落がある。ところで、江戸時代後期には近海に出没する外国船を監視するため、小動岬に遠見番所が置かれていた。

■ 確認結果

目録番号: 117「江ノ島海岸(1)」の画像解説は、「英文タイトルは江ノ島となっているが、(場所は)特定はできない」となっている。
江ノ島とすると、次の目録番号:1514「江ノ島聖天島」のとおり、現在は江ノ島の一部、聖天島公園となっている「聖天島」が考えられるが、島や砂浜の形が違う。

かえって江ノ島の手前、腰越海岸、小動崎あたりが風景が合いそうなので、最後に目録番号:4462「江ノ島(17)」を載せた。これも‘Yenoshima’のタイトルあり。七里ヶ浜からの眺めで、小動岬と腰越集落を逆に写している。

以下、「聖天島」関係は参考のため。ウィキぺディア フリー百科事典による説明は、次のとおり。

聖天島は江の島東端に浮かぶ小島で、2つの岩の形が観喜天の姿に似ていることから付けられたという。1703年の元禄地震の隆起によって半島になった。1960年代の埋立により海岸から離れ、小さな岩山という感じになっている。南側に小公園がある。
千日修業中の良真が島上に弁才天の姿を見て将軍実朝に下之宮(辺津宮)建立を請願するきっかけとなった場所といわれる。南面に小さな祠があり、良真上人像が安置されている。側面の崖は島東部のみに分布する逗子層が見られ、貝化石が含まれる。

安藤広重が描いた江ノ島の図(江ノ島の左、中央の小さな島が聖天島)は、HP「YPC(横浜物理サークル) 江ノ島の自然」から。隆起年代は、1923年関東地震としている。
聖天島絵葉書2点と現在の写真は、HP「江の島マニアック 聖天島」から。

(2014年1月25日 追記)

HP「江の島マニアック」に、最近「江の島の古写真」の項が作成されていた。目録番号:117「江ノ島海岸(1)」については、次のとおり現地の解説があっているのが判明した。
「江ノ島海岸とタイトルにあるがこれは現在の片瀬東海岸で正面に見えるのは小動岬。
腰越の漁師の漁船が見える。」