長崎外の古写真考 目録番号: 125 浅草山谷堀 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 125 浅草山谷堀 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 125 浅草山谷堀
〔画像解説〕
整理番号14-35と同じ写真。浅草・今戸から根岸に達していた運河。隅田川から猪牙船(一名山谷船)に乗って吉原に通う遊客が盛んに通過した。猪牙船には屋根がないとあるから、写真の船とは違う。左岸に軒を連ねているのは船宿か。昭和33年、吉原遊郭が廃されてからは、運河のほとんどが埋め立てられた。

目録番号: 645 雪の山谷堀
〔画像解説〕
整理番号3-26と同じ写真。浅草・今戸の境から西の三ノ輪に向かって直進し、根岸に達していた運河。隅田川から猪牙船に吉原に通う遊客が盛んに通過した。昭和33年、吉原遊郭が廃されてからは、そのほとんどが埋め立てられた。

目録番号:2412 雪景色の山谷堀
〔画像解説〕
山谷堀の最も下流に架かる今戸橋の上より上流を望んだ写真。明治中期までこの辺りは料亭があり芸者のいる花町だった。遊客を運ぶ猪牙舟(ちょきぶね)はこの山谷堀を通ったので、吉原通いを俗に山谷通いとも呼んだ。山谷堀には9つの橋が架かっていたが埋め立てで取り除かれた。跡地は山谷堀公園になっている。明治初年の内田九一撮影だが、これは後に彩色され販売された写真である。

■ 確認結果

3作品とも、明治初年、内田九一?撮影の同じ写真か。タイトル、撮影者、キーワードなど違い、「山谷堀」と検索しないと全部が出てこない。3作品が関連作品となっていない。このような例は多い。