長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 401 嵐山(2)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 401 嵐山(2)
〔画像解説〕
嵐山を背景に、広くゆったりとした桂川が流れている。川岸には、3階建てで広い縁をもつ、料理屋らしき建物がある。
目録番号:4493 嵐山の三軒茶屋(3)
〔画像解説〕
嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。三軒茶屋は中央部が3層、東部と西部が2層となり、東部と中央部は棟続きとなっている。三軒茶屋の東西両側の保津川岸には、長い屋根付きの床が設けられ、嵐山を鑑賞する構造となっている。
■ 確認結果
目録番号: 401「嵐山(2)」の、「3階建てで広い縁をもつ、料理屋らしき建物」は、次の目録番号:4493「嵐山の三軒茶屋(3)」のとおり、嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」である。
[食べログ」京都 嵐峡館 らんきょうかんによると、田山花袋の「日本温泉めぐり」〜近畿の温泉〜(ランティエ叢書)に、次のとおり京都「嵐山温泉」の話がでてくる。
京都の嵐山の奥にある温泉、あれなども人は大騒ぎをして出かけた。炭酸泉で、温度が摂氏の十一度と言うのだから、そう大したものではないのであるが、温泉に乏しい近畿地方では、これでも頗る珍としなければならなかった。
それに、京都に近いので、その旅舎の設備は、温泉という名に呼んではあるけれども、どっちかと言えば、旗亭がつれ込宿の設備で、金もかかるし、おうと落ち着いていられるような処でもなかった。それでも、花か紅葉の時に、舟をそこまで曳かせて上って来て、川に臨んだ欄干に凭れながら、静かに盃をふくむのもまた旅情を慰める一つである。
しかし、田山花袋本で語られているのは、平成16年3月に開湯した渡月橋近くにある嵐山温泉(上河原町)ではなく、(元禄山町)の嵐山温泉のことらしい。
保津川の西京区側の河畔、亀山公園の向かいに建つ純日本建築の一軒宿のようです。どうやら「嵐峡館」のことのようです。渡月橋のふもとから旅館まで、遊覧船に乗って行くそうです。