長崎外の古写真考 目録番号: 292 江ノ島の兜岩

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 292 江ノ島の兜岩

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品を取り上げる。

目録番号: 292 江ノ島の兜岩
〔画像解説〕
相模湾の小島である江ノ島は古くから霊場として信仰を集めたが、江戸時代以降、庶民の間でも参詣が流行した。幕末期の日本の写真を多く残したベアトは、この島を「絵の島」として紹介し、「ここまで足を伸ばす価値は充分にある」と書き残している。

■ 確認結果

目録番号: 292「江ノ島の兜岩」の画像解説は、ベアトが「兜岩」の小島を「絵の島」として紹介し、書き残したと説明している。
古写真の「兜岩」は、実際は江ノ島の西方、茅ヶ崎の「サザンピーチちがさき」正面沖、1.2kmにある小島姥島を成す「えぼし岩」である。サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」に、”えぼし〜岩が遠くに見える♪”と歌われる岩。
茅ヶ崎市HPの観光情報から、「えぼし岩」の画像及び歴史の説明を載せる。

えぼし岩の歴史

湘南を歌ったお馴染みの歌の中に再三登場する、茅ヶ崎のシンボル「えぼし岩」の誕生は、300万年前から600万年前といわれています。
えぼし岩周辺の地層は茅ヶ崎最古のもので、砂岩層と火山層が縞をなしていて、海底に堆積した地層が隆起したものといわれています。

また、えぼし岩のある姥島周辺は岩礁となっているので昔から絶好の漁場で、江戸時代には伊豆の漁師と地元小和田の漁師との間で漁場争いが起こり、その際に小和田の名主は京都の公卿近衛某が東下りの途中に詠んだという「相模なる小和田が浦の姥島は たれをまつやら ひとりねをする」という歌があったことを思い出し、その短冊を証拠に姥島が小和田の領地であることを主張し、紛争に勝ったという言い伝えがあります。
小和田の熊野神社にはこの歌碑があります。

昔のえぼし岩は現在のものより先端部分がより烏帽子らしく西へ長く尾を引いていましたが、戦後、米軍の射撃訓練の標的にされ、その先端部分は消失し、わが町のシンボルを守るための市民運動が起き、訓練は中止されました。
海水浴場サザンビーチにあるモニュメント「茅ヶ崎サザンC」の円の中心にも、えぼし岩は顔をだして、記念写真に一緒に収まります。

最後の”ギョ〜ェ〜!サメが釣れたぁ〜!?”は、ギャメロンさんの2010年3月22日画像。