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企画展「長崎・冩眞傳來」 長崎歴史文化博物館で7月8日まで開催中

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企画展「長崎・冩眞傳來」 長崎歴史文化博物館で7月8日まで開催中

次は、JRおでかけネット 長崎イベント情報から。

長崎・冩眞傳來 知られざる日本写真開拓史
幕末の開国と時を同じくして、日本にもたらされた写真。その最先端の地が長崎でした。来崎した外国人写真師たちは、その風景や風俗や人びとを写真におさめ、彼らから写真術を学んだ日本人の中からは、上野彦馬に代表される日本人写真師たちが誕生します。同展覧会では、長崎における写真の伝来と普及の様相を中心とした日本写真史を、「であい」「まなび」「ひろがり」の三部構成で紹介。長崎初公開となる最古の上野彦馬肖像写真をはじめ、長崎大学附属図書館所蔵のボードインアルバム(登録有形文化財)など、約300点が展示されます。

開催日時 2011年6月11日〜7月8日 8:30〜19:00(入館は18:30まで) ※休館日は6月21日
開催場所 長崎市 長崎歴史文化博物館 3階企画展示室
料   金 大人500円、小中高生250円
主   催 長崎歴史文化博物館、長崎大学附属図書館、読売新聞社、美術館連絡協議会、NIB長崎国際テレビ
お問い合わせ先 長崎歴史文化博物館 095-818-8366
関連のホームページ http://www.nmhc.jp/koshashin/index.html

長崎外の古写真考 目録番号:1487 岩の浸食

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1487 岩の浸食

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1487 岩の浸食
〔画像解説〕
珍しい岩の侵食の記録なのか、あるいは道路新設工事の写真なのか判然としない。非常に目立つ電柱とそこから伸びる電線が、近代化日本の象徴として写し取られたのかもしれない。

■ 確認結果

目録番号:1487「岩の浸食」は、岩手県二戸郡一戸町の国指定天然記念物「浪打峠の交叉層」であろう。
学習院大学史料館編「明治の記憶ー学習院大学所蔵写真」吉川弘文館2006年刊24頁に、明治9年(1876)明治天皇東奥巡幸写真「17 末ノ松山(一名浪打峠)」として掲載されている。同解説は次のとおり。
巡幸に随行した写真師は、故内田九一の弟子の「長谷川吉次郎」である。(13頁)

17 末ノ松山(一名浪打峠)
7月10日明治天皇は陸羽街道の浪打峠を越えた。浪打峠は交差した砂目層が顕著で貝化石を含む粗粒砂岩層が露出するため名があり、歌枕の末の松山とも称される。

文化庁などの「文化遺産オンライン」による同文化財の説明は次のとおり。
浪打峠の交叉層 ナミウチトウゲノコウサソウ
天然記念物 地質鉱物 / 岩手県   岩手県二戸郡一戸町一戸字大越田、大道沢地内
浪打峠は、古歌で有名な末の松山とも呼ばれ、その昔一戸から福岡へぬける奥州街道となっていた場所です。交叉層とは、現在では一般的に「偽層」(クロスラミナ)と呼ばれています。クロスラミナは、もとも地層が斜めに交叉する小規模な層の事で、流動している水、または空気の中ですななどが堆積する際に生じるものと言われており、特に末の松山のクロスラミナは、その規模が大きく、しかも外見が美しい事から国の指定となっています。層は荒い砂岩で、なかにはホタテ貝などの化石の砕屑物が層になって点在しており、美しい縞模様となっています。
この浪打峠の地層は、末の松山層と呼ばれ、今から700万年前のものと言われています。

現在の写真は、HP「ウチノメ屋敷 レンズの目」風景の表情から。

長崎の古写真考 目録番号:3803 中島川と編笠橋(4) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3803 中島川と編笠橋(4) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3803 中島川と編笠橋(4)

目録番号:5634 中島川と編笠橋(7)

■ 確認結果

目録番号:3803「中島川と編笠橋(4)」と、目録番号:5634「中島川と編笠橋(7)」は、同じ写真である。〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊95頁に、「99.中島川と編笠橋」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3803「中島川と編笠橋(4)」の作品だろう。

99.中島川と編笠橋
長崎やその周辺を撮影した風景写真。…No.99は長崎市内の中島川にかかる編笠橋を撮影した写真。編笠橋は中島川にかかるアーチ型の石橋の一つで、元禄年間に架橋された。その後、洪水で流出し、享和年間に再架橋されており、写真の橋は、享和年間に架けられた橋である。…No.99には「A 135 VIEW OF NAKAJIMA NAGASAKI」(長崎中島の眺望)の文字が見える。ともにNo.94・97と同一のアルバムに貼付されている。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2339
諏訪神社が奥に写っている。背後の高い山は金比羅山である。ながさき浪漫会編「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」長崎文献社平成11年刊82頁に、編笠橋の松は、昭和のはじめも写っている。

長崎の古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) (再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) (再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3809 高鉾島(16)
〔画像解説〕
神の島の海岸から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。

■ 確認結果

目録番号:3809「高鉾島(16)」は、〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊95頁に、「98.高鉾島」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3809「高鉾島(16)」の作品だろう。

98.高鉾島
長崎やその周辺を撮影した風景写真。No.98は長崎湾の高鉾島を写した写真。高鉾島は長崎湾口に位置し、長崎港入港の目印となってきた島である。
…No.98には「A 139 TAKABOKO NAGASAKI」…の文字が見える。ともにNo.94・97と同一のアルバムに貼付されている。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/1687
現在の神の島教会付近から撮影したものではない。「ドンク岩」(現在、白亜のマリア像が建つ)から続いた岩礁の先の方から、高鉾島を撮影しているだろう。

長崎の古写真考 目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3807 雲仙小地獄(1)

■ 確認結果

目録番号:3807「雲仙小地獄(1)」は、〔撮影者:上野彦馬〕であろう。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊94頁に、「97.雲仙小地獄」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3807「雲仙小地獄(1)」の作品だろう。

97.雲仙小地獄
雲仙小地獄は長崎県雲仙にある温泉地帯で、享保年間に湯治場として開かれた。「地獄」の名称は江戸時代にキリシタンなどに熱湯をかけて迫害したことに由来するとの説もある。明治以降も九州有数の湯治場として人気を集めた。この着色写真には「A 195 UNZEN KOJIGOKU AT NAGASAKI」と写し込まれている。No.94・98・99と同一のアルバムに貼付。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

長崎の古写真考 目録番号:3241 中島川の常夜灯(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3241 中島川の常夜灯(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3241 中島川の常夜灯(1)

目録番号:3250 中島川の常夜灯(2)     (同写真 掲載略)

目録番号:6666 中島川の常夜灯(4)

(常夜灯の場所作品)

目録番号:3802 中島川と上野彦馬邸(5)

目録番号:5640 中島川と上野彦馬邸(6)
〔画像解説〕
中島川上流、銭屋川の上野彦馬邸(左側の大木が見える白塀の家)前。石の常夜灯(昭和57年の長崎大水害で流失)の左が中島聖堂である。彦馬の家の河原は流水を調整するためか、井堰が見える。左の人物は人力車用に敷石で舗装された車道に立っている。後方のとがった山は豊前坊、稜線は右の英彦山へと続く。

■ 確認結果

目録番号:3241「中島川の常夜灯(1)」など3作品は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊93頁に、「96.中島川の常夜灯」として掲載されている。同解説は次のとおり。
所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、目録番号:3241「中島川の常夜灯(1)」の作品だろう。

96.中島川の常夜灯
長崎市内を流れる中島川とその河畔に建つ常夜灯を撮影した着色写真。中島川は長崎市の中心を流れているが、上野彦馬邸もこの川の河畔に建てられていた。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

撮影場所は、次の目録番号:3802「中島川と上野彦馬邸(5)」と、目録番号:5640「中島川と上野彦馬邸(6)」に、同じ常夜灯と川の渡り石など写っている。上野彦馬邸前にあった石の常夜灯(昭和57年の長崎大水害で流失)を撮影したのであろう。
現在の写真は、中島川畔の「上野撮影局跡」モニュメントがある場所から写した。現在、桃渓橋近く「二股」の所に常夜灯があるが、ここの常夜灯ではない。

長崎の古写真考 目録番号:3248 崇福寺山門(3)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3248 崇福寺山門(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3248 崇福寺山門(3)
〔画像解説〕
崇福寺三門(楼門)。撮影年代不詳。最初はこの造りでなかったが、嘉永2年(1849)竜宮門造りで再建された。長崎の代表的な観光地。現存し、国指定重要文化財。

■ 確認結果

目録番号:3248「崇福寺山門(3)」は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊92頁に、「95.崇福寺」として掲載されている。同解説は次のとおり。

95.崇福寺
崇福寺は寛永6年(1629)、中国・福州地方出身の唐人たちの希望により、唐僧、超然が招かれて建立した日本最古の黄檗宗寺院で、長崎を代表する唐寺。上野撮影局に程近い鍛冶屋町にあり、竜宮門を思わせるこの写真の三門は現在も残る。この写真はNo.89と同一の台紙の同一面に貼付されている。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 学校法人産業能率大学

長崎の古写真考 目録番号:3797 諏訪神社の大鳥居(5)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3797 諏訪神社の大鳥居(5) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3797 諏訪神社の大鳥居(5)
〔画像解説〕
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。諏訪神社参道の入り口の大鳥居と諏訪神社を見た写真。鳥居の右側に、近代的な街灯が見え、近代化しつつある長崎が分かる。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。

目録番号:5656 諏訪神社の大鳥居(10)

■ 確認結果

目録番号:3797「諏訪神社の大鳥居(5)」と、次の目録番号:5656「諏訪神社の大鳥居(10)」は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊92頁に、「94.諏訪神社の大鳥居」として掲載されている。同解説は次のとおり。所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、上野アルバムにある目録番号:3797「諏訪神社の大鳥居(5)」の作品だろうか。

94.諏訪神社の大鳥居
現在も長崎市上西山町にある、諏訪神社の参道入り口の大鳥居を撮影した写真。傘鉾や龍(じゃ)踊りなどで知られる「長崎くんち」はこの諏訪神社で行われる祭礼のひとつ。諏訪神社は上野撮影局から200メートルほどの距離にあった。写真中に「A125 SUWA TEMPLE GATE 
AT NAGASAKI」(長崎の諏訪神社の鳥居)との写し込みあり。この写真はNo.97・98・99と同一のアルバムに貼付されている。 
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 撮影年未詳  所蔵者 長崎大学附属図書館

ニの鳥居から奥の白い鳥居を写しているが、現在の写真は上のとおり。途中に三の鳥居が建てられている。ニの鳥居脇の灯籠は同じで現存する。

長崎の古写真考 目録番号:2888 大浦天主堂(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2888 大浦天主堂(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2888 大浦天主堂(1)

目録番号:3822 大浦天主堂(2)

目録番号:6133 大浦天主堂(6)

■ 確認結果

目録番号:2888「大浦天主堂(1)」など3作品は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊89頁に、「90.大浦天主堂」として掲載されている。同解説は次のとおり。所蔵者「長崎大学附属図書館」なら、上野アルバムにある目録番号:3822「大浦天主堂(2)」の作品だろう。

90.大浦天主堂
…天主堂は明治12年(1879)に改築されており、…No.90はそれ以後の撮影。台紙には…No.90には「A 176 MINAMEYAMA AT NAGASAKI.」との記載がある。…No.90は着色写真。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 明治12年以降  所蔵者 長崎大学附属図書館

長崎の古写真考 目録番号:4543 小菅の造船所と長崎港 (再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4543 小菅の造船所と長崎港 (再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:4543 小菅の造船所と長崎港

■ 確認結果

目録番号:4543「小菅の造船所と長崎港」は、〔撮影者:上野彦馬〕ではないだろうか。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊83頁に、「80.小菅からの長崎港眺望」として掲載されている。同解説は次のとおり。

80.小菅からの長崎港眺望
上野彦馬は周りを囲む山々から長崎湾を俯瞰した写真を数多く撮影している。No.80の写真は長崎小菅からとらえたものである。台紙裏に「Nagasaki」「10.8.99」の書込みがあり、明治32年(1899)の撮影と思われる。着色写真。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 明治32年(1899)  所蔵者 学校法人産業能率大学

撮影場所は、戸町墓地の上部から。この項は本ブログの次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/1884