長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1487 岩の浸食
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:1487 岩の浸食
〔画像解説〕
珍しい岩の侵食の記録なのか、あるいは道路新設工事の写真なのか判然としない。非常に目立つ電柱とそこから伸びる電線が、近代化日本の象徴として写し取られたのかもしれない。
■ 確認結果
目録番号:1487「岩の浸食」は、岩手県二戸郡一戸町の国指定天然記念物「浪打峠の交叉層」であろう。
学習院大学史料館編「明治の記憶ー学習院大学所蔵写真」吉川弘文館2006年刊24頁に、明治9年(1876)明治天皇東奥巡幸写真「17 末ノ松山(一名浪打峠)」として掲載されている。同解説は次のとおり。
巡幸に随行した写真師は、故内田九一の弟子の「長谷川吉次郎」である。(13頁)
17 末ノ松山(一名浪打峠)
7月10日明治天皇は陸羽街道の浪打峠を越えた。浪打峠は交差した砂目層が顕著で貝化石を含む粗粒砂岩層が露出するため名があり、歌枕の末の松山とも称される。
文化庁などの「文化遺産オンライン」による同文化財の説明は次のとおり。
浪打峠の交叉層 ナミウチトウゲノコウサソウ
天然記念物 地質鉱物 / 岩手県 岩手県二戸郡一戸町一戸字大越田、大道沢地内
浪打峠は、古歌で有名な末の松山とも呼ばれ、その昔一戸から福岡へぬける奥州街道となっていた場所です。交叉層とは、現在では一般的に「偽層」(クロスラミナ)と呼ばれています。クロスラミナは、もとも地層が斜めに交叉する小規模な層の事で、流動している水、または空気の中ですななどが堆積する際に生じるものと言われており、特に末の松山のクロスラミナは、その規模が大きく、しかも外見が美しい事から国の指定となっています。層は荒い砂岩で、なかにはホタテ貝などの化石の砕屑物が層になって点在しており、美しい縞模様となっています。
この浪打峠の地層は、末の松山層と呼ばれ、今から700万年前のものと言われています。
現在の写真は、HP「ウチノメ屋敷 レンズの目」風景の表情から。