長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4543 小菅の造船所と長崎港
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:4543 小菅の造船所と長崎港
〔画像解説〕
小川一真製作と思われる化粧紙表紙小型アルバムに収載された1枚でB204 HARBOUR,NAGASAKIと印字。これは長崎郊外の小菅にあった修船場を撮影している。慶応元年(1865)渡英中の、薩摩の五代才助(のち友厚)がベルギー商人コント・デ・モンブランと契約して帰国後この地に計画され、グラバーや小松帯刀が出資し岩瀬公圃らが監督にあたり明治元年(1868)に落成した。日本最初のドックであるこのスリップ・ドックはソロバン・ドックと呼ばれた。明治2年(1869)新政府はグラバーからこれを買取り長崎造船所の所管とした。明治5−8(1872−5)、木造蒸気船・向陽丸70トン、帆走船二本マスト・小菅丸103トン、内車蒸気・タグボート・たてがみ丸92トンを進水させた。写真には巻き上げ機を収容する赤い煉瓦の建物(日本最古)の横に修船中の大型鉄船の舳先が見える。対岸は立神その右の建物群は飽の浦になる。明治30年(1897)頃の撮影か。
■ 確認結果
長崎市教育委員会編「長崎市古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の94頁にも同じ古写真が掲載されていて、すでに前に紹介している。同146頁による「図版解説」は次のとおり。
古写真集による前の記事は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1621
84 小菅と長崎港〔彩色〕 日本カメラ博物館所蔵
戸町の丘上の墓地から長崎港を遠望したもの。眼下にみえるのが明治元年に完成した小菅修船場(通称ソロバンドック)で、艦船がドック入りしている。茶色に塗られた捲上げ小屋は、現存するわが国最古の煉瓦造建築である。対岸の中央が三菱造船所の立神ドックで、背後の山が稲佐山。電柱が立っていることからして、明治30年代の撮影とみられる。停泊している艦船も5000t以上の大型船がふえていたのがうかがえる。
小ヶ倉バイパスからアプローズマンションの方へ戸町墓地の上部駐車場まで行く。長崎港内と市街地を写した目録番号:4543「小菅の造船所と長崎港」は、駐車場から右手でなく、左手へ上がった墓地の高台から撮影されている。この辺りが撮影の名所だったのだろう。
目録番号:4543「小菅の造船所と長崎港」の〔画像解説〕は概ね間違いないが、小菅修船場でスリップ・ドックによる船舶修理を行った外、「明治5−8(1872−5)、建造・進水させたという木造蒸気船・向陽丸70トン、帆走船二本マスト・小菅丸103トン、内車蒸気・タグボート・たてがみ丸92トン」」の年代とトン数。
特に小菅の地名を船名とした「小菅丸」は、日本最後の大型木造汽船。交通博物館(東京都千代田区)の船舶展示(船の歴史)に、「小菅丸模型」が展示されている。同館の資料によると、(1496トン;1883年)とあるから、小菅丸は7年の年月をかけて明治16年に完成したのではないか。 ほとんどの資料は「1496トン」とあり、引用資料を調べてほしい。
この記事は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1858
古写真集とも説明に表われている「立神」も対岸中央でなく、小菅修船場ドックの長崎港入口が立神を向いているから、古写真の一番左端の入江となるようである。