長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2901 南山手からの大浦と出島(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:2901 南山手からの大浦と出島(1)
目録番号:2902 南山手からの大浦と出島(2)
〔画像解説〕
撮影者は不詳であるが、埋立地の様子(左手の第2期埋立地が造成されたばかりである)から撮影時期は文久2(1862)年であり、このアングルでは長崎大学が所蔵する最古の写真である。手前のベルビュー・ホテルがまだコの字型であり、東山手にはほとんど建物が見られない。
目録番号:6151 長崎のパノラマ(9)
■ 確認結果
目録番号:2901「南山手からの大浦と出島(1)」と、目録番号:2902「南山手からの大浦と出島(2)」も、〔撮影者:F.ベアト〕だろうか。パノラマ写真の中央部分である。
ベアトは文久3年(1863)春に来日した。撮影年代はその頃とならねばならない。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊24,25頁に、パノラマ風景「19.長崎全景」(クリック拡大)として掲載されている。同解説は次のとおり。
19.長崎全景
南山手からの眺望。中央は大浦外国人居留地、海を挟んで左手遠方に出島が見える。次頁左側の写真右手山の中腹にある塔を持つ建物は英国聖公会(文久2年10月竣工)、その右手前の甍は妙行寺。(C)
執筆は、斎藤多喜夫(横浜開港資料館)氏。(C)は、写真の出所。
「C;香港のシルベイラ(Silveira)なる人物が”Album du Japon”と名づけて売り出したアルバムだが、明らかに海賊版である。少なくとも日本の風景写真の大半はベアトの写真を複製したものと思われる。ベアト以外の写真家の作品が紛れ込んでいる可能性も無いとはいえない。海賊版のせいか画質も悪いが、歴史資料としての価値があるので、すべて収録した。(整理番号;Acl−216 横浜開港資料館の所蔵するアルバムの整理番号)」とある。
長崎大学附属図書館HP「古写真ボードインコレクション」によると、後ろの写真どおりF.ベアト撮影の目録番号:6151「長崎のパノラマ(9)」(クリック拡大)があり、同解説は次のとおり。
松ヶ枝海岸造成や東山手・大浦居留地建物の状況から見ると、前の目録番号:2901「南山手からの大浦と出島(1)」などの方が、撮影年代は早いようだ。
写真家ベアトが撮影した元治元(1864)年の長崎外国人居留地の鳥瞰写真です。撮影地点はグラバー邸あたりで、左奥には出島の家並みが写されています。すぐ前の大きなコの字型の木造建築は建設後間もないベルビューホテルで、右手の東山手の丘には、文久2(1862)年10月に建った日本最初のプロテスタント教会である英国聖公会教会(塔をもつ建物)とイギリス領事館が見えます。
本ブログ次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/2229