月別アーカイブ: 2011年6月

長崎の古写真考 目録番号: 669 老夫婦(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 669 老夫婦(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 669 老夫婦(1)
〔画像解説〕
白髪に髭を生やした夫と白髪の妻。人生の年輪を感じさせる目が輝いている。

目録番号:2375 老夫婦の肖像

■ 確認結果

目録番号: 669「老夫婦(1)」は、アルバムD「伝上野彦馬作品集」からの写真(整理番号15−9)。〔撮影者:上野彦馬〕であるかは、調査中のよう。
目録番号:2375「老夫婦の肖像」は、その参考資料の写真として掲げられている小川一馬撮影の「明治の老夫婦」。〔撮影者:小川一馬〕である。

長崎大学古写真研究会「古写真研究 第1号」1994年4月発行105〜107頁に掲載されている。同解説は次のとおり。
…このうち、「老夫婦」(15−9)は、幕末・明治にかけて変貌する時代世相を見てきた眼の輝きを見事に写し撮った、すばらしい写真といえよう(写真8)。これは小川一馬が父母を撮ったあの有名な「明治の老夫婦」に匹敵する傑作だといえよう(注2・写真9)

注2 斎藤多喜夫「横浜写真小史ーF.ベアトと下岡蓮杖を中心にー」(『F.ベアト幕末日本写真集』横浜開港資料館 1987年刊)ほか。

長崎の古写真考 目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 531 和楽器で合奏する女性たち(1)
〔画像解説〕
日本髪に着物姿の女性4人が琴・明笛・堤琴・月琴を演奏する写真。

■ 確認結果

目録番号: 531「和楽器で合奏する女性たち(1)」は、アルバムA「伝上野彦馬作品集」からの写真(整理番号12−1)。〔撮影者:上野彦馬〕であるかは、調査中のよう。
長崎大学古写真研究会「古写真研究 第1号」1994年4月発行100頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

1)楽器で合奏する女性たち(12−1)「人物」
日本髪の若い女性4人が琴、横笛、胡弓、月琴を弾き合奏している図。背景は布を張り、床にジュータンを敷く。長崎から始まって全国的に流行した明清楽の演奏風景を演出したもの。スタジオで撮影。いかにも長崎の風俗らしい演出といえよう。(写真2)

古写真と絵葉書に見る茂木街道

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古写真と絵葉書に見る茂木街道

ブライアン・バークガフニ氏の研究紀要「古写真と絵葉書に見る茂木街道」。長崎大学附属図書館「古写真研究 第3号」2009年5月発行57〜62頁に掲載されている。地元や茂木史談会には貴重な資料となるだろう。

英文のため、本文は省略し、古写真と絵葉書、図版解説の部分だけ抜粋した。長崎大学データベースには、ほかにも多数の茂木街道関係写真があるので参照。新しく茂木街道と判明した作品もあり、本ブログの次の記事としている。
https://misakimichi.com/archives/2218

長崎外の古写真考 目録番号:な し ベアト撮影「母と子」 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し ベアト撮影「母と子」 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:な し ベアト撮影「母と子」 ほか

■ 確認結果

石黒敬章氏著「幕末・明治のおもしろ写真」平凡社2004年初版第4刷77頁の写真と解説は次のとおり。

上野彦馬の不思議発掘
〔写真7〕いたけない子を背負う女性。ベアトのアルバムにあるからベアト撮影だが、背景が上野彦馬の家であるよう気がしてならない。この女性も、『甦る幕末』280頁掲載の女性に似ている。ベアトが彦馬の写場を訪れた際、この写真も撮ったということは考えられる。

私もこの女性は気になっていた。横浜開港資料館編「F.ベアト写真集1 幕末日本の風景と人びと」及び「F.ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊に再三、登場する。
『甦る幕末』280頁掲載の上野彦馬撮影女性か、また上野写場かは別として、ベアト撮影の6作品の女性は、着物の色合いなどから同一人のようにも見える。

第1集 162頁  226.母と子   
第2集  40頁   70.官吏の妻女
64頁   89.踊り子
76頁  105.駕籠
81頁  115.母と子
88頁  124.化粧

写真集『甦る幕末』朝日新聞社1987年第1刷273頁及び280頁の作品も、参考のため掲げる。上野彦馬撮影とは、どの写真の女性のことだろうか。
長崎大学データベースに目録番号がある作品があるので、本ブログの次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/2754
https://misakimichi.com/archives/2756

「上野彦馬の人物像」による上野撮影局撮影作品

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「上野彦馬の人物像」による上野撮影局撮影作品

長崎伝習所出島事始め塾企画・編集「上野彦馬の人物像ーその業績とその後の長崎」が平成15年3月に発行されている。塾の研究成果の報告書。
「上野撮影局が撮影した写真」が、次のとおり掲載されている。参考のため(1)(2)の肖像写真を除き、そのまま載せる。

7.上野撮影局が撮影した写真
(1)日本人・ 写真(35−1〜20)     掲載略
(2)外国人・ 写真(36−1〜10)     掲載略
(3)風景写真・ 写真(37−1〜22)
(4)軍 艦・ 写真(38−1〜 8)
(5)その他・ 写真(39−1〜 4)

■ 確認結果

全部が「上野彦馬」撮影作品と思われそうな写真集の報告書だが、そうではない。あくまで「上野撮影局が撮影した写真」と記す。一部、明らかに門下生で後に開業した「内田九一」撮影とされる作品も見られるようだ。

参考文献・資料、写真所蔵は、59頁にある。長崎大学附属図書館は、この報告書も生かしさらに研究を進め、「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」を整備していただきたい。

長崎外の古写真考 目録番号: 381 東京の町並み(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 381 東京の町並み(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 381 東京の町並み(1)
〔画像解説〕
川向うに 「江口商店」 の看板が見える。 手前の洋風の建物には目印が見えない。

■ 確認結果

目録番号: 381「東京の町並み(1)」は、東京の「新橋」である。橋向こうは金春通りの花街。客待ちの人力車が並ぶ。撮影年代は、明治15年前後のよう。
長崎大学データベースで、以前は「超高精細画像」を見ると、詳しい画像解説があった。それがどうした事情か、最近のシステムでは「ボードインコレクション」以外、全部省かれ困っている。

石黒敬章氏著「続 幕末・明治のおもしろ写真」平凡社1998年初版第1刷142〜147頁によると、著者が次のとおり撮影場所を比定し、「新橋」と発見された経過が記されている。

「新橋」である根拠
①橋に擬宝珠があること。
②光線の具合が合っていること。
③橋向こうの建物が似ていること。
④帝国ホテルの場所(距離と角度)が合っていること。
⑤時計塔は小林時計店本店だったこと。

長崎外の古写真考 目録番号:6751 お神輿(3)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6751 お神輿(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6751 お神輿(3)

■ 確認結果

目録番号:6751「お神輿(3)」は、ファサリ商会発売。〔撮影地:横浜〕ではないだろうか。
石黒敬章氏著「幕末・明治のおもしろ写真」平凡社2004年初版第4刷100頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

珍しい横浜写真
〔写真7〕子供神輿。バックに低い丘が写っているので横浜だろうか。旭日旗を持っているのでもう明治も後半だ。ファサリ商会発売。

長崎外の古写真考 目録番号:4221 笑う女性 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4221 笑う女性 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4221 笑う女性
〔画像解説〕
両腕を首の後ろで組んで、くつろいだポーズをとる丸髷の女性で、黒繻子(くろしゅす)の襟をつけた大柄な縦縞の普段着を着ている。ただ綸子(りんす)文様の帯は不釣合である。

目録番号:5604 笑う日傘の女性

■ 確認結果

目録番号:4221「笑う女性」と、目録番号:5604「笑う日傘の女性」のモデルは同一人であろう。
名前は「笑子(えみこ)ちゃん」。笑う写真を日本人に根づかせることに寄与した最大の功労者。(筆者が勝手に命名。いつまでも名無し有名人では困るから)と、次の資料がある。

石黒敬章氏著「幕末・明治のおもしろ写真」平凡社2004年初版第4刷16,21頁の女性とそのポーズ。目録番号の写真とほとんど似ている。同解説は次のとおり。
笑う写真のルーツを探る
〔写真13〜23〕絵はがきになった「笑子ちゃん」。この女性の笑って絵はがきは40〜50種ありそうだ。コロタイプ印刷、手彩色。発行は明治38〜45年頃だが、撮影は明治25〜35年であろう。明治35年発行の横浜写真のアルバムに同じ写真が含まれているので、明治35年以前であることは確実。

A.ファサリは、明治23年(1890)イタリアに帰国した。写真館は共同出資者や日本人写真家の手で経営が続けられたが、著者がこのA.ファサリ?の作品に、本文でもふれられていないのは、何かあるのだろうか。
年表風に整理した18頁に、○明治20〜35年 横浜写真に笑う「笑子ちゃん」登場。とは記している。

長崎外の古写真考 目録番号:3422 イギリス公使館庭のガワーと武士達

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3422 イギリス公使館庭のガワーと武士達

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3422 イギリス公使館庭のガワーと武士達

■ 確認結果

目録番号:3422「イギリス公使館庭のガワーと武士達」は、安政6年(1859)、イギリス公使館が置かれた東禅寺(現東京都港区)の庭で、ロシエが撮影した写真である。横浜開港記念館所蔵。
横浜開港記念館編「F.ベアト写真集 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊98頁の「解説編」の中に、資料写真「4.東禅寺の庭の護衛兵 安政6年(1859)、ロシエ撮影。当館蔵」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号: 632 奈良の野仏 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 632 奈良の野仏 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 632 奈良の野仏  (2014年5月28日追記)
[画像解説]
詳細不明。高さ5m程度と思われる石仏の傍らに、着物姿で髷を結った人物が佇んでいる。

目録番号:2409 石仏(2)

■ 確認結果

目録番号: 632「奈良の野仏」と、目録番号:2409「石仏(2)」は、東京の「千住小塚原の延命地蔵尊」である。
石黒敬章氏編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の414頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

〔千住小塚原の延命地蔵尊〕 ⅠⅠⅠ23−38
小塚原(現荒川区南千住5丁目)には鈴ヶ森と並ぶ江戸の処刑場があった。日本橋本町にあった浅草刑場が次第に郊外に移され、小塚原へ落ち着いたのである。寛保元年(1741)に建てられた延命地蔵尊と、元禄11年(1698)に建立の南無妙法蓮華経とお題目の刻まれた石碑が痛々しく写っている。明治5年頃のキャビネ大。