月別アーカイブ: 2009年11月

薩摩川内市里町(上甑島)の風景・史跡 (1)

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薩摩川内市里町(上甑島)の風景・史跡 (1)

甑島列島は、鹿児島県薩摩川内市に属し、串木野新港から38kmの県西方海上にある。上甑島・中甑島・下甑島が連なり、全長は約35km。面積は約119k㎡。甑島県立自然公園となっている。串木野新港から甑島の玄関・里港まで、高速船50分、フェリー1時間10分である。
鹿児島県総合観光サイト「ゆっくり悠・遊 観光かごしま」観光スポット里町などによる説明は、次のとおり。

写真  1〜  2    里町交流センター「甑島館」   里町里
薩摩半島の西方海上に浮かぶ甑島の玄関港、里港に建つ里町交流センター「甑島館」は、海のブルーとのコントラストが美しい白い建物。甑島唯一の滞在型温泉施設です。全客室から紺碧の東シナ海を望み、甑島ならではのオーシャンビューを堪能できます。この館の自慢は、サウナや露天風呂も備えた天然温泉。湯は赤褐色がかった塩化ナトリウム泉で、体の芯から温まります。… (近くのモニュメントは「里の風」)

写真  3〜  4    薩摩川内市合併記念碑・薩摩川内市里支所

写真  5〜  6    トンボロ地形              里町
里町の集落はトンボロと呼ばれる面白い地形の上に成り立っています。海を隔てた島が、沿岸流でできた砂州で結ばれた陸繋島をイタリア語でトンボロといい、海底や沿岸流によって運ばれた砂や石が、波の作用によって水面上に現れたものです。一般的に細長くて低く、里トンボロは、南北に約1500メートルで最大幅1000メートル、最小幅250メートル、高さは2、3メートルあります。
里町の陸繋は、里の東浦を東より襲う台風と、西浦へ西より吹き付ける冬の季節風によって、沿岸海底の砂礫が押し上げられてできたものと考えられています。

写真  7〜 10    市の浦キャンプ・海水浴場    里町市の浦
市の浦海水浴場は、きめ細かい白砂と澄んだ遠浅の海が広がる里町北端のビーチです。野島や筒島など大小の島々を望む素晴らしい景勝地です。透明度の高い海での海水浴はもちろん、魚釣りや磯遊びは格別。…

写真 11〜 12    ◇市の浦遊歩道
野島や筒島など大小の島々を望む素晴らしい風光と市の浦海岸を望みながら散策できます。…(以下とも甑島観光協会HP)

写真 13〜 15    ◇亀 城 跡
小高い丘の上に残された亀城跡は、承久の変で戦功のあった鎌倉方の武将:小川太郎季能の子:季直が地頭とし築城したと言われています。南方の丘には甑隼人の城であったという鶴城跡があり、両者合わせて[鶴亀城]と呼ばれています。

写真 16〜 17    ◇釣 鐘(通称ドン)
明治23年に発布された教育勅語30年を記念して、大正9年10月30日に里村青年団が亀城跡(通称一の段)に鐘楼を建設し、その中に釣鐘を設置しました。釣鐘は「ドン」という愛称で住民に親しまれ、鐘が打たれると「ドンが鳴った」と言われました。…

長崎学さるく “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” (2)  平成21年11月

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長崎学さるく “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” (2)  平成21年11月

平成21年11月9日(月)晴。長崎学さるく幕末編行事 “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” 参加スタッフとも12人。講師は「《トピックスで読む》長崎の歴史」著者で長崎街道ネットワークの会江越弘人先生。
諏訪神社鳥居前9時半発ー新大工通りー春徳寺ー城の古址ーししこまさまー焼山城跡ー七面山妙光寺(昼食)ー烽火山番所道ー烽火山・狼煙台窯跡ー南畝石ー秋葉神社ー妙相寺15時着(徒歩約14km)

あまり知られていない長崎市東部の山、焼山と烽火山(標高426m)の史跡を山歩きを兼ね訪ねた。見学場所は次のとおり。江越先生作成資料から「11 烽火山番所道」は概略を載せる。
本ブログにもすでに「烽火山かま跡・番所道・南畝石など」の書庫あり。各記事を参照。

10 七面山妙光寺 コウゴウ岩
11 烽火山番所道 新番所跡・旧番所跡・大荷床
烽火台までの登路は、「長崎市史」に詳しく記しているが、今日まで、登る人がいなく、廃道となって、一時期、その登路を確認することができなかった。平成19年にようやくこの道を発見して、登れるように整備したが、市史に記されてからかなり時代が経っており、周りの様子など違ってきている所がある。そこで、市史の記述をもとに現状を比較してみよう。…
(現 状)
番所道は、妙光寺のかなり下手の住宅地が途切れる辺りから右に曲りすぐ左に登っていく。畑が尽きたところに、小さな石橋(板状)が架かっている。単なる畑道や山道にしては、立派な石材を使っているので、これが番所道だと知ることができる。石橋を過ぎると左手に深く刻まれた急な山道を登っていく。今では、樹木が繁り、展望は全くない。番所の跡は、僅かに残る石垣と平地からようやく判断することができる程度である。
残念なことに「染筆松」の石碑は、どこを探しても見つからない。また、谷間の泉も、大水害で谷筋が変ってしまって見つけることができなかった。
12 烽 火 山 狼煙台窯跡・南畝石(その他 亀石・人面岩)
13 秋 葉 山
14 瑠璃光山妙相寺(曹洞宗)

次回は、11月29日(日)に”橘湾沿岸の台場跡めぐり” 講師は諌早市郷土館織田正人先生。9時30分東望道バス停集合。

長崎学さるく “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” (1)  平成21年11月

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長崎学さるく “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” (1)  平成21年11月

平成21年11月9日(月)晴。長崎学さるく幕末編行事 “城の古址周辺と烽火山の昔の番所道をさるく” 参加スタッフとも12人。講師は「《トピックスで読む》長崎の歴史」著者で長崎街道ネットワークの会江越弘人先生。
諏訪神社鳥居前9時半発ー新大工通りー春徳寺ー城の古址ーししこまさまー焼山城跡ー七面山妙光寺(昼食)ー烽火山番所道ー烽火山・狼煙台窯跡ー南畝石ー秋葉神社ー妙相寺15時着(徒歩約14km)

あまり知られていない長崎市東部の山、焼山と烽火山(標高426m)の史跡を山歩きを兼ね訪ねた。見学場所は次のとおり。江越先生作成資料から「9 焼山城跡」は概略を載せる。
1 大 手 橋
2 桜馬場天満宮(真言宗 威福寺跡)
3 上長崎村役場跡
4 桜馬場天満宮と雲龍寺跡
5 長崎村庄屋跡(長崎甚左衛門館跡)
6 華嶽山春徳寺(臨済宗建仁寺派)
7 城の古址 龍頭巌・末次平蔵政直の墓 金鍔谷 タンタンタケジョ 城の古址観音堂
8 ししこまさま
9 焼山城跡
焼山は、八気山とも書かれ、標高190m余の山城で、時代は不明であるが、長崎氏が築いたものである。現在、城塞の大部分が崩壊しているので、城の状態を知ることはできないが、僅かに崩れ残った石塁などから、高さ1m余の石塁が周囲300m以上に亘って焼山を取り囲んでいたものと思われる。
山頂の船人首塁(ふなとくびつか)と呼ばれる所は、かつて処刑されたポルトガル人の首を埋めた所という言い伝えがある。…

北鹿児島の風景  長島町・阿久根市・薩摩川内市ほか

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北鹿児島の風景  長島町・阿久根市・薩摩川内市ほか

北鹿児島への旅。これまで紹介した史跡・巨樹・石橋以外の風景などの写真。

熊本県天草富岡港、下田温泉海岸、牛深港フェリー、鹿児島県長島町蔵之元港、蔵之元のアコウ、長島海岸展望所、黒之瀬戸大橋、阿久根市の肥薩おれんじ鉄道、薩摩川内市の川内川畔カッパ、樋脇町のセンダン、祁答院町蘭牟田の世界一郷水車、いちき串木野市の市来海岸吹上浜、冠岳道標(「串木野停車場」の刻みあり)、さつま町の下手田の神、伊佐市の財寶温泉大口工場、さつま町の平川道標(「米之津港(九里…)」の刻みあり)

郡山八幡神社  伊佐市大口大田

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郡山八幡神社  伊佐市大口大田

伊佐市大口市街地中心から国道268号を水俣方面へ向い、車で約8分。右手に郡山八幡神社がある。
琉球建築の情調も強く加味されており。国指定重要文化財となっている。日本最古の「焼酎」の文字がある木片は資料館「木樽」に展示されている。木片写真は近くの観光案内板から。
伊佐市HP「いさ(伊佐)市」観光地案内による説明は次のとおり

郡山八幡神社 (国指定重要文化財)

郡山八幡神社は、建久5年(1194年)に創建されたといわれ、現在の建物は京都・金閣寺より古い16世紀頃に建てられたものです。今から500年近く前の建物が中央文化から遠く離れた薩摩に残っていることは非常に珍しく、昭和24年に国の重要文化財に指定されました。
昭和29年の解体修理の際、本殿北東の柱貫の先端から宮大工の落書きが発見されました。これは施工主の寺僧がケチで、改築にあたっていた宮大工に一度も焼酎をご馳走してくれなかったのに腹を立てて書き残したものと思われます。これが、わが国における「焼酎」という文字の初見であるとされています。
永禄2年(1559年)当時、すでにこの地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ、民俗資料としても従来の説を覆す重要な資料となりました。
住所 鹿児島県伊佐市大口大田1549

曽木発電所遺構  伊佐市大口曽木

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曽木発電所遺構  伊佐市大口曽木

「曽木の滝」ついては、前の記事にしているので参照。曽木の滝公園下側(滝からすると上部落下点 前記事写真5)に曽木発電所用の導水口があり、岩をくりぬいた導水路の隧道跡がある。
曽木発電所跡は曽木の滝の1.5km下流にあり、鶴田ダムへの県道404号鶴田大口線により下って行くと、対岸側から発電所跡のレンガ造建物を眺められる展望台がある。

なお、県道整備のため滝のすぐ下流側に「曽木大橋」を架橋工事中で、大きな橋脚を築いていた。伊佐市HP「いさ(伊佐)市」観光地案内などによる説明は次のとおり

曽木発電所遺構  (伊佐市大口曽木)

曽木の滝の1.5キロメートル下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のもので、水俣のチッソなどにも送電を行っていました。
昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没することになりましたが、現在では渇水期の5〜9月頃に中世のヨーロッパの居城跡を思わせるレンガ造りの建物が姿をあらわします。その時期以外は大鶴湖の湖底に沈み、存在をも忘れさせます。また、周辺にはヘッドタンクやずい道跡なども残っており、土木遺産として貴重なものとなっています。

創設者は野口遵で、牛尾大口金山に電力を供給するために明治42年に曽木の滝の水力を利用する電気事業を起こしました。当時としては大規模な800キロワットの電力を作りだし、余剰電力を使い水俣ではカーバイト生産を開始。後に、戦前における日本最大の化学会社へと発展したことから、この発電所は日本化学工場発祥の地といわれています。

曽木の滝  伊佐市大口宮人

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曽木の滝  伊佐市大口宮人

伊佐市大口市街地中心のおおくちふれあいセンターから、国道267号線を宮之城方面へ向い、大口南中学校手前の三差路を右折し、県道404号線へ入る。そこから車で約5分である。
さつま町方面から国道267号線により大口へ入った場合は、曽木で伊佐広域農道が交差するので、広域農道に左折して西へ進むと「曽木の滝」へ着く。川内川の鶴田ダム上流となる。

伊佐市HP「いさ(伊佐)市」観光地案内による説明は次のとおり。曽木の滝の1.5km下流にある「曽木発電所遺構」は次項へ。

曽木の滝公園  (伊佐市大口宮人)

滝幅210メートル、高さ12メートルの壮大なスケールを誇り、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる曽木の滝。千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は、訪れる人々を釘付けにするほど豪快。一帯は自然公園となっており、四季の彩りも美しく桜や紅葉の季節には、イベントも開催されます。
大型駐車場も整備されており、園内には食事処・土産品店が軒を並べています。なかでも鯉料理や黒豚を使った料理は絶品です。

公園内の清水神社は縁結びと安産の神様が祭られています。この付近は、江戸時代に水運による米の輸送を行っており、その水路を開くために大規模な川浚えを行った歴史があります。またその当時の川浚え唄は今でも伝えられています。
下流には、レンガ造りの曽木水力発電所跡がダム湖に残り、夏季には中世のお城を思わせる風貌で水面に姿をあらわします。

新時代の景観を選ぶ「平成百景」曽木の滝が第24位に入りました!
この投票は、読売新聞社が創刊135周年を記念して行なわれたもので、全国から300か所の候補地をリストアップし、全国の読者からの投票を募りました。総投票数は全国で64万票を上回り、それをもとに選考委員会が開かれ、100景観が2009年(平成21年)4月中旬選定されました。曽木の滝は第24位に入りました。

山崎郷地頭仮屋跡  薩摩郡さつま町山崎

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山崎郷地頭仮屋跡  薩摩郡さつま町山崎

薩摩川内市樋渡町の「倉野磨崖仏」を見て、県道394号線により薩摩郡さつま町山崎に入った。山崎町交差点をまっすぐ進むと、山崎小学校前で国道328号線と合う。この角に古屋敷跡の門と大イチョウがあり、中の広場へ入ると「山崎郷地頭仮屋跡」であった。
現地説明板は次のとおり。大イチョウと置かれた石材が何か気になり、写しておいた。

山崎郷地頭仮屋跡

山崎郷は、島津藩政時代は藩の直轄地で郷内の行政は地頭仮屋で行われていました。
寛永16年(1639)の薩摩藩内の外城のなかに山崎の名があり、山崎村の成立は寛永年間と推察されます。この当時久富木村が含まれていたかは明確でありません。そしてその後の明暦〜万治(1655〜1660)の頃に、ニ渡・白男川・泊野は東郷から山崎郷に編入されています。
地頭仮屋は、文政10年(1827)の再撰帳によると「其時分地頭仮屋町中宿場内ニ御座候処文化十一年戌正月地頭仮屋直シ方ノ願申出又元ノ地頭仮屋敷ヘ引直シ有之候」と書かれており、一時山崎町の中宿場内にあったが文化11年(1814)の頃また元の場所(現在地)に移されています。
そして地頭仮屋は明治(1867)に入り、山崎戸長役場、山崎村役場、昭和28年(1953)に山崎町役場となり昭和30年に宮之城町と合併しました。
平成8年に山崎御仮屋跡の埋蔵文化財発掘調査が実施され、御仮屋時代の建物跡や陶磁器、古銭等が出土しています。また、この一帯には中世の頃に浄福寺があったといわれており、発掘調査で擁立柱2本が出土し、付近には多数の五輪塔が現存しています。

冠嶽園・仙人岩・冠 岳  いちき串木野市冠岳ほか

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冠嶽園・仙人岩・冠 岳  いちき串木野市冠岳ほか

串木野市街の国道3号線大原町交差点から、県道39号串木野樋脇線により樋脇町・市比野温泉方面へ行く。県道左に見えてくる高い山が冠岳の3岳。冠岳小学校入口を過ぎ、しばらく進むと「冠嶽園」入口の赤い橋がある。
中国風庭園のある冠嶽園の背後の岩が仙人岩。冠嶽園から冠岳山腹の展望公園まで上がると日本一の徐福像がある。車はまだ上の鎭國寺頂峯院まで行き、途中から登山道を40分登ると冠岳(西岳 標高516.4m)山頂へ着く。車道の一周道路は、県道39号線手前の西岳登山口からも上がり、串木野ダム脇を通って行く。

鹿児島県総合観光サイト「ゆっくり悠・遊観光かごしま」いちき串木野市観光スポットによる説明は次のとおり。仙人岩の植物群落は、鹿児島県博物館HPの文化財から。

冠嶽園(かんがくえん)   所在地 いちき串木野市冠岳13511-7 (旧串木野市)

冠嶽園は、薬草の宝庫でもある山岳仏教の名山「冠岳」の縮景と、その名の由来である「方士徐福」の伝承を顕現するため頂峯院跡地に設けられた中国風庭園です。また、串木野市が東海(東中国海)をはさんで面している南部諸市省を中心に、中国との友好関係を深めたいと願いをこめたものでもあります。入り口の渓流に木橋の2連橋が架かり、散策路に最適です。

冠岳展望公園        所在地 いちき串木野市冠岳(西岳中腹)

串木野市内や東海や西岳(冠岳)が眺望でき絶景である。 また、東海や中国を眺めて立つ日本一(高さ8m)の「徐福像」が建立されている。

冠嶽山鎭國寺頂峯院    所在地 いちき串木野市上名7647-111 (旧串木野市)

冠嶽(かんむりだけ)は、秦の徐福来山以降二千年余の歴史を有する薩摩屈指の霊山です。用明天皇(聖徳太子御父君)の御代、蘇我馬子は勅願により紀州熊野権現を勧請し、その別当寺として興隆寺を建立しました。平安時代、阿子丸仙人が天台宗となし、室町時代勅を受け名僧宗寿法印が京都東寺より下るに及んで、真言宗鎭國寺頂峯院(ちんごくじ ちょうぼいん)と改められました。藩主島津家歴代の信仰も厚く、寺運は大いに高まった方と伝えられますが、明治の廃佛毀釈以後その全容を知ることは困難となっていました。 昭和58年、現山主村井宏彰師が入山。山麓に結ばれた葉衣菴に百年ぶりに法灯が灯されました。同61年には宗教法人として認可。平成元年大師堂が落慶し、その後黄不動堂、熊野薬師堂、庫裡と漸次建立され現在に至っています。

冠 岳(かんむりだけ)    所在地 いちき串木野市冠岳 (旧串木野市)

昔も今も信仰の山として畏敬の念をもたれる霊山冠岳。ここは古代山岳仏教発祥縁の地であり、真言密教の地としても知られ、また不老不死の霊薬の言い伝えがあるほどの薬草の宝庫でもあります。数多くの奇岩や怪岩、様々な欧穴などが不思議な魅力を譲し出し、残された様々な史跡が昔日の彼方に消えていった歴史の面影を今に伝えています。
また、その周辺には、親水公園や中国風庭園「冠嶽園」などがあります。11月23日には「かんむりだけ山市物産展」が行われ、秋の風物詩となっており、多くの人で賑わいます。また、冠岳の中腹を一周する冠岳ウォーキングコース(歩行者専用道路・約10キロ)があり、様々な古代山岳仏教史跡が残っていますので、これらをお詣りしながらの登山も楽しめます。

仙人岩の植物群落      県指定 天然記念物

指定年月日 昭和29年5月24日  所在地 いちき串木野市冠岳
いちき串木野市の北東にある冠岳は,標高516mの山で,西岳,中岳,東岳に分かれます。仙人岩は,東岳の下にある冠岳神社の裏手にある小峰で,高さ70mの絶壁に囲まれた場所です。
この岩の北側頂上付近にはキクシノブが自生し,スダジイやイスノキ,リュウキュウマユミ,サツマルリミノキ,リュウビンタイ,ハヤトミツバツツジなどを構成種とする特徴的な照葉樹林が発達しています。シイ林の中にはヤッコソウも自生しています。

薩摩金山蔵  いちき串木野市下名

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薩摩金山蔵  いちき串木野市下名

国道3号線が串木野市街へ入る手前、野下口の交差点から右折して行く。三井金山資料館がある。施設入館料は無料だが、坑道貯蔵・仕込蔵トロッコ見学は、大人700円。
薩摩金山蔵株式会社HPによる説明は次のとおり。

薩摩金山の歴史に身をゆだねる
今から約350年も昔、薩摩藩、第19代大守島津光久公の頃に鉱脈が発見され、ひと頃は、日本一の産金量を誇っていた串木野金山。江戸時代初期以来、薩摩の財政を支え、明治維新の原動力となったといわれるその存在は、数々の物語を私たちに語り、伝えてくれます。坑道の奥深くに刻まれた時と、時代の流れを感じてください。

本格焼酎のルーツ、そして仕込蔵の今
500年にもわたり、さまざまな変遷を経ながらも、庶民が楽しむ蒸留酒として生き続けてきた薩摩の本格焼酎。薩摩金山蔵では、串木野金山の350年に亘り掘り続けられた総延長120キロメートルにもおよぶ坑道に、甕仕込みと甕貯蔵の蔵を構えております。
…仕込みの様子は、坑道内の仕込蔵で実際にご覧いただけるようになっております。また、坑道内は1年を通して20℃前後という一定した気温に保たれ、地下ということもあり紫外線はゼロ。焼酎作りだけでなく、濵田蔵置場1,000リットル甕がずらりと並ぶ貯蔵にとっても、良い環境が整っているのです。…これほど地下深くに仕込蔵を持つ蔵も世界唯一、薩摩金山蔵だけです。