山崎郷地頭仮屋跡  薩摩郡さつま町山崎

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山崎郷地頭仮屋跡  薩摩郡さつま町山崎

薩摩川内市樋渡町の「倉野磨崖仏」を見て、県道394号線により薩摩郡さつま町山崎に入った。山崎町交差点をまっすぐ進むと、山崎小学校前で国道328号線と合う。この角に古屋敷跡の門と大イチョウがあり、中の広場へ入ると「山崎郷地頭仮屋跡」であった。
現地説明板は次のとおり。大イチョウと置かれた石材が何か気になり、写しておいた。

山崎郷地頭仮屋跡

山崎郷は、島津藩政時代は藩の直轄地で郷内の行政は地頭仮屋で行われていました。
寛永16年(1639)の薩摩藩内の外城のなかに山崎の名があり、山崎村の成立は寛永年間と推察されます。この当時久富木村が含まれていたかは明確でありません。そしてその後の明暦〜万治(1655〜1660)の頃に、ニ渡・白男川・泊野は東郷から山崎郷に編入されています。
地頭仮屋は、文政10年(1827)の再撰帳によると「其時分地頭仮屋町中宿場内ニ御座候処文化十一年戌正月地頭仮屋直シ方ノ願申出又元ノ地頭仮屋敷ヘ引直シ有之候」と書かれており、一時山崎町の中宿場内にあったが文化11年(1814)の頃また元の場所(現在地)に移されています。
そして地頭仮屋は明治(1867)に入り、山崎戸長役場、山崎村役場、昭和28年(1953)に山崎町役場となり昭和30年に宮之城町と合併しました。
平成8年に山崎御仮屋跡の埋蔵文化財発掘調査が実施され、御仮屋時代の建物跡や陶磁器、古銭等が出土しています。また、この一帯には中世の頃に浄福寺があったといわれており、発掘調査で擁立柱2本が出土し、付近には多数の五輪塔が現存しています。