月別アーカイブ: 2009年4月

1−E 帆掛山の山頂直下  (確認 長崎要塞第一地帯標 第十五号)

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1−E 帆掛山の山頂直下  (確認 長崎要塞第一地帯標 第十五号)

尾根道を北に向けて急な登りが10分ほど続き、帆掛山(植林地となり地元で「ヒノキ山」とも言う)三角点172.2mに着くすぐ手前、竹林内平地の溜穴の傍らに建つ。
標石は「長崎要塞第一地帯標」「第十五号」である。

この道は、女神大橋天門峰から飽の浦峠を通り稲佐岳へ続く縦走路である。障子岩山は戦時中、陣地構築のため山容を変えた。今は西泊ヶ丘と称し広場となっている所もあるが藪である。
障子岩山の今も残る陣地跡や三菱造船所が直下に見える立神山を通るが、この尾根道には地帯標石2本と天門峰の地理局測点以外、見あたらない。

なお、その後の平成19年7月29日、飽の浦峠の手前、旧峠道市道の道脇に「長崎要塞第一地帯標」「第一六九号」が見つかっている。
詳しくは、次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/145

1−D 西泊中学校裏のピーク  (確認 長崎要塞第一地帯標 第十四号)

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1−D 西泊中学校裏のピーク  (確認 長崎要塞第一地帯標 第十四号)

木鉢側から西泊中学校のグランドへ石段を上がり、校舎左脇の山道に入り5分ほど登った小高いピークにある。
標石は「長崎要塞第一地帯標」「第十四号」である。

手 袋 岩  長崎市戸町4丁目

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手 袋 岩  長崎市戸町4丁目

女神大橋の戸町側歩道の右方のピークに、大きな岩があり、岩の下に不動明王などの石祠が見える。戸町辺りから眺めると手袋のように見えるので、「手袋岩」と呼ばれている。
この岩には、女神大橋側から登れない。トマス金鍔次兵衛が隠れたという金鍔谷の平屋建物の真照寺の後ろを通り登る道が、かろうじて残っている。
「金鍔谷」の2008年12月記事は、 https://misakimichi.com/archives/1503
ほしなべ氏「金鍔の手袋岩」記事は、http://blogs.yahoo.co.jp/hoshinabedon/24087816.html

4月13日夕方近く、金鍔谷から訪ねてみた。寺の後方の道脇にすぐ地蔵1体が立ち、この道が本道と思われる。荒れているが、踏み跡を金鍔谷の上方へだいたいまっすぐ登って行くと、約20分ほどで「手袋岩」へ着く。
岩は小岩と大岩がつながり、これが戸町側から手袋の形に見えるのではないだろうか。鞍部から両方の岩へ上がれるが、危険なので十分な注意が必要である。
小岩に地蔵2体(1体は首なし)、大岩の後ろへ回り込むと女神大橋から見えた不動明王と女神像の石祠があった。長崎港口の高い所にある岩の上。展望は写真のとおりすばらしい。

岩永弘氏著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006春刊の96頁による説明は次のとおり。
魚見岳台場跡にあるような明治時代の「女神検疫所境」標石があると聞いていたので、探したら現在の長崎検疫所側へ向かう尾根上に、1本が残っているのを確認した。

手 袋 岩

金鍔大師院真照寺(長崎四国第24番霊場)背後の山は、丁度戸町辺りから眺めると手袋の様に見えるので付近の人は手袋岩と呼んでいます。裏山一帯は急峻な森林地帯で、少し冒険心が必要で真上に屹立した大岩があります。頂上の岩祠に不動明王と女神像が祭られ、秘境地の感があります。

福田の散策 (10) 白浜海水浴場周辺  長崎市柿泊町

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福田の散策 (10) 白浜海水浴場周辺  長崎市柿泊町

福田の散策(10)は、長崎市柿泊町の「白浜海水浴場周辺」。国道202号線の小江小浦から小江トンネルを抜けたところが、白浜海水浴場の入口である。奇岩の浜で、地形がおもしろい。
布袋厚氏著「長崎石物語」2005年長崎文献社刊の108〜110頁による説明は次のとおり。海水浴場から歩くので、写真は説明の逆となった。
2008年3月の記事は次。 https://misakimichi.com/archives/672

白浜海水浴場周辺の絶景 「傘瀬」「潜り岩」「鵜飼堂穴」など奇岩の浜

白浜海水浴場は長崎市街地にもっとも近い海水浴場で、長崎市の西海岸、小江と手熊のあいだにある。海水浴場のなかには、おもしろい地形があるし、ちかくの海岸には地層が連続して露出し、観察するのには最適である。

手熊のバス停から海岸に出て、南(海に向かって左)にむかい、海ぞいに1kmほどの道のりを歩くと海水浴場につく。最初に長さ100mほどの砂浜があり、そのむこうにキノコの形をしたおもしろい岩がある。これは大村藩の古文書『郷村記』に「傘瀬」と記されている。そこから150mほどすすむと左手の崖に小さなトンネルのような穴があいている。これは「潜り岩」と書かれている。そこから、砂浜をみながら250mほど行くと、こんどは大きなトンネル状の穴につく。これは『郷村記』に「鵜飼堂穴」としるされている。

これらの地形はいずれも波の作用によってできたものである。傘瀬はしだいにやせ細って、最後は折れてしまうであろう。鵜飼堂穴の100m北西(沖瀬)にある2個の巨大な岩は、キノコ型の岩が折れて、その場に転がったものと考えられる。「潜り岩」「鵜飼堂穴」のようなトンネルの地形を海食洞門という。海食洞門はふつう、断層の割れ目にそって浸食が拡大し、貫通してできたものである。

鵜飼堂穴をぬけると、海岸の崖をつくっている火砕流堆積物を数100mにわたって観察できる。ただし、足場が悪いところがあるし、潮位変化によって孤立したり、高波にさらわれたりする危険があるので、じゅうぶんな注意が必要である。…

福田の散策 (9) 長崎市総合運動公園  長崎市柿泊町

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福田の散策 (9) 長崎市総合運動公園  長崎市柿泊町

福田の散策(9)は、長崎市柿泊町の「長崎市総合運動公園」。2003年に開かれた長崎ゆめ総体のために造成されたもので、陸上競技場は同大会のメイン会場として総合開会式と陸上競技を開催した。その他野球場、テニスコートが整備されている。
HP「長崎市総合運動公園」の利用案内による説明は次のとおり。
写真の後半は補助競技場と、近くの小江原の堤。最後は岩屋山頂から見た総合運動公園。

長崎市総合運動公園

長崎市総合運動公園は、ゆたかな緑に囲まれた自然の中にあるスポーツ&レクリエーションの総合施設です。長崎市北部の柿泊地区に位置しているため、通称「かきどまり」として市民の皆様に親しまれています。
広大な敷地には、第1種公認陸上競技場をはじめ野球場、庭球場などの本格的な競技施設や、ちびっこ広場・多目的広場など子どもからお年寄りまで楽しめる多くのフィールドを備えています。

福田の散策 (8) 手熊・柿泊・上浦の風景・史跡  長崎市手熊町ほか

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福田の散策 (8) 手熊・柿泊・上浦の風景・史跡  長崎市手熊町ほか

福田の散策(8)は、福田の西部地区となる手熊・柿泊・上浦の風景・史跡。長崎市総合運動公園と白浜海水浴場周辺の風景は別項。
柿泊の集落、手熊台場(砲台)跡、白髭神社、キリシタン墓、前の手熊橋親柱、手熊川の河口、アーチ石橋の杉の上橋、柿泊と手熊海岸、長崎市手熊浄水場、県道の式見トンネル、手熊の集落と小江原への県道、長崎市立手熊小学校、舞岳の遠望など

写真 14〜    アーチ石橋の「杉の上橋」
架橋は大正5年  長さ4.6m  幅員1.8m
手熊川の河口から50m程上流の支流との合流点に架かる。杉の上橋は気をつけていないと、ただの歩道に見えてしまう。
河口の手熊橋も石造アーチ橋で有ったが、昭和57年の水害後撤去してしまった。

長崎学さるく”東山手居留地界隈と近くの山歩き” (2)  平成21年4月

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長崎学さるく”東山手居留地界隈と近くの山歩き” (2)  平成21年4月

平成21年4月18日(土)快晴。長崎学さるく幕末編2回目の行事「東山手居留地界隈と近くの山歩き」。参加17人。(1)は祝捷山の昼食まで、(2)は午後の唐船石以降。

長崎水辺の森公園9時半発ー東山手十二番館ー活水学院ー海星高校ーどんの山測候所跡
ー徳三寺ー祝捷山(昼食)ー唐八景ー星取山金星観測跡ー鍋冠山展望台ー小曽根乾堂の墓ー金刀比羅神社ー浪の平15時半着

大浦海岸通りや東山手界隈の洋館を見学した後、星取山金星観測跡や鍋冠山展望台など大浦を取り巻く5つの山約10kmを歩く。いずれも港や市街の展望が良い山である。
幕末編で林正康先生が特別に企画したコースだったが、所用ができ、急ぎ講師はさるくガイドの西岡先生にお願いした。さすが研究熱心、懇切な説明があり、みなさんは満足したであろう。

快晴に恵まれた。やや暑かったが、山頂には涼しい風が吹き、展望はご覧のとおり。唐八景ではハタ揚げをしていた。近くの山なのにかえって行かない。学生時代以来と言う人が多かった。山はこんな変わり、山にこんな史跡があることを見てもらった。
お宮さんブログ記事も参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/15018967.html
次回は、4月26日(日)「長崎港口の史跡と台場めぐり」。詳しくはさるくHPを。

長崎学さるく”東山手居留地界隈と近くの山歩き” (1)  平成21年4月

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長崎学さるく”東山手居留地界隈と近くの山歩き” (1)  平成21年4月

平成21年4月18日(土)快晴。長崎学さるく幕末編2回目の行事「東山手居留地界隈と近くの山歩き」。参加17人。(1)は祝捷山の昼食まで、(2)は午後の唐船石以降。

長崎水辺の森公園9時半発ー東山手十二番館ー活水学院ー海星高校ーどんの山測候所跡
ー徳三寺ー祝捷山(昼食)ー唐八景ー星取山金星観測跡ー鍋冠山展望台ー小曽根乾堂の墓ー金刀比羅神社ー浪の平15時半着

大浦海岸通りや東山手界隈の洋館を見学した後、星取山金星観測跡や鍋冠山展望台など大浦を取り巻く5つの山約10kmを歩く。いずれも港や市街の展望が良い山である。
幕末編で林正康先生が特別に企画したコースだったが、所用ができ、急ぎ講師はさるくガイドの西岡先生にお願いした。さすが研究熱心、懇切な説明があり、みなさんは満足したであろう。

快晴に恵まれた。やや暑かったが、山頂には涼しい風が吹き、展望はご覧のとおり。唐八景ではハタ揚げをしていた。近くの山なのにかえって行かない。学生時代以来と言う人が多かった。山はこんな変わり、山にこんな史跡があることを見てもらった。
お宮さんブログ記事も参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/15018967.html
次回は、4月26日(日)「長崎港口の史跡と台場めぐり」。詳しくはさるくHPを。

長崎の西の空の夕日  09− 7

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長崎の西の空の夕日  09− 7

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔。以下、続く。
変わった景色とし、電線をなくすため、今回から自宅近くにも出かけ写す。

写真 1〜 5  平成21年 4月 9日の18時33分頃
写真 6〜10  平成21年 4月11日の18時20分頃
写真11〜15  平成21年 4月18日の18時39分頃

福田の散策 (7) 小江の風景・史跡  長崎市小江町

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福田の散策 (7) 小江の風景・史跡  長崎市小江町

福田の散策(7)は、小江の海岸を主にした風景と史跡。途中から上がる福田本町の岳も含む。
岳から遠望、長崎カントリー倶楽部、岳カトリック教会、小江海岸埋立地と野島の遠望、旧国道の道、鹿島神社とアコウ・半鐘、小江海岸の岩場、福田中学校跡地と碑、ローラーボード場、小江マリーナ、西部ガス小江工場、野島ピークにある長崎要塞第二地帯標第一号、丹崎海岸と岩場、小江小浦上の旧国道の道から

写真  3    岳カトリック教会
所在地は長崎市福田本町477。長崎カントリー倶楽部から先の集落へ行く。 明治後期、外海地方(出津)から移住した信徒たちは、神ノ島、(木鉢)教会に属していたが、昭和31年(1956)飽の浦教会の巡回教会となる。現在の聖堂は、昭和45年(1970)に建てられた。

写真  4    野島樹叢  長崎市指定天然記念物
指定年月日 昭和50年6月26日 所在地 長崎市小江町2726番地 所有者 長崎市 
野島は、小江の沖合にある周囲700m、高さ50mほどの小島であったが、指定後、島の周辺が埋立てられたので陸地の丘となった。全島がシイ・クスノキ・ツバキ・アラカシ・アコウなどの常緑樹と、ヤマザクラ・カラスザンショウ・ハマクサギなどの落葉樹の自然林におおわれている。また、周辺の岩上には、ヒメハマナデシコ・ホソバワダンなどの海岸植物も多い。林内には数本のマメ科のつる植物、ハカマカズラが見られる。ハカマカズラは琉球系の植物で、本県では県本土と五島列島を点々と北上する稀産の植物で貴重である。

写真 10〜   福田中学校跡地と碑 
中学校HPの沿革誌によると、昭和22年4月8日 福田村立福田小学校併設 福田村立福田中学校開校、福田村立手熊小学校併設 福田村立手熊中学校開校  23年4月8日 小江町に移築起工式  24年9月1日 新校舎開校、9月6日 福田・手熊中学校合流式挙行。
昭和30年1月1日 長崎市編入、長崎市立福田中学校と改称  昭和51年5月29日 福田本町1430番地の1に新校舎完成、移転

写真 16    野島ピークにある長崎要塞第二地帯標
2−A 小江の野島 (確認 長崎第二地帯標 第一号)  かつて小江の湾にあった小さな島。暖海流の影響が大きく「野島樹叢」として市天然記念物に指定されている。今は埋立てられ西部ガスの天然ガス供給基地などができている。島の姿は埋立地内にそのまま残る。
長崎文献社刊「長崎石物語」著者で自然史研究の布袋厚氏が5年前、野島地質調査の際、1級基準点59のピークで標石を見たと記憶され、所在を教えてもらい確認した。「長崎要塞第二(刻面は第二区)地帯標」「第一号」「昭和十四年三月」である。「昭和」の年月は珍しく、資料のとおり、告示3次改正の一時期のものと判断された。18cm角、高さ70cm。