長崎県の石橋」カテゴリーアーカイブ

佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋 (2)

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佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋 (2)

佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋は、10橋である。ただし、10の「橋口の橋」は、レンガ造アーチ。
fwd−net長崎・諫早HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  6  第  72 番  古 野(この)橋     佐世保市吉井町直谷免
昭和12年5月
長さ 13.23m  幅員 3.40m
佐々川の支流福井川に架かる。
北小学校の松浦側のバス停からすぐ。町道町畑線に架かる。現在上流川に橋を追加工事中。上流側に新しい橋を架橋して2つの橋を併用する工事だった。石橋は無事のようだ。

写真  7  第  73 番  板 樋 橋        佐世保市吉井町直谷免
昭和6年3月
長さ 18.3m  幅員 5.3m
佐々川の支流福井川に架かる。
北小学校の手前側農協の脇から板樋に通じる町道に入ってすぐ。
舗装されガードレールが取り付けられているが、橋は全く狂いも無く架橋当時の姿をよく残している。橋の側には直谷城主の墓石群がある。

写真  8  第  70 番  松原2号橋        佐世保市吉井町直谷免
架橋年は不詳
長さ  5.6m  幅員 3.4m
佐々川の支流、福井川のさらに支流に架かる。
田の元から松浦に向かう県道にかかる、唯一のアーチ橋。松原バス停から近い。コンクリートで拡幅を施している。

写真  9  第 164 番  平 山 橋        佐世保市吉井町高峰の高峰線に架かる。
大正9年頃といわれる。
長さ 7.2m  幅員 3.6m
吉井町と佐々町の境界になる佐々川の支流に掛かる。
吉井町「まつばや」(マーケット)前の踏切を渡り、神田線を佐々方向へ向かう。約400mほどで、特別養護介護施設「煌きの里」の方向表示があり左折する。200mほど進み集会所バス停先から左に折れ高峰線へ入る。400mほどいくと川を渡る。この橋が八口橋。そのすぐ上流が平山橋である。
この橋の情報は、石橋の絵を描かれている吉井町の末永様から教えていただきました。

写真 10  第 173 番  橋口の橋(石造アーチ橋にはリスト外とする)
佐世保市世知原町と吉井町の境界に架かる橋
昭和7年ごろ
長さ 4.5m  幅員 8.3m 
もともと世知原線の鉄道橋で、現在はサイクリングロードの橋となっている。
石橋の里、世知原町から吉井町に向けて走って、ちょうど町同士の境界になる小さな佐々川の支流に架かる橋。吉井町側の個人の自宅の長尺物置き場になっていた。

佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋 (1)

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佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋 (1)

佐世保市(吉井町)に残るアーチ石橋は、10橋である。ただし、10の「橋口の橋」は、レンガ造アーチ。
fwd−net長崎・諫早HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第  32 番  樋 口 橋        佐世保市吉井町立石
大正11年 町指定文化財
長さ 未測定    幅員 未測定
佐々川には明治以降に架橋された多くの石造アーチ橋が現存するが、この樋口橋は皇居の二重橋をモデルにしたと云うアーチ橋。確かに雰囲気が違う。

写真  2  第  42 番  前 岳 橋        佐世保市吉井町前岳免
大正11年5月
長さ        幅員
佐々川の支流、福井川に架かる。町の中央公民館脇。 
吉井町は石橋群を町指定の文化財と捉え、町内の石橋の保護につとめているが、最近(10/15/2002)に訪れた際は、石橋の下流側に付けていた歩道橋を撤去して、すっきりとした石橋の姿が見れるように工事中であった。
もちろん代替の道路は、下流側に新設して通行の改善にはつとめるそうだ。
基礎部分の垂直に立ち上がった所から、そのままアーチに入る角度。石の布積みの様子など、下流の樋口橋との共通点が見られる。同時期の架橋なので関連があるのかもしれない。

写真  3  第  53 番  春 明 橋        佐世保市吉井町春明免
大正11年5月
長さ 18.63m  幅員 4.30m
道路の付替えで右手が作り変えてあるが、雰囲気は残っている。
橋のすぐ脇に架橋記念の碑がある。

写真  4  第  47 番  曲 川 橋        佐世保市吉井町田の元免住吉 
昭和8年3月
長さ 15.5m  幅員 3.6m
佐々川の支流、福井川に架かる。田の元バス停下流に架かる。教育委員会の調査によれば、舗装をする前は欄干もあったとのこと。
すぐ下流の前岳橋の写真をとってから、福井に向かうつもりで、初めての道に入ったら何のことは無い、また石橋に出会った。佐々川水系は石橋の宝庫だ。

写真  5  第  74 番  橋 川 原 橋      佐世保市吉井町直谷免
大正15年1月
長さ 14.01m  幅員 3.45m
佐々川の支流福井川に架かる。
曲川橋のすぐ上流に架かる橋。以前から見つけていた橋だったが、今回ようやく名前がわかった。

佐世保市に残るアーチ石橋 (3)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (3)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(3)。三川内山入口の早川小学校跡の小橋は、最近見つかった橋。まだカウントされていない。詳細は別項。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  8  第  84 番  三川内山の石橋     三川内山
年代は未確認       長さ 約2.5m  幅員 約1.0m
三川内皿山の児童公園手前を右手に入る。
陶器めぐりの時にのぞいて見て下さい。かわいい石橋です。

写真               早川小学校跡の小橋   塩浸町
学校の創立は明治12年  長さ 約1.0m  幅員 約2.0m
三川内山への途中で、市立三川内山保育所手前から右手へ下る。
橋上の高台に記念碑「三川内小学校発祥之地 早川小学校跡」がある。

写真  9  第 129 番  小 島 橋          御船町12番地
大正〜昭和初期(未確認)   長さ 5.5m  幅員 3.6m
旧日野線のバス通り御船川に架かる橋。
まるでトンネルのようだが、橋の両サイドの川の上に建物が建っているので、橋の写真を撮ろうとすると、こんな感じになってしまう。
佐世保駅からSSKバイパスに出て、米軍施設を超えたところで、右手に御船幼稚園がある。そちらに入って川沿いに上る。日野線の現在のバス通りを越えて旧道に出たところ橋。

写真 10  第 133 番  飯盛神社参道橋     相浦町飯盛(愛宕)神社参道
大正6(1917)年     長さ 約5.0m  幅員 約7.2m
トンネルではなく参道橋です。トンネルに見えますよね。
飯盛神社というより「愛宕さん」として親しまれているこの神社の参道橋は、参道を登っていたのでは気がつかない。石橋・神社の双方が好きな私も、佐世保市の教育委員会で教えて頂くまでは気が付かずにいたぐらいです。
正面の鳥居の脇から入る狭い道を通るとこの橋に出会えます。輪石の破損の補強と通行人の保護の為に波板と鉄骨で補強されています。

佐世保市に残るアーチ石橋 (2)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (2)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(2)。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  5  第  83 番  藤山神社の御神橋    小舟町120番地 藤山神社境内
年代は未確認      長さ  約4m  幅員 約2.5m
すっきりとしたアーチが良い。正面からは石橋と判りにくい。
天然記念物の大藤とともに境内には多くの藤がある、花の時期にまた訪れたい。

写真  6  第 142 番  久 保 仁 田 橋      小舟町
年代は未確認      長さ 7.0m  幅員  2.0m
相浦川の支流、久保仁田川に架かる。上流は転石貯水池
佐世保市のアーバン研さんに、わざわざ教えていただいた橋です。
時期を見て、ちゃんと準備して川に下りないと、まともな写真は撮れません。

写真  7  第 163 番  筒 井 の 石 橋      筒井町
年代は確認       長さ 5.2m  幅員 3.8m(2.0石橋で拡幅+0.3mコンクリートで拡幅)
相浦川の支流、大平川に架かる橋。柚木交番手前の道を左岸沿いに上がる。
1.8mほどの幅員の橋を石造アーチ橋として2.0m拡幅しているが、拡幅の石組みの方が稚拙に見えるのは、よく見かける光景だ。
この橋の情報は、石橋の絵を描かれている吉井町の末永様から教えていただきました。感謝!!

写真     第 143 番  大 平 橋        筒井町
昭和13年       長さ 3.5m  幅員 3.58m(佐世保市土木部管理課のデータ)
相浦川の支流、大平川に架かる橋。佐世保市の土木部管理課の方から、情報を頂いた橋。拡幅・嵩上げで近くで見ても石造アーチ橋とは判らない。架け替えをされた可能性も否定できない。
柚木元町の九州TENの裏手から、国見峠に向けて道なりに走って左手、滝の観音様の駐車場の脇になる。筒井の石橋の上流に架かる橋。「大平橋」と記載されている。その奥は小さな滝。(この橋は完全に被覆されているためリストからは削除しました)

佐世保市に残るアーチ石橋 (1)

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佐世保市に残るアーチ石橋 (1)

佐世保市(世知原町・吉井町・宇久町を除く)に残るアーチ石橋は、10橋である。そのうちの(1)。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第  82 番  上 木 場 橋   上木場猫山園地
大正元年8月10日起工、同年10月17日竣工  長さ 約10m  幅員 約2.5m
10年程前、この近くで暮らしていたのだが、橋の存在に気がつかなかった。黒髪ダムのすぐ上流。
石工 榊原徳蔵。世話人 浦 冨四郎、富永濱重と記載されている。

写真  2  第 132 番  上 犬 尾 橋   黒髪町27番地
年代は未確認       長さ 約9.0m  幅員 約2.5m
犬尾川の犬尾橋上流に架かる。 黒髪くりのみ幼稚園から裏手に入る。
輪石の厚みが不揃いで、布石のとの隙間が見られる。輪石自体も立ち上がり部は整然としているが、要石付近の頂部に使われている石は、やや不揃い。しかし、アーチに狂いは無く素朴ででありながら端正なシルエットを見せている。

写真  3  第 147 番  白 砂 橋     黒髪町4522番地脇
大正13年2月      長さ  6.3m  幅員 約2.2m(石橋部分)
黒髪町のコープニュータウンの上手にあたる。 広域道路城山大橋の上流。
黒髪から木風に抜ける旧道に架かるが、両側に拡幅してあるので、橋の上から覗き込んだくらいでは石橋は見えない。
拡幅の際にずいぶん乱暴な扱いを受けたようだが、輪石もしっかりしているので問題は無い。なかなか味わいのある石組みが、何処からも見えないのが残念。

写真  4  第 144 番  祝 田 橋     上原(うわばる)町
年代は不明        長さ 7.75m 幅員 4.11m(佐世保市土木部管理課のデータ)
早岐川に架かる橋。佐世保市の土木部管理課の方から、情報を頂いた橋。拡幅した下流側も輪石の部分をコンクリートで作り、布石は既存の石を流用してあるので雰囲気を壊していない。
国道35号線を早岐から三川内に向かって走り、平松入口から左折。団地の途切れたところを右折。

三川内山の早川小学校跡に残る小さなアーチ石橋  佐世保市塩浸町

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三川内山の早川小学校跡に残る小さなアーチ石橋  佐世保市塩浸町

平成20年4月12日、佐世保市三川内山の石橋を訪ねた。陶芸の里「三川内皿山」はJR三河内駅手前、国道35号線三川内山入口交差点から右折し、奥の谷間へ入る。
三川内山の石橋は、「三川内山」バス終点児童公園下の川に残り、すぐ手前の路地から右へ下る。陶石色の見事なアーチ石橋である。

これと別に私が見かけた小さな石橋は、国道から皿山へ行く中間くらいの所。市立三川内山保育所とバス停がある。この手前右方の3軒の民家へ車道からコンクリート舗装道が下って上がっている。道が小川を跨いでいるので、皿山の帰りに寄って調べてみた。
写真のとおり可愛いアーチ石橋が残っていた。上にコンクリートが塗られている。左面から見えるが、右面からは拡幅されて確認できない。幅2m、長さ1mほどの小橋。
礎石や石の組み方からアーチ石橋としてカウントできないかも知れないが、石橋があった報告をしてみたい。

橋の道は、上の2軒の邸宅の登り口。事情を手前の林田宅へ聞いてみた。この高台は今は家と庭畑となっているが、実は三川内小学校発祥之地「早川小学校跡」である。
昭和49年2月、創立100周年を記念し山口造園代表取締役山口廣夫氏が寄贈した記念碑があり、早川小学校がここにあったのは、「自 明治十二年三月 至 明治十九年九月」と刻んでいた。左への道奥木立には祠が祀られていた。

どうやら石橋は、早川小学校創立時に造られた学校正門口の橋のようであり、小さいながら地元三川内山の貴重な歴史を残した橋ではないだろうか。
なお、最後の2枚の写真は、バス終点の「三川内山案内」と、すぐ近くこれまで紹介されている「三川内山の石橋」。

長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

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長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

西彼杵郡長与町高田郷にも、まだ知られていないアーチ石橋が残っていた。これも「《トピックスで読む》長崎の歴史」の著者江越先生の話から。
先日、勤め先の大瀬戸歴史民俗資料館を訪ねたとき、長崎市三ツ山町に残っていた「小谷橋」(先項)と一緒に、この長与町の橋のことも聞いていたのだが、私は今、中尾城公園に移築されている「百合野橋」のことと思って、よく聞いてなかった。

百合野団地入口で現在、JR線路をまたぐ橋が「百合野橋」となっている。もともとアーチ石橋であった橋は、団地へ入って「百合野団地第一」バス停右下にある小さな橋である。
話の様子が違うので昨夜、先生へ再び確かめた。先生も実際見られたのでなく、この橋は大宮町の道津さんから聞いた話。道津さんが近くをよく歩くので見つけられていたのである。
幸い道津さんは、私のかつての職場の先輩。電話して場所を確かめ、本日(3月19日)調べに行った。

場所は、道の尾を通って長与へ行くJR長崎本線沿いの県道33号線。川平有料道路長与インター入口のすぐ手前左側にクリーニング店「洗濯工房」がある。この店裏とJR線路との間に小さな川が東の山手から流れている。
壊れかけた石橋が、店裏のコンクリート壁にへばりつくように残っている。線路側は水害により上石が流されているようだが、骨組みはしっかりしていて、アーチの形を完全に残している。

脚立で橋まで降りる。上流側の中央切石に「明治四十四年二月築造」と刻んでいた。橋名がもしやとして下流側へ回ったが何もなかった。長さ5m、幅員4mくらいの橋。
店の家人に聞くと、昔は橋の高さで脇に旧家があり、県道が通っていた。今の県道が高くかさ上げして造られたため、敷地を高く上げて現在の店を作っているそうである。
うまい具合に列車が通った。壊れかけているが、いつまでも残ってもらいたい市近郊のアーチ石橋である。

なお、最後の写真2枚は、中尾城公園文化ホール下へ移築されている「百合野橋」と、「百合野団地第一」バス停下の現在の橋。

川棚町に残るアーチ石橋  東彼杵郡川棚町

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川棚町に残るアーチ石橋  東彼杵郡川棚町

東彼杵郡川棚町に残るアーチ石橋は、3橋である。九州のマッターホルンと呼ばれる虚空蔵岳のいずれも登山口。石木ダム建設計画があり、2橋は水没する可能性がある。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第   7 番  勘 蔵(かんぞう)橋   川棚川の支流、岩屋川の権現下流の野面のアーチ橋(虚空蔵山岩屋コースへ)
大正初期            長さ 6.0m  幅員 3.0m
佐賀塩田の八天神社で御神橋の写真を撮っていたら、参拝者の方が、「俺のところにもアーチ橋があるぞ、自然石で小さいけど良い橋だ。見に来い」と場所を教えてくれた。
岩屋権現の下手に確かにその橋はあった。美しい橋だ。石木ダムが建設されれば水没してしまう。
周囲の景観ともマッチして、下流の川原橋も良い橋だが、この橋は野趣さえ感じられる。折角、石木まで来たのなら、この橋も是非見てもらいたい。
〜川棚町教育委員会の谷口氏に橋名を教えていただいた。

写真  2  第  96 番  川 原(こうばる)橋(上石木眼鏡橋)  川棚町岩屋郷
大正6(1917)年       長さ 9.3m  幅員 3.4m(現況は拡幅されている)
虚空蔵山登山ルートの別れ道手前の県道に架かる。
明治27年に木橋が架けられ大正6年に現在のアーチ橋が架けられた。設計は辻蔵一氏、石工は松本修蔵・堀川金之十氏。(川棚町史から)
〜川棚町教育委員会の谷口氏に橋名を教えていただいた。

波佐見の帰りに立ち寄ったら、こんな看板が立っていた。石造アーチ橋を文化遺産と呼んでいただけるのは嬉しいが、石木ダム建設問題が、ここまで拗れていて、今後のことを考えると単純には喜べない。

写真  3  第 101 番  山 川(やまご)橋   川棚町木場郷
年代は不詳           長さ 5.4m  幅員 約2.4m
西肥バス上木場バス停の先、右側、木場川に架かる。
〜川棚町教育委員会の谷口氏に橋名と場所をメールで教えていただいた。

東彼杵町に残るアーチ石橋  東彼杵郡東彼杵町

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東彼杵町に残るアーチ石橋  東彼杵郡東彼杵町

東彼杵郡東彼杵町に残るアーチ石橋は、3橋である。玉簾橋は龍頭泉のある千綿渓谷の最初の滝、玉簾滝すぐ先。花房橋はJR千綿駅先の駄地郷交差点から右折し、花房温泉へ行く道の途中にある。大音琴橋は東彼杵の町中を過ぎ川棚近く、大音琴バス停から右折し谷間の農村公園手前に架かる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第 124 番  玉 簾 橋     東彼杵町千綿渓谷(竜頭泉)
昭和33年以前        長さ 19.5m  幅員 4.9m
径間13.5mの石橋が渓谷に架かる。
景勝の地、千綿渓谷の玉簾(たますだれ)の瀧の、すぐ上流に架かる橋。竜頭泉や侃美術館に行く途中にある。足をとめて欲しい。
この道は旧千綿村の村道であったが、竜頭泉の観光客の増大から昭和33年12月に県道となり幅員4.0〜8.0mの範囲で拡幅工事が着手された。県道になった時点では橋があったとのことで架橋年は現時点で不明。
【ガイド】国道34号線千綿宿郷から竜頭泉への案内板に沿って県道を上る。渓谷を横断する大きな橋はここだけ。

写真  2  第 151 番  花 房 橋     東彼杵町瀬戸郷(千綿川支流)
不明だが明治末期〜昭和初期と思える。 長さ 10.0m  幅員 約5.0m
新しく温泉が出た花房温泉の奥の町道に架かる。
国道34号線から千綿渓谷線に入り、高速の高架の先から右折。昭和橋を渡って道なりに登る。牧本建設(花房温泉)の先になる。
〜県の河川課川内係長の情報で彼杵町歴史民族資料館の方から教えていただいた。

写真  3  第 125 番  大 音 琴 橋   東彼杵町大音琴郷
年代は不明          長さ 9.0m 幅員 4.1m
町道大音琴1号線に架かる。
橋の隣は、大音琴農村公園。この日は近くの方がゲートボールで楽しまれていた。ご老人達も「子供の頃から有った」とだけで、架橋年はご存知なかった。
役場の土木課に伺ったら、橋梁台帳に載って入るが、やはり架橋年は不明。
【ガイド】国道205号線の農協の大音琴支所から入る。大音琴農村公園手前。

波佐見町に残るアーチ石橋(3)  東彼杵郡波佐見町

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波佐見町に残るアーチ石橋(3)  東彼杵郡波佐見町

東彼杵郡波佐見町に残るアーチ石橋は、15橋である。ただし、飛瀬の水路橋は石造アーチ橋としてカウントしない。5橋ずつで3項に分けた。
なお、写真13の湯無田陶山神社入口のレンガ橋は、現在、中尾宅の入口となり、切石には「伊東橋」と刻まれていた。
波佐見金山跡は https://misakimichi.com/archives/706 を参照
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真 11  第 156 番  松ノ木川内橋      波佐見町村木郷(不動佐川)
明治末期〜昭和初期      長さ  4.0m  幅員 2.4m(現在は拡幅)
旧村木分校裏手。不動佐橋の下流にあたる。拡幅されていて通っただけでは判りにくい。
〜県の河川課川内係長の情報で波佐見町文化財保護係の坂本氏から教えていただいた。

写真 12  第  92 番  中尾山レンガ橋(仮称)  波佐見町中尾郷 中尾山入口
大正時代(推定)        長さ 約4.0m  幅員 約3.5m
中尾山の窯元から降りてくると左手に見える。
陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

写真 13  第  93 番  湯無田陶山神社入口のレンガ橋(仮称) 波佐見町湯無田郷
大正時代(推定)        長さ 約4.0m  幅員 約4.5m(拡幅)
湯無田郷から中尾に向かう旧道の陶山神社の前になる。
陶芸の里らしく、窯で使われたものらしい赤レンガのブロックで組んだアーチ橋。要の石だけは切石が使われてアクセントになっている。中尾山入口の橋と共通の特徴が見られる。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。
(註 要石に「伊東橋」と刻まれていたため、HPでは仮称から橋名が変更された)

写真 14  第  94 番  中尾山陶源橋(いわんした橋) 波佐見町中尾郷
大正時代(推定)        長さ 約5.0m  幅員 約4.5m(拡幅)
ひらがなの橋名を見た時は桃源郷かと思いました。
中尾山の奥に向かって、左側が橋面を拡張してあり、左側がアーチ自体を拡幅している。左の上流側から覗いたたら、アーチの1/3程が拡幅しているのが判る。
もともとは岩下(いわんした)橋であったが、開発事業でネーミング募集をして現在の橋名になったとの事。
〜波佐見町教育委員会社会教育課山口係長から教えていただいた。

写真 15  第 175 番  中川内の橋(川内川上流部の橋) 波佐見町川内郷中川内橋から支流に入る
明治期から昭和初期      長さ 7.5m  幅員 2.9m 
川内川上流に架かる中川内橋を渡って上流の右手に入る支流に架かる。
1986年に波佐見町が調査した資料を基に、再度現地を歩いて出会えた橋。4年前には消失してしまったと早合点していたのだが、諦めきれずに捜し歩いた。
蔓などで橋の姿が見えないが、現地で確認した姿はすばらしい。周辺の景観に溶け込んだ良い石橋だ。こんな石橋がもっと眠っているのではと思えば彷徨い歩くのも楽しい。