長崎と近県の山野歩き」カテゴリーアーカイブ

小長井の毘沙天岳とかき焼きウォーキング  平成23年1月

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小長井の毘沙天岳とかき焼きウォーキング  平成23年1月

平成23年1月30日(日)晴。諫早市小長井町の毘沙天岳(標高161.4m)とかき焼きウォーキング。参加9人。新年会を兼ねたみさき道歩会の例会。
長崎駅8時36分発ーJR−湯江駅ータクシーー土井崎ー毘沙天岳10時40分着ー遠竹小ー小長井漁協直売店11時36分着 かき焼き昼食ータクシーー小長井駅13時39分発ーJR−長崎駅14時44分着(徒歩距離約5km)

長崎市内は3cmほどの積雪。ヒヤヒヤして出かけたが、諫早から先は雪はなく、晴れ間が広がる。多良連峰も雪はない。JR湯江駅からすぐ乗り継いでいた県営バス県界行きの9時台便がなくなっている。9人はジャンボタクシーにぴったりの人員。土井崎まで乗って1人410円で済んだ。

国道の土井崎バス停から遠竹小の通学路へ入り、途中から毘沙天岳公園への車道をくねくねと25分くらい登る。山頂直下へ出て木道を90段、5分ほど登ると、左は毘沙天祠の展望岩へ出た。有明海を眼下にし、竹崎半島や平成新山の眺望がすばらしい。戻ってすぐ右上に三角点の山頂があり、ここも古い石祠がある。

山頂の先の巻き道を下る。植樹した桜が大きくなっている。遠く小長井のみさかえの園、風配高原、多良連峰が望まれる。登りの時の広い木道へ出て、そのまままっすぐ参道を下った。途中には石碑など多く、登山口の駐車広場へ出た。後は遠竹小の北側を通り、JR踏切を渡って、国道側の船津へ出て、左へ行くと小長井漁協直売店へちょうど着いた。

まだ12時前で、きょうはかき小屋の客は少なく、ゆっくりと13時までかき焼きなど味わった。帰りも前からバス便は悪い。ジャンボタクシーを呼んで、小長井駅へ行くだけなので、酒が進んだのは良いが、財布をタクシー内に落としていた。明日、出直しだ。
小長井駅の白い特急「かもめ」は、単線のただ通過待ち停車。

塩浜町宮地嶽神社から立神山・天門峰へ  平成23年1月

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塩浜町宮地嶽神社から立神山・天門峰へ  平成23年1月

平成23年1月23日(日)曇り。塩浜町宮地嶽神社から立神山(標高227.5m)・天門峰(標高166.2m)へ。参加11人。みさき道歩会の例会。1月16日が雪のため、延期して実施。
飽の浦公園9時30分発ー塩浜町宮地嶽神社ー九電作業道ー立神山ー西泊中グランド12時
10分着(昼食)ー西泊ヶ丘ー天門峰ー女神大橋ー木鉢14時20分着(徒歩距離約12km)

飽の浦トンネル入口の飽の浦公園は、御朱印船貿易商・荒木宗太郎宅跡。きょうはトンネル上の山を行く。塩浜町バス停先から参道を宮地嶽神社へ登る。九電鉄塔を伝う作業道により、飽の浦峠上の三菱重工向島分岐線4号鉄塔まで行くと、天門峰縦走路に合う。
立神山の山頂には祠があり、左脇の石面刻字は読み取れない。長崎里山塾が周りを伐採し、道標を設置していた。帆掛山のすぐ先と西泊中に出る手前のピークに、明治三十二年陸軍省「長崎要塞第一地帯標」がある。

西泊中グランドで長崎里山塾の井手先生らと出会い昼食。以下のコースも良く整備されていて、道標があった。西泊ヶ丘は戦時中の高射砲陣地跡。遺構が残る。天門峰へはひと登り。山頂標識を北ピークに設置しているが、どうかと思われ調査中。「長崎市史」の記録は資料のとおり。
天門峰の岩場は女神大橋の上にあり、長崎港内外の景色が良い。山頂自然石に明治九年「地理局測点」と刻み、貴重な近代測量史跡なのに、消えかかっている。女神大橋へ下って解散。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27091693.html

(資 料)  著作権者 長崎市役所 「長崎市史 地誌編 名勝舊蹟部」
昭和13年発行 昭和42年再刊 清文堂出版
第二章 名 勝  西 部
二、天 門 峯(てんもんほう)              287〜291頁
一に観音山と名づく。山勢白衣の観音に似たるに因る。長崎港口の右に屹立する秀峰で港口左なる子倉山と相対して港口を扼する。その間海上僅に四町に過ぎない。此の峯は稲佐山脈の最南端で山下は港口最南端の神崎である。その山勢東、西、南の三方は絶壁削るが如く人の登攀を許さない。唯西泊より峰伝ひに絶頂に至るべし。既に其の頂に至れば長崎港出入の大小船舶を脚下に懸崖幾十丈、風景の佳なる譬ふるに物がない。天門飛颿と題し鎭治十二景の一である。此処に自然石上小やかなる石灯籠を置く。青苔深き所に唐船海上安全の文字幽かに読まるるを見れば往時は夜毎に灯火を点して其の航路を照らしたものであらう。
神崎には新古の台場五座あり、長崎防禦の最重要地であつたので強力の大砲を備へ付けてあつた。慶応二年七月之を廃止せし以来雑草木繁茂し今はその所をすら判明せざる所もある。
嘗て唐船の山下を過ぐるものは必ず皆船を止め金皷を鳴らして香を焚き、恭敬礼を作して去るのであつた。山下なる神崎神社に海上の平安を祈るのであらう。一説には支那船の船神なる媽姐は観音の化身なれば当山に縁由ありとて其の儀を行ふのであると。麓の海岸に神崎舟魂社、スヾレ、太田尾、烏丘洞、男神、姥が懐、辛螺洞(ニシドウ)等があつた。今は山麓一帯は三菱造船所、三井物産会社、スタンダート石油会社及びライジングサン石油会社等の貯炭所又は油槽所となりて、スヾレ、太田尾、辛螺洞等は旧形を失ひ神崎神社は旧社地荒廃して雄神石一名イキイシの北隣に転じ稲荷社と合併祀られ給ふ。男神石は遠くより望めば大に、近づけば小なりとて生石と呼ばるゝなりと云ふ。(略)

男 神 崎 港口の右に突出せる突端で風光誠に明媚である。雄神とも書く。傍に小なる巌ありて海岸に兀立して居るのを千珠嶼と名づく。男神崎は天門峯よりなだれ出たる岬で昔神宮皇后此の地を船出ませし時陰陽二神の港口を扼し給ふの気はひありとて名づけ給ふたもので船魂住吉二社を祀らせ給ふた。後世之を再興したのが神崎神社で皇后の新羅より持帰らせしと伝ふる倭奴国王印と鎮懐石とを神体として崇めた。徳川時代に入りて港口の警備をさをさ怠りなく岬頭に石火矢台数座を設けて異国船の撃攘に備へたので肥筑の戍兵常に来り屯して居た。維新前台場は廃止され、程なく神社も荒廃して居たが明治四十年頃再興あり、その頃より英国ライジングサン会社はこゝを借りてその石油槽を建造して居る。かの石鍼番所はこの岬の突端に在つた。

小ヶ倉水源池から市民の森・戸町岳の一周縦走  平成22年12月

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小ヶ倉水源池から市民の森・戸町岳の一周縦走  平成22年12月

平成22年12月19日(日)晴のち曇り。小ヶ倉水源池から市民の森・烏帽子岩・戸町岳(標高
427m)の一周縦走。参加12人。本年最後のみさき道歩会の例会。
小ヶ倉水源池9時30分発ー創作村尾根ー市民の森ー烏帽子岩12時15分着(昼食)ー戸町岳ー鳥屋城跡展望岩ー小ヶ倉水源地16時15分着(徒歩距離約12km)

小ヶ倉水源池の左側から、立岩神社は略し創作村尾根に上がる。九電鉄塔の作業道を利用して市民の森の森林体験館近くの八郎岳縦走路へ出る。この道は植林が大きく育ち森林浴が楽しめる。八郎岳縦走路により烏帽子岩まで行って昼食。

午後は大山林道を1km歩き、戸町岳への分岐へ入る。戸町岳は展望が良い山だが、きょうは曇って黄砂気味、バッとしない。戸町岳から小ヶ倉水源池の堰堤近くまで下り、すぐ上の鳥屋城跡へ岩峰ルートを取った。

ロープで登る展望岩があり、岩からの展望は写真のとおり。新戸町3丁目奥に開発中の団地「ウェリスパーク南長崎」(総区画数は222区画)が真下に見える。鳥屋城跡の岩峰ルートを下ると、工事中の唐八景トンネル道路で山道は切れ、水源池グランドへは左の配水タンク場の坂段から下った。

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26811052.html

式見蝶ヶ崎から舞岳の尾根道整備  平成22年12月

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式見蝶ヶ崎から舞岳の尾根道整備  平成22年12月

平成22年12月5日(日)快晴。式見蝶ヶ崎から舞岳(標高252m)の尾根道整備。参加11人。新しい山歩きルート。蝶ヶ崎展望岩がすばらしい。みさき道歩会の例会。
淡島神社9時30分発ー蝶ヶ崎展望岩ー式見トンネル上12時10分着(昼食)ー舞岳ー式見ダムー式見16時10分着(徒歩距離 約10km)

10月31日に十郎岳から舞岳へ登ったとき、舞岳からテープを伝って下ると、向町の新道へ出た。無理して作った急斜面な道と感じた。私たちが下りたいのは、式見トンネル上の尾根。式見トンネル上から尾根はさらに蝶ヶ崎まで続き、蝶ヶ崎トンネル右上の淡島神社へ出る。

ルートは私が事前踏査していたので、逆にきょうは淡島神社から、全員で尾根道の整備をしながら舞岳へ登り、テープと道標プレートを付けた。舞岳は中世期の山城跡。舞岳からは九州自然歩道により式見ダムへ下った。
国道蝶ヶ崎トンネル上の蝶ヶ崎展望岩は標高120mほど。尾根道のピークで海の展望が良い。ここが式見郷土史238頁に記す「賀衆ヶ峯」だろうか。狼煙場跡はわからなかった。郷土史の説明は次のとおり。

34 賀衆ヶ峯
手熊峠の西方の高い山をいう。文化6年(1809年)狼煙場の事として、当村鶚岳賀衆ヶ峯に在り長崎異変の時、こゝでのろしをあげて異変を村の中に知らせる。また福田岳ののろしをこゝで受けて、この火を三重岳に受継ぐなりと、文化6年始めてこの法を定めたとしるされている。

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26704659.html
淡島神社の近海丸殉難者之碑像は  https://misakimichi.com/archives/2449

雲仙の高岳と絹笠山へ  平成22年11月

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雲仙の高岳と絹笠山へ  平成22年11月

平成22年11月23日(火 勤労感謝の日)快晴。雲仙の高岳(標高771.7m)と絹笠山(同
879m)へ。参加13人。みさき道歩会の例会。
広河原林道入口9時40分発ー広河原池ー天望岩ー高岳11時35分着ー絹笠山12時50分着(昼食)ー白雲の池ー広河原林道入口14時42分着(徒歩距離 約10km)

雲仙の高岳はあまりポピュラーでない。絹笠山の背後にあり、小浜入口の谷奥右上に見える。
車3台で長崎を8時出発。小浜から雲仙へ上がる国道57号線の途中、籠立場から1kmほど先に「広河原林道」の標識がある。チェーンをした入口に駐車し、林道を緩やかに20分歩くと広河原池へ着く。林道を更に20分、高岳と絹笠山の鞍部近くまで続き終点となる。

林の中の尾根道へ上がり、高岳は左へ進む。すぐ「天望岩」という岩場があるらしいが、景色が見えないので、どの岩かわからない。尾根道を15分ほど登ると、一番高度のある道脇に大きな石があり、上に小石と神皿が置かれていた。まっすぐ進むと絶壁へ出て、一部展望がきく。

高岳山頂はここではない。絶壁への道で左方に見えるピークが三角点のある高岳山頂のようだ。神皿の石の所まで戻ると、西方へ下るあまり明瞭でない踏跡の道がある。テープを頼りに50mほど下り、植林沿いに570mほど尾根を登ると、小さな広場となって高岳三角点を見つけた。展望は九千部岳や富津方面が望まれる。

高岳三角点を見つけたし、いよいよ絹笠山へ。近くに見えながら広河原林道入口まで戻るのは、時間の無駄となる。林道終点の鞍部まで下り、絹笠山への道を探した。うまい具合に山腹を左へ巻く旧道があった。あまり巻き過ぎるので適当な谷間で上へつき上がると、絹笠山山頂がすぐ近くの原生沼からの遊歩道へ出た。

絹笠山山頂12時50分着。昼食。雲仙の紅葉は過ぎたが、快晴できょうは展望が良い。白雲の池へ下り国道で車を置いた広河原林道入口まで戻った。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26603171.html

鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

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鹿尾尾根から熊ヶ峰・八郎岳・兜岳の一周縦走  平成22年11月

平成22年11月14日(日)晴。土井首から八郎岳林道を車で行き、鹿尾尾根から熊ヶ峰(標高569m)・八郎岳(同590m)・兜岳(同462m)の一周縦走。参加8人。みさき道歩会の例会。
土井首バス停9時30分発ー車で移動ー鹿尾尾根ー鹿尾河原ー熊ヶ峰ー電波塔ピーク(昼食)ー八郎岳ー兜岳ー北兜岳ー鹿尾林道15時20分着(徒歩距離約12km)

本年の春、4月25日実施した八郎岳一周縦走の逆コース。前回の様子は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2321
土井首バス停から八郎岳林道を車2台で、鹿尾尾根の大カーブ地点まで行く。ここは標高300m近くあり、登山に随分と助かる。ドッグラン先に車を置き、鹿尾河原へ一旦下る。水量が本日はない。ここから展望岩を経て熊ヶ峰へ急登する。熊ヶ峰11時30分着。八郎岳縦走コースへ入り、NTT電波塔が立つピークまで行って昼食。12時15分着。

昼食後13時発。35分かかって八郎岳山頂へ13時35分着。黄砂できょうは見晴らしがパッとしない。登山者は少なく、式見の同級生グループだけだった。
八郎岳を14時発。縦走路を少し戻り、兜岳・北兜岳の方へ下る。植林が大きく育ち、快い山道となっているが、兜岳・北兜岳とも山頂は展望がきかない。車を置いた八郎岳林道の鹿尾尾根地点にちょうど15時20分着いた。
このコースは見事な八郎岳一周コースとなるが、健脚向きの難路。経験者の同行が望ましい。私の体調や気候のせいもあったが、前回より今回の逆コースの方が楽に感じた。

道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

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道標プレートを2枚付ける  千々峠と飽の浦峠近く

八郎岳・小八郎岳の下山路に良く利用される道。千々峠(乙女峠)から平山町へ方へ5分ほど下る。正しい道は尾根を右側へ極端に巻いて曲がるが、大木の後ろとなり先が見えない。おまけに下山路中央に小ケルンが積んであった。
ここはガレ場の上部。ケルンが反対の意味に取られ、踏み跡があるガレ場へ下り、道を間違えたという、特に市外から初めて来た登山グループの話を聞いていた。
付近に樹木の赤マークやテープもない。登りには間違うことはないが、下りでは私らも昔、間違った所だ。ガレ場へ下る踏み跡を小石を積んで塞ぎ、道中央のケルンは除き、道標プレートを付けてきた。

次は稲佐山からの南尾根、飽の浦峠へ下る道。立神山・天門峰への縦走には、飽の浦峠手前の「入船が丘」バス停に出なければならないが、稲佐山南尾根からの分岐に道標がない。そのまま下って行くと、飽の浦峠先の「木鉢入口」バス停へ出てしまう。この間の山行で、私らははぐれてしまった。
「入船が丘」バス停に出る稲佐山南尾根からの分岐は、九電の「三菱重工向島線2号」鉄塔が真下に見える展望の良い岩場にある。ピークに付けるべきところ、脇道があったので、すぐ先の雑木に道標プレートを付けてきた。ネームランドの印字は、日射に弱い。
ただし、「入船が丘」バス停に出る道は、急斜面で難路である。十分注意して下ってもらいたい。

十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

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十郎岳から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳へ  平成22年10月

平成22年10月31日(日)晴。十郎岳(標高248m)から岩屋山南西尾根を縦走し舞岳(標高
252m)へ。参加6人。みさき道歩会の例会。
かきどまり総合運動公園9時30分発ー十郎岳ー岩屋山分岐ー九州自然歩道(昼食)ー舞岳ー式見14時20分着(徒歩距離約12km)

十郎岳は、かきどまり総合運動公園前バス停のすぐ上にある岩峰。最初の写真が手熊側から見た十郎岳。20分ほどで登り、展望を楽しむ。岩屋山の方へ向けて尾根道を1時間30分たどり、林道が九州自然歩道へ出合った所で昼食。

午後は、岩屋山南西尾根の九州自然歩道を下る。舞岳鞍部に30分で着き、いよいよ舞岳へ。急登で20分要する。山頂の説明板にあるとおり、舞岳は大村郷村記が記す中世期の山城跡である。下りはテープを伝って行ったら、約1時間で式見向町の新道へ出た。

せっかく良い天気だったのに、なぜかデジカメはモードが違い、さえない色調の写真となった。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26398598.html

稲佐山南尾根を縦走し塩浜町へ  平成22年10月

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稲佐山南尾根を縦走し塩浜町へ  平成22年10月

平成22年10月17日(日)快晴。稲佐山南尾根を縦走し、あと岩瀬道方面への新ルート山道の確認。岩瀬道ではなく、塩浜町宮地獄神社へ出た。参加11人。みさき道歩会の例会。最初の写真が、本日のコース。朝、対岸の出島ワーフから写している。
水の浦公園9時30分発ー天狗岩ー稲佐山(標高340.3m)ー南尾根ー展望岩(昼食)ー飽の浦峠ー九電作業道ー塩浜町宮地獄神社15時着(徒歩距離約10km)

水の浦公園からすぐ先右手の斜行ゴンドラが設置された石段を上がり、墓地内を通ってホテル清風先の稲佐山中腹道市道へ出る。水の浦トンネル入口まで行くと右手に石段があり、昔の登山道が残る。「天狗岩」は水の浦トンネルの真上なので、畑小屋から往復する。

登山道はあと尾根をほぼ直登。天狗岩から約50分ほどで、稲佐山展望台真下の車道カーブ地点へ出る。この道は歩く人はほとんどいない。今は荒れ気味で、車道へ出る直前がかわりにくい。
稲佐山山頂は省略。車道を少し下って南尾根の縦走にかかる。30分ほどで展望の良い岩場へ出たので昼食とした。ちょうど12時前。

南尾根はここから痩せ尾根が続く。写真を撮りながら行くと、遅れて先頭から4人がはぐれてしまった。岩をくぐって右手急斜面を下って行くと、飽の浦峠の先へ出た。岩をくぐる直前が分岐。岩をくぐらず左尾根へ下らないと峠の手前に出ないそうだ。分岐には道標が必要だ。
峠の手前「入船ヶ丘」バス停で合流。立神山・天門峰への本来の縦走路へ入る。

飽の浦峠から登って行くと、すぐ九州電力「三菱重工向島分岐線4号鉄塔」がある。本日の目的は、鉄塔すぐ下から九電作業道を歩き、岩瀬道へ出る新ルートの確認。歩きやすい山腹の道を九電標識により伝うと6号鉄塔手前で、入船町・塩浜町町境谷間の人家へ出たので、そのまま飽の浦公園前バス停へ下り解散した。

私のみルート確認があり山道へ戻って、6号鉄塔へ上がり7号鉄塔まで伝うと、7号は塩浜町山手の「宮地獄神社」境内脇だった。入船側から6号鉄塔へはまったく難解な道。誰でも歩けないだろう。
宮さんの参加ブログは、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/26275050.html

千々峠登山道整備と八郎岳へ  平成22年10月

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千々峠登山道整備と八郎岳へ  平成22年10月

平成22年10月10日(日)快晴。3日(日)が大雨のため延期した千々峠(乙女峠)登山道整備と八郎岳(標高590.0m)へ。参加7人。
平山バス停9時30分発ー千々峠(乙女峠)昼食ー小八郎岳は巻道ー八郎岳ー平山14時30分着(徒歩距離約10km)

長崎市民農園前林道奥の登山道入口から千々峠へ登る。八郎岳は九州百名山の1つ。市外から初めての登山者も多い。普通は逆コース。千々峠から下って来た人の話では、ガレ場などで道を間違った人が多い。百名山なので何とかしてほしいと聞いていた。
国土地理院が1月ほど前、赤マーカーをしていたので、その確認に行った。明日の「長崎市民体育・レクレーション祭」軽登山が寺岳へ行くため、市山岳連盟関係者もきのう、このコースの下見整備をしていたので、私たちはきょう何もすることなく、千々峠へ着いた。

千々峠から下る場合、間違いやすいのは、峠下5分位の大木のある所ではないだろうか。ガレ場の上部から正しい道は右尾根へ巻くが、そのままガレ場の踏跡へ下りやすい。ロープを張るなり、石止め、道標などの必要を感じた。そのうち、また出直したい。
千々峠で早々と昼食。小八郎岳はパスし巻道を通って八郎岳へ。山頂は連休で登山者が多かった。大村から来た大型犬”モールス”君もいた。架橋工事中の伊王島大橋(橋桁は連結済み)が見えた。最初の八郎岳全景は平山台団地から。自宅の帰りに写した。