九州(大 分 県)」カテゴリーアーカイブ

長崎鼻海蝕洞穴  豊後高田市香々地町見目    

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長崎鼻海蝕洞穴  豊後高田市香々地町見目

国道213号が香々地町の中心へ入り、貴船入口から案内板「長崎鼻リゾート公園」により北方の岬へ向かう。
キャンプ場の先、岬の先端の香々地灯台下に、海蝕でできた橋や長崎岩屋があり、西側を向いた遊歩道の方へ一周すると行者洞窟がある。一帯は大分県指定名勝となっている。
現地説明板などは、次のとおり。

県指定名勝  長崎鼻海蝕洞穴
この海蝕洞穴は、火山活動によってできた凝灰礫岩の層が、長年の海水の力で侵蝕されてできたもので、地質的に珍しいものである。
海上から見ると長崎鼻全体では洞穴は約二十あり、すばらしい景観をなしている。
三浦梅園先生がここに来られ、この長崎鼻海蝕洞穴を調査し、記録に残している。
洞穴の中には、役の行者・不動明王・蔵王権現が祀られている。 古くは、修験者の修行場であったという。
土地の人々はこれを信仰している。
平成12年   香々地町文化財調査委員会 豊後高田市教育委員会 

長 崎 鼻 (大分県)     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎鼻(ながさきばな)は、大分県豊後高田市見目(旧香々地町大字見目)にある岬。全国に多数ある長崎鼻と区別するために香々地長崎鼻(かかぢながさきばな)とも呼ばれる。
概 要  国東半島北部の先端近くに位置し、周防灘に面している。岬からは近くに姫島、遠くに四国、中国が眺望できる。
リアス式の海岸は海食崖となっており、岬の先端部には約20の海食洞がある。この洞穴群は、大分県の天然記念物に指定されるとともに、大分百景のひとつにも選定されている。洞穴の最大のものは行者洞窟と呼ばれており、役行者、不動明王、蔵王権現が祀られ、古くは修験道の修行の地であったといわれている。また、長崎岩屋と呼ばれる洞穴は、天井部が抜けて穴状になっており、歩いて降りることができる。
一帯は長崎鼻リゾートキャンプ場として、人工の海水浴場や、ログハウスやバンガローを備えるキャンプ場が整備されている。また、岬の先端には香々地灯台が立っている。

六所宮のイチイガシ  国東市国見町西方寺

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六所宮のイチイガシ  国東市国見町西方寺

六所宮は、竹田津川上流の国見町西方寺集落にある。国道213号の豊後高田市との市境が「新竹田津トンネル」。トンネル口手前に「峰の下」バス停があり、左折した車道へ入る。車道はすぐアーチ式石橋「石場橋」の方に下り、谷奥へ進んで行くと、左に「天台宗 西方山 清浄光寺」の標柱と、小橋奥に扁額「六所宮」の鳥居が立つ。

「六所宮」社殿は、見えている「清浄光寺」後方の高台にある。鳥居の参道を歩いて登っても着くが、少し先の「西方寺入口」バス停から集落の車道へ左折する。次の林道岐路も左へ上って行くと、社殿下の駐車場に着く。イチイガシは主幹の一方が失われ、痛々しい木である。
HP「人里の巨木たち」大分県による説明は、次のとおり。

名 称 六所宮のイチイガシ
名称の典拠 なし(注1 「六所宮」の読み方については未確認)
樹 種 イチイガシ
樹 高 15m(注2 環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による)
目通り幹囲 5.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 大分県国東市国見町西方寺(注3 2006年3月31日、東国東郡内4町が合併して国東市誕生。旧行政区は東国東郡国見町)
天然記念物指定 なし

安政5戊午年(1858)2月吉日銘のある石鳥居を潜って石段を上る。「六所宮」はその鳥居に掲げられた額にあった名。その先にも「山神宮」「大権現」の額を掲げる石鳥居が続く。近隣のいくつかの神社を、ここに合祀したのだろうか。
石段を上りきったところに、上図のイチイガシが立っている。地上1mほどで2幹に分かれ、うち1本は分岐のすぐ先で失われ、キャップが被せてある。地上1.3mの高さは、すでに2幹に分かれたあと。5.5mの幹囲は、環境省調査要項にある株立ちの場合の計測方法通り、2幹を別々に測定してから合算した値であろう。残念ながら、期待していたほどに大きくはなかった。
下図で、道の左に見えるのは天台宗清浄光寺。伽藍は、まるで城壁のように高い石垣の上に築かれている。鄙びてはいるが、趣きのある佇まいであった。

姫 島  東国東郡姫島村

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姫 島  東国東郡姫島村

2011年10月31日、国東市国見町伊美港から姫島村営「フェリー 第2姫島丸」午後の便で姫島港に渡る(所要時間20分)。姫島島内を反時計回りにより一周した。
姫島村HP「瀬戸内海国立公園 大分県 姫島」による島の概要は次のとおり。「ひめしま散策ガイド」「姫島伝説浪漫」(ズーム拡大)は、同村パンフレットから。

1 島の由来
古事記によると伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱の神が「国生み」にさいし、大島を生み、次に女島を生むとある。この女島が姫島で、またの名を「天一根」という。また、日本書記によると、垂仁天皇の御代、意富加羅国(今の韓国南部)の王子都怒我阿羅斯等が、ある日黄牛に田器を負わせて田舎に行くと、牛がいなくなった。捜していると老翁が現わて、「おまえの捜している牛は郡公が殺して食った。」という。阿羅斯等は郡公の館に行って牛の代償を求めると、郡公は白石を与えた。阿羅斯等は白石を持ち帰り寝室に置くと、美女となった。阿羅斯等は大変喜んで求婚すると、美女は忽ち消えてしまった。阿羅斯等が追い求めると、美女は海を渡って日本国に至り、比売語曽の神となった。姫島の名前の由来はここからはじまる。

2 位置と地形
瀬戸内海西端の離島で、国東半島の伊美港より北へ6kmの地点にある。東西7km、南北4km、総面積6.79k㎡とういう東西に長い島で、中央に矢筈山266.6mがそびえ、西に達磨山105m、北に城山62mがてい立し、その中に村落がかたまっている。四面海に囲まれて水産資源に富む地形にあり、島周辺は魚の宝庫となっている。奇厳断崖の海岸線など、風光絶景で瀬戸内海国立公園の一環をなしている。

3 人口=2,469人 世帯数=951世帯 (平成17年国勢調査)

4 交通アクセス 
大分空港から伊美港まで車で40分、JR宇佐駅から伊美港まで車で40分、伊美港から姫島港までフェリーで20分。

5 文化遺産
(1)村指定有形文化財 姫島庄屋古庄家 (写真 26〜29)
古庄家の屋敷は、第11代小右衛門が天保13年より3年の歳月をかけて完成しました。敷地は約550坪一部二階建ての寄棟造りで延建坪は129坪です。庭園、お成りの間等、旧庄屋の格式を伝える貴重な建物です。
(2)その他の文化財 大帯八幡社本殿 (写真 30) 
村民尊崇の産土の神です。元治元年の大火で旧記・古文書等を消失したので、その由緒等はあきらかではありません。しかしながら大帯八幡社の社名を記した正和元年(1312年)の棟札が広島県呉市に鎮座する亀山八幡宮に現存する事からその古さを伺い知ることができます。江戸時代には杵築藩主松平家累代安産の祈願所でありました

6 天然記念物
(1)国指定天然記念物 姫島の黒曜石産地 (写真 23〜25)
姫島の黒曜石産地は、地表に露出し観察が容易な黒曜石産地として、北海道の十勝(白滝地方)や長野県霧ヶ峰周辺などと並び全国的に貴重です。露天の黒曜石は、観音崎一帯に見られ、この黒曜石が波に洗われる様は壮観で、他では見られない景観となっています。また、全国の黒曜石が黒色であるのに対し、姫島産黒曜石は乳白色を呈し、極めて特徴的です。
黒曜石は火山の岩漿が地表上に噴出して急速に固まった火山岩の一種です。石器時代には「矢じり」などに重用され、特に縄文時代に利用の急激な拡大がみられます。姫島から海を渡って運ばれた黒曜石が、九州だけではなく四国や中国地方の遺跡からも出土しています。(平成19年
7月26日指定)
(2)県指定天然記念物 地層褶曲 (写真 6〜 8)
地層褶曲は、2つの固い層に挟まれた軟弱な層に地殻の変動等で側圧が加えられ、地層中に唐草瓦のような模様が連なってできた地層です。(昭和34年3月20日指定)

7 姫島七不思議伝説
姫島は昭和25年、瀬戸内海国立公園に指定されています。伝説の島といわれる姫島には、お姫様にまつわるものなど数多くの言い伝えがあり、姫島七不思議として語り継がれています。
(1)阿弥陀牡蠣
灯台の下の海蝕洞窟内の海面から上2米位の所に「牡蠣」が群棲し海水につかることがなく、食べると腹痛を起こすといわれています。その牡蠣が阿弥陀三尊の形に似ているので、この名があります。
(2)浮 田
大昔、池に大蛇が棲んでいた。誤って、この大蛇を埋めてしまったため大蛇の怒りで田が揺れるといわれています。
(3)拍子水
お姫様がおはぐろをつけた後、口をゆすごうとしたが水がなく、手拍子を打って祈ったところ水が湧き出したので拍子水といいます。
(4)かねつけ石(別名 おはぐろ石)
お姫様がおはぐろをつける時、石の上に猪口と筆をおいたところ、その跡ができたといわれています。
(5)逆 柳 (写真 13〜14)
お姫様が使った柳の楊枝を土中に逆さまに挿したところ、芽を出したので逆柳といわれています。
(6)浮 洲 (写真 18)
沖合の小さな洲に漁業の神様、高倍様を祀っており、高倍様と鳥居は高潮や大しけの時でも決して海水につかることがないというのでこの名があります。
(7)千人堂 (写真 22)
観音崎に馬頭観世音を祀った小さなお堂があります。大晦日の夜、債鬼に追われた善人を千人かくまうことができるのでこの名があります。

8 アサギマダラ (写真 15〜16)
アサギマダラは、渡りをする優雅な蝶で、みつけ海岸に自生するスナビキソウの蜜をもとめて、5月上旬から6月上旬にかけて、南の地から飛来し、休息した後、涼しい北の地に向かって飛び立ちます。
北の地で世代交代した蝶が、10月中旬頃、金地区に自生するフジバカマの花の蜜をもとめて、北の地から飛来し、休息した後、暖かい南の地に向かって飛び立ちます。

9 姫島海水浴場 (写真 4〜 5)
島内で一番美しく、広さも最大の砂浜です。弓状に弧を描く500mの海岸線は澄んだ海とマッチして美しい景観です。海岸の施設にはビーチハウス、トイレ、シャワー室、休憩所が完備されています。

10 拍子水温泉 (写真 12)
姫島村健康管理センター。七不思議のひとつである拍子水(炭酸水素塩冷鉱泉)を活用したもので、村内外の多くの人に利用されています。この温泉は、糖尿病、高血圧症、慢性皮膚病、神経痛、慢性消化器病等に効能があります。この拍子水温泉では、源泉に温水を加えた温泉(41℃前後)と、源泉(約25℃)の2種類を利用する事ができます。

国見町の主な石橋  沙川橋・上松橋・天神井手水通橋・石場橋

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国見町の主な石橋  沙川橋・上松橋・天神井手水通橋・石場橋

国東市国見町の石橋のうち、沙川橋・上松橋・天神井手水通橋・石場橋。石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  3    沙川(すながわ)橋
国見町大字岐部
橋長:8.4m  橋幅:3.0m  径間:7.3m  拱矢:4.4m
架設:明治18年
岐部神社から国道213号線に戻り、300m北西を左折。
2.2Kmでオレンジロードと交差するが、直進300m先左に架かっています。

写真   4〜  6    上 松 橋
国見町大字岐部
橋長:21.0m  橋幅:3.1m  径間:10.4m  拱矢:
架設:昭和7〜8年
沙川橋からオレンジロードに戻り、北東へ600m。左折100m先に架かっています。
「国東半島最大 自然石利用」の標柱あり。

写真   7〜  9    天神井手水通橋(てんじんいでみずとおしばし)
国見町大字岐部
橋長:9.6m  橋幅:1.6m  径間:7.1m  拱矢:3.5m
架設:明治5年
上松橋からオレンジロードに戻り100m南下、よく見ると右手に小道があります。
下るとこの橋が架かっています。
探すのに苦労しました。それもそのはず、歩道併設水路橋でした。
朽ちた標柱には「歩道併設」と記されていました。

写真  10〜 12    石 場 橋
国見町大字竹田津 井上  竹田津川
橋長:13.8m  橋幅:3.6m  径間:10.2m  拱矢:3.5m
架設:大正初
国道213号線、香々地町と国見町境の新竹田津隧道のすぐ東から300m南左折。
200m先に架かっています。

山神社のムクノキ  国東市国見町岐部

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山神社のムクノキ  国東市国見町岐部

国道213号の適当なところから山腹を行くオレンジ道路へ入る。「岐部隧道」の登りにかかる集落が国見町上岐部。岐部川を渡る橋の少し上流に「山神社」があり、ムクノキの高木が見える。
HP「人里の巨木たち」大分県による説明は、次のとおり。

名 称 山神社のムクノキ
名称の典拠 なし(注1 神社名の読み方については未確認)
樹 種 ムクノキ
樹 高 25m(注2 環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による)
目通り幹囲 7.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 大分県国東市国見町岐部(注3 2006年3月31日、東国東郡内4町が合併して国東市誕生。旧行政区は東国東郡国見町)
天然記念物指定 なし
国東半島の東半分、内陸部をぐるっと半周する広域農道は「オレンジロード」の愛称を持つ。そのオレンジロードが岐部川を渡るあたりに山神社がある(愛用の道路地図には山神宮と記されていた)。
山神社はどう読むのだろう。「さんじんじゃ」? それとも「やまがみしゃ」? 各地にさまざまな呼称があるため、ここではどう読めばいいのかわからない。早朝のことで、尋ねようにも人の姿がない。とにかく、山の神を祀る神社であることは確かだ。
近くに達すると、ムクノキの大きな樹冠が見えてくる。付近に視界を遮るものがないため、どの方向からもはっきり見える。当地のランドマークと言ってよい。
本殿の左手後方(向かって右奥)に立っている。根元付近で急速に太さを増し、しっかり地面を踏みしめている。目通りも十分。しかし、上方に向かって幹囲の減少率が大きいため、幹そのものは、思っていたより細く感じられた。下部には空洞もありそうだが、今のところ樹勢は良さそうだ。葉を繁らせた姿も見事なことだろう。

弥生のムラ安国寺集落遺跡公園  国東市国東町安国寺

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弥生のムラ安国寺集落遺跡公園  国東市国東町安国寺

国道213号の国東町の中心から案内板により、西方の横手川上流平野部へ向かう。「弥生のムラ安国寺集落遺跡公園」と「歴史体験学習館」がある。
大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。

弥生のムラ安国寺集落遺跡公園
安国寺集落遺跡公園は国の指定史跡です。1800年前の弥生の世界を体感できる体験型の史跡公園内には、太古の営みを再現した高床式建物や竪穴式住居が復元れています。また、遊びながら古代の文化や生活の知恵を学べる「歴史体験学習館」では安国寺式土器を中心に、この遺跡からの出土品を多く展示し、まが玉造りをはじめ、古代の火おこし、土器づくり、編み物やガラス玉造り、古代食体験など盛りだくさんの古代体験が用意してあり 社会見学や家族で弥生時代が楽しめます。

椿八幡社のクスノキ  国東市武蔵町三井寺

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椿八幡社のクスノキ  国東市武蔵町三井寺

武蔵町の中心から両子へ通じる県道55号を1.7kmほど上り、武蔵川に架かる橋(武蔵中学校近く 55号では最初の橋)へ左折する。まもなく椿八幡社へ着く。大きなクスノキは、県道からも見える。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木  7.椿八幡社のクスノキ

樹種名 : クスノキ
樹 齢 : 950年
樹 高 : 22m
幹 周 : 8.4m
所在地 : 武蔵町大字三井寺
所有者 : 椿八幡神社
来 歴
武蔵町大字三井寺、椿八幡社境内、楼門前の石橋を渡った北側に聳える巨樹。ご神木。県指定特別保護樹木。
当社は、武蔵郷の旧郷社。社記によると、天平元年(765)、三井の御座所峯に影行、後に現在地に奉斉したと記録されている。クスノキは、現在地に遷座したときに献納し、ご神木として育てられたものと伝えられる。遷座の年は、「椿社縁起」によれば治安三年(1023)、「椿八幡宮大縁起旧規略」によると文永四年1267)となっている。どちらかをとるかで、樹齢140年の開きができる。指定調書は、古い年代を採っている。

このクスノキは武蔵郷のシンボルとして、遷座以来氏子一同が連綿と愛育してきたところ。武蔵町の町の木にも指定され、武蔵東小学校の校歌にも、「空にそびえる大くすの」と歌われている。亭々と聳えていた樹冠も、戦後の相次ぐ台風の被害で梢頭を欠き、枝葉も透けた姿になっている。社叢にはご神木クスノキのほか、クスノキ2本、ケヤキ1本、タブノキ1本、スギ約20本が成立。目通り周囲は250ー400cm。それよりやや小さいが、珍木としてオガタマノキ1本がある。何れも人手によって移し植えられたもの。旧社屋、旧社叢は野火によって焼失したが、塀の外にあったご神木は、類焼を免れたのだと伝えられる。社殿の再建は延宝六年(1678)、現社叢はそれ以後の造営である。

瑠璃光寺のサルスベリ・モッコク  国東市安岐町糸永

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瑠璃光寺のサルスベリ・モッコク  国東市安岐町糸永

安岐川沿いに安岐ダム公園へ上がる県道34号の途中、掛樋から県道651号へ右折する。しばらく行くと、左の谷間奥に瑠璃光寺がある。案内板のとおり進む。
サルスベリは本堂前にあり、「名木 さるすべり 日本一」と標柱があった。本堂裏手の屋根上にも大木が見え、何かと思って林内に行ったら、この木にも、「名木 モッコクの大樹 樹齢凡そ 
六百年」?の標柱があった。

HP「妖樹の森」九州の巨樹・巨木たちによるサルスベリの説明は、次のとおり。モッコクの説明はない。瑠璃光寺には、参道入口の駐車場隅に、鎌倉時代の作とされる「石殿」が残り、これも珍しいらしい。

瑠璃光寺のサルスベリ
所在地 : 大分県東国東郡安岐町大字糸永字堂ノ上、瑠璃光寺
樹 齢 : 600年
樹 高 : 15m
幹回り : 2.1m(地上0.5m)
枝張り : 南北11m
国東半島の名士、三浦梅園(江戸中期の哲学者)旧宅に程近い山の中に、奈良時代からの古刹「瑠璃光寺」があります。平安時代の作と伝えられるカヤの木の一本造り・阿弥陀如来像が有名ですが、寺の境内には、日本一の大きさといわれる「サルスベリ」の大木が立っています。
百日紅は、地上0.6m〜1.3mのところで五本の幹に分れ、それぞれ四方に張り出していますが、内2本は、途中で一旦癒着して又夫々の方向へ伸びています。
花期には、枝先に可憐な紅色の花房をつけ、カッと照りつける真夏の太陽に輝く姿は、華やかと言うより清浄な美しさを感じます。 (ミソハギ科落葉樹)

白木神社のイスノキ  杵築市大田白木原

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白木神社のイスノキ  杵築市大田白木原

大田白木原集落は杵築市の北部にある。私は杵築中学校近くの県道49号交差点から、永代橋を渡り安岐ダムへの県道405号に入った。城ヶ岳峠を越し安岐ダム公園まで行き、ダム際の県道34号を左に行くと大田俣水に出る。
俣水から走水峠への県道709号に入り、白木原川沿いに北上。宝蓮寺を過ぎると、左手谷向かいに白木神社鳥居が見えてくる。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木  3.白木神社のイスノキ
樹種名 : イスノキ
樹 齢 : 600年
樹 高 : 20m
幹 周 : 4.0m
所在地 : 大田村大字白木原477
所有者 : 白木神社
来 歴
大田村大字白木字花渡路に鎮座する白木神社境内に聳える巨樹。県指定特別保護樹木。ご神木。
白木神社は、昭和30年に、花渡路山神社に宮の木山神社を合祀したもの。前社は現在地に所在。創建は大宝元年(701)と伝えられる。
社前の鳥居を潜って右側、石橋の手前に成立する。幹下部に大人が立って入れるくらいの空洞があり、黒く焦げている。終戦の年(1945)付近の腕白坊主どもが、洞の中に棲むフクロウを捕らえようと燻したのが因で、枯損部に延焼し、消防団が出動するほどの騒ぎになったという。
怪我の功名で、これが空洞腐朽防止の外科手術的役割を果たしている。樹勢旺盛、老衰の兆しはない。鳥居を挟んで左側にもイスノキの伐痕があり、伐痕径から推し現在木より大きい。昭和28年6月の大雨被害によって倒伏したものという。社殿背後の社叢にも数本の大径木が成立している。当地方は古くから山野に自生するものも多く、神社境内のものも、社叢構成植物として自生したものか。ただ、鳥居の両側のイスノキと、社庭周囲のタブノキ、ムクノキ、ヤブツバキなどは、人手によって移植、管理されたものであろう。

五田八坂神社のクスノキ  杵築市鴨川

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五田八坂神社のクスノキ  杵築市鴨川

鴨川集落は杵築市の北西部にある。杵築中学校近くの県道49号交差点から、永代橋を渡り安岐ダムへの県道405号に入る。県道は川沿いに上がり大分空港道路の下を通ると、まもなく川の合流部に「鴨川橋」がある。五田八坂神社は、橋手前から右手の道へ入る。クスノキの大木がすぐ見える。大雨のため林内では詳しく写せなかった。
HP「人里の巨木たち」大分県による説明は、次のとおり。

名 称 五田八坂神社のクスノキ
名称の典拠 現地の標柱(注1 朽ちつつあり、幹に立てかけてあった。多分杵築市教委が設置したもの)
樹 種 クスノキ
樹 高 30m(注2 環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による)
目通り幹囲 7.3m(注2)
推定樹齢 伝承700年(注2)
所在地の地名 大分県杵築市鴨川(五田)
杵築市指定天然記念物
大分空港道路鴨川大橋の北に見える集落が五田である。集落に近づくと、山裾にクスノキの樹冠が見えてくる。
八坂神社の御神木だ。「牛頭天王」の額を掲げる石鳥居のすぐ先の斜面に立っている。
地上4mほどで2幹に分かれている。そのうち1本には蔓が多く絡まっている。そのせいか、2本は表皮の色が異なって見える。全体に若々しく、樹勢は良好。伝承される樹齢より、実際はずっと若いのではなかろうか。