九州(大 分 県)」カテゴリーアーカイブ

北台・南台武家屋敷  杵築市杵築

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北台・南台武家屋敷  杵築市杵築

杵築城近くの武家屋敷などの風景。写真は主に、1〜8が北台、9〜14が南台である。あいにくの大雨の日だった。
杵築市観光協会HP「きつき」による説明は、次のとおり。

江戸時代の風情が今もなお残る杵築

杵築城を中心に、南北の高台に武家屋敷があり、その谷間に商人の町が挟まれています。このような凸凹のある“サンドイッチ型”城下町は、杵築だけと言われています。
町がまるごと“江戸村”の杵築を散策してください。

酢屋の坂(杵築・北台)   (写真  2,3,南台から 12,13)
北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ、土塀と石垣の調和がとれた美しい石畳の坂です。
凸凹のある“サンドイッチ型”城下町がよくわかるスポットです。

北台武家屋敷通り(杵築・北台)   (写真  4)    
長い土塀や白壁の続く静かな佇まいの残る町並みは、多くの歴史研究家から「日本一の城下町」と呼ばれるほど江戸時代の面影を色濃くとどめています。

大原邸(杵築・北台)   (写真  5)
松平藩家老を務めた大原家の屋敷。情緒あふれる堂々たる茅葺屋根をはじめ、長屋門から重厚な玄関構え、優雅な回遊式庭園などこの建物は杵築随一の武家屋敷です。

勘定場の坂(杵築・北台)    (写真  1)
緩やかな傾斜と広い階段は、馬や籠かきの歩幅に合うように配慮されたものです。富士山や扇の形をした石を探してみてください。

磯矢邸(杵築・北台)
加藤与五右衛門の屋敷跡。かつては、御用屋敷として利用されていました。現在邸内には栗原克実美術館が併設されており、水墨画などの作品が展示されています。

藩校の門(杵築・北台)   (写真  6,7)
杵築藩の藩校「学習館」の門、門をくぐると藩校の模型が展示されており、当時の様子がうかがえます。

南台武家屋敷(裏丁)(杵築・南台)   (写真  9,10)
武家屋敷の面影を最も残している裏丁では、高い石垣の上に土塀や長屋門が並び、今も江戸時代の風情が漂っています。

佐野家(杵築・上町)
代々町医者で藩医も務めた佐野家の屋敷は、天明2年(1782年)に建てられたといわれています。杵築の町屋では最も古い木造建築物で、接客部は旧状をよくとどめています。

杵築城(杵築・城山)    (写真  前掲)
木付頼直が応永元年(1394年)に木付城として築城。そして、松平氏入城後に「杵築城」となりました。現在の城は昭和45年に建築され、城山公園とともに市民に愛されています。天守閣からの海を望む景色は必見です。

杵築城跡  杵築市杵築

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杵築城跡  杵築市杵築

杵築城は、戦国大名大友氏の流れを汲む木付頼直が、応永元年(1394)築城した木付城が始まり。大友氏が滅びると木付一族も滅んだ。正保2年(1645)より、能見松平氏が豊後高田藩から移封され、以降、明治維新まで治めた。杵築は松平3万2千石の城下町である。

国道213号により杵築市杵築に入り八坂川の杵築大橋を渡る。「杵築城跡」の案内板により左折。案内板どおり進む。天守閣下の駐車場から遊歩道を歩く。天守閣は観覧料要。
大分県観光情報サイトによる説明は次のとおり。杵築城縄張り図は、現地説明板から。後ろの写真は、城山公園下にある藩主邸跡の庭園など。

「杵築城」は、木付頼直が応永元年(1394年)に「木付城」として築城しました。海と断崖に囲まれた台地は天然の要塞となっており、地形が牛が寝た形に似ていることから、別名「臥牛(がぎゅう)城」とも呼ばれています。
今の城は昭和45年(1970年)に建築された模擬天守閣ですが、石垣、堀、庭園の一部が現存しています。天守閣への途中には、石造物公園があり、国東塔をはじめ多くの石造文化財があります。
城内は歴史資料館となっており、藩主が使用した甲冑や幕府に献上した豊後梅の壺などを観覧することができ、実際に甲冑を着る体験もできます。天守閣の最上階からは、杵築市内を一望でき、守江湾が広がる景色は素晴らしく、城下町側から見る杵築城も趣があります。

糸 ヶ 浜  日出町大神

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糸 ヶ 浜  日出町大神

日出町の東方にある海岸。日出町の中心から県道643号により、杵築方面へ向かう。途中から海岸へ下る。「糸ヶ浜海水浴場」の案内板どおり進む。

糸 ヶ 浜        出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

糸ヶ浜(いとがはま)は、大分県速見郡日出町大神にある海岸。

概 要  大分県北東部にある国東半島の南側の付け根に位置し、別府湾に面した遠浅の海岸である。長さ約1km、幅約400m。大分市、別府市方面からの交通の便もよいことから、大分県を代表する海水浴場のひとつとして広く知られている。海水浴場の開設期間は、例年、7月1日 – 8月
31日。
海岸の背後地には、糸ヶ浜海浜公園として、ログキャビン、キャンプ場、売店・管理棟、野外ステージ、運動場(野球場2面)、テニスコート(4面)が整備されている。また、海岸の北側には、スパ&リゾート ホテルソラージュ大分日出もあり、リゾート施設としての設備が充実している。
夏季には、ビーチフェスタとして、ビーチバレーボール大会などが行われる。

交 通  JR九州日豊本線日出駅から車で約10分
大分自動車道、宇佐別府道路、日出バイパス速見ICから車で約25分

日出城跡(暘谷城跡)  日出町日出

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日出城跡(暘谷城跡)  日出町日出

日出城跡は、木下2万5千石の居城跡。慶長6年(1601)、秀吉の妻ねねの甥にあたる木下延俊が築城。別名、暘谷(ようこく)城・青柳城とも呼ばれる。
国道10号が日出町の中心に入り、JR暘谷駅入口交差点から右折する。駅も過ぎ、通りを海岸の方へ進むと、日出城跡(暘谷城跡)に着く。

城跡に建てられている日出小学校の周囲に、堀や石垣が残り城跡公園となって、一周できる遊歩道がある。本丸下の海岸が、カレイで有名な「城下海岸」。別府湾の景色が良いが、あいにくの天気で夕方だった。現地説明板は、次のとおり。

日出城跡(暘谷城跡)
日出城跡(暘谷城跡)は日出藩初代藩主、木下延俊が慶長6年(1601)に細川忠興の援助で築城した。暘谷城の名は“日は暘谷から出て咸池に入る”という言葉から引用して命名したと伝えられている。昔は天守跡に三層の天守閣がそびえていたという。二の丸および外郭には家臣の居宅、町家を入れた。明治7年(1874)2月大分県は天守閣をはじめ九の櫓を競売に附し取り壊したが隅櫓のみそのまま大正10年まで城内にあったが、小学校拡張により移転した。
日出小学校は明治6年、本丸の建物の払下げをうけ、暘谷小学校が開設されたのが始まりで明治20年小学校令によって暘谷尋常小学校となり、その後日出小学校となり今日に至っている。
本丸下の海岸は俗に“城下海岸”と呼ばれ、ここから望める別府湾の風景は絶景との評があり、別府八景、大分県の百景の一つともなっている。
町指定史跡  昭和25年10月17日指定

日出のサザンカ  日出町日出

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日出のサザンカ  日出町日出

国道10号が日出町の中心に入り、松屋寺入口の次、JR暘谷駅入口交差点から右折する。駅も過ぎ、通りを海岸の城跡の方へ進む。
「暘谷城跡」に建つのは日出小学校。左方の奥にあるのが「日出中学校」である。サザンカは中学校の正門から少し入った校地内に立つ。
現地説明板は、次のとおり。

日出のサザンカ
この木は、現在の日出中学校校地内(日出藩士族屋敷)に生育している。樹齢は400年以上に達すると推定されている。日出藩初代藩主木下延俊が築城し、士族屋敷を設けたのは慶長7年(1602)。この時すでに生育していたか、あるいは、その際に植えたものかは不明であるが、現在も樹勢は盛んである。地上1mで数枝の枝が伸び、高さ7.6m、枝張りは東西8m、南北5mである。
花は花弁先端部が紅色を帯びている。サザンカの品種についての記録は、元禄8年(1695)に出版された「花壇地錦抄」が最初であるが、同書出版の100年前、すでに園芸品種サザンカが存在していたことを物語るもので、きわめて価値が高いといわれている。
このことから、日出町では、サザンカを町花として定めている。
県天然記念物  昭和32年3月26日指定

松屋寺のソテツ  日出町日出

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松屋寺のソテツ  日出町日出

国道10号が日出町の中心に入り、JR日豊本線の高架下をくぐり暘谷駅近くとなるところに、「松屋寺入口交差点」があり左折。大きな案内板どおり進むと、「松屋寺」はすぐである。
現地説明板は、次のとおり。拝観料要。国指定天然記念物「大蘇鉄」は、本堂前にある。

国指定天然記念物   松屋寺のソテツ   大正13年12月9日 指定
ソテツは、高さ6.1m、株元の周囲(地上より1.2m)6.4m、南北幅9.7m、東西幅8.5mの巨樹である。このソテツは、雌樹で1つの株元から10数本の支幹が分岐している。いずれの支幹も指定当時より1m以上大きさを増して成長している。
寺伝によると、日出藩二代藩主・木下俊治が府内城(大分市)にあったものを移植したものと言われている。江戸時代より日本一のソテツとして名高く、樹齢600年以上と推定される。
これまで嘉永4年(1851)、大正4年(1915)の2度の火災に遭い、一部焼失したり、自然災害により損傷・倒壊したりしたが、いずれも見事に樹勢を回復し、堂々とした威容を見せている。
平成8年3月      松屋寺  日出町教育委員会

松 屋 寺  日出町日出

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松 屋 寺  日出町日出

国道10号が日出町の中心に入り、JR日豊本線の高架下をくぐり暘谷駅近くとなるところに、「松屋寺入口交差点」があり左折。大きな案内板どおり進むと、「松屋寺」はすぐである。
現地説明板は、次のとおり。拝観料要。本堂前の国指定天然記念物「大蘇鉄」は、次項で。

松 屋 寺(しょうおくじ)
曹洞宗康徳山松屋寺は天台宗六郷満山寺院の一つとして建立された水月堂を最初とし鎌倉時代の文永年間、最明寺道宗(北条時頼)が水月堂に宿したことにより以来西明寺と称したと伝えられる。慶長六年(1601年)日出藩主木下家の菩提寺となり康徳山松屋寺と号するに至った古刹で教多くの寺宝がある。
境内には国指定天然記念物大蘇鉄、県指定有形文化財の“仏涅槃図”“松屋妙貞他肖像画三幅対”狩野常信筆、“十六羅漢図”や町指定文化財木下俊長筆“千態観音図帳”等ある他、日出城主歴代の墓所や雪舟の築庭と伝えられる“万竜の庭”また帆足萬里をはじめ日出藩の碩学、文化人の墓も寺城内や近くに散在している。

城内邸のサクラ(魚見桜)  日出町豊岡

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城内邸のサクラ(魚見桜)  日出町豊岡

国道10号線小浦交差点より旧道方面へ車で5分。JR豊後豊岡駅裏の豊岡小学校を通り、住宅地となった高台に登って行く。場所がわかりにくいが、要所に「魚見桜」の案内板がある。
途中の道は狭く急な坂のため、車が離合できない。適当なところに駐車して歩く。
現地説明板は、次のとおり。

城内(じょうない)邸の桜
旧藩時代の辻間村大庄屋城内氏の子孫屋敷にある桜の古樹である。周辺にさきがけ、必ず彼岸に咲き誇るこの桜は、近隣の春のことぶれの目安になっている。樹齢はおよそ400年で、枝は4アールほどの広がりをみせ、満開時には遠くから訪れる人も多い。
桜の種類は山桜で同地区の人々は、旧庄屋屋敷にあるため“庄屋の桜”と呼び、彼岸に咲くので“彼岸桜”とも言う。また海に出漁する人々に、この桜の咲き具合で魚の様子を知り、魚の獲り方、網のおろし方をかえるので“魚見桜”とも呼ばれている。
日出町天然記念物

日出藩成敗場跡地  日出町豊岡

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日出藩成敗場跡地  日出町豊岡

国道10号線小浦交差点より旧道方面へ車で5分。JR豊後豊岡駅裏を住宅地となった高台に登って行く。「日出殉教公園」が隣接されてある。
大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。

日出藩成敗場跡地
日出藩の罪人処刑場跡地で供養塔が建てられています。11代藩主木下俊懋が松屋寺(しょうおくじ)住職大蓮和尚に命じて寛政11年(1799)に建立しました。供養塔の下に、法華経69384文字を1字1個の小石に書いて埋めてあるといわれています。成敗場がこうのような形で残されているのは全国でも珍しいことです。また、元和10年(1619)、家老職であったキリシタンの多賀山半衛門が初代藩主木下延俊より棄教を命ぜられました。しかし、それに従わずこの地にて殉教しました。その息子ディエゴ(当時5歳)もこの地で殉教しています。平成19年10月、加賀山半左衛門親子が福者に列せられたことを記念して、この成敗場跡地に隣接して「日出殉教公園」がカトリック大分教区の手により建設されました。また同年10月7日には、異例の松屋寺・カトリック大分教区による宗派を超えた合同慰霊祭も行われました。

日出町の主な石橋  今畑橋・松屋寺境内橋・同雪舟庭園橋

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日出町の主な石橋  今畑橋・松屋寺境内橋・同雪舟庭園橋

日出町の石橋のうち、今畑橋・松屋寺境内橋・同雪舟庭園橋。日出町藤原の赤松橋(石拱橋 通称“赤松のめがね橋”)は立ち寄れなかった。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  2    今 畑 橋
速見郡日出町今畑
橋長:8.5m  橋幅:4.8m  径間:5.2m  拱矢:2.6m
架設:
宇佐別府道路、速見インター入口から県道24号線を300m南下。
大分自動車道をくぐり250m先、今畑方面へ左折。
300m先分岐は水の口湧水方面へ左折。
700m先日出バイパスの下をくぐり500m先右手、今畑神社横に架かっています。

写真   3        松屋寺(しょうおくじ)境内橋
速見郡日出町
橋長:2.7m  橋幅:0.6m  桁厚:18cm
架設:元禄9(1,696)年
単径間円弧桁橋
門をくぐってすぐ、放生池に架かっています。

写真   4        松屋寺雪舟庭園橋
速見郡日出町
橋長:2.3m  橋幅:0.4m
築造:文明9(1477)年
2径間桁橋
本堂裏、雪舟の庭に架かっています。

(参 考)
写真   5〜  7    日出城跡(暘谷城跡)
速見郡日出町
東側からお堀にアーチが見えました。
入口の構造は石造アーチですが、中はタイル張りのトンネル。
西側。上部、日出小学校です。