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水の口湧水  杵築市山香町南畑

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水の口湧水  杵築市山香町南畑

豐の国名水15選のひとつ。杵築市にある人気の湧水。大分県HP「おおいた暮らし」による説明は次のとおり。

水の口湧水(杵築市山香町)
県中部では、人気のある湧水であり、県内はもちろん、県外からも水を汲みに訪れる人が多く、行列ができるほどです。
アクセスは、国道10号の豊岡から県道24号を上がり、約10㎞の地点にあり、車で25分、また、速見ICに近く、車で5分の距離にあります。
鳥屋岳裾野の静かな山間部にあり、日出町と杵築市山香町の境に位置し、杵築市守江湾に流れ込む八坂川の源流がここになります。
湧水口からは、驚くほど澄んだ水がこんこんと湧き出ており、屋根のある水汲み場には5つの蛇口があり、十分な水勢を保っています。水の味は、穏やかで優しく、ほのかな甘い風味を感じます。
隣接して、この湧水を利用して作る豆腐屋があり、お昼過ぎには完売するとのことです。また、駐車場もあり、すぐ近くには、散歩道など整備された「湧き水公園」もあり、家族連れで十分楽しめる憩いの場ともなっています。

杵築市の主な石橋  鶴岡八幡社参道橋・岡橋・小屋敷橋

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杵築市の主な石橋  鶴岡八幡社参道橋・岡橋・小屋敷橋

杵築市(山香町)の石橋のうち、鶴岡八幡社参道橋・岡橋・小屋敷橋。石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  4    鶴岡八幡社参道橋
杵築市山香 大字南畑  八坂川
橋長:10.0m  橋幅:1.6m  径間:6.9m  拱矢:2.7m
架設:昭和30年頃
向田橋から150m北上、三六橋を渡り右折、上河内公民館右下に鶴岡八幡社が見えま
す。

写真   5〜  7    岡   橋
杵築市山香 大字向野 松尾
橋長:10.0m  橋幅:3.3m  径間:6.2m  拱矢:2.3m
架設:不詳
国道10号線、JR西屋敷駅前から950m東進、向野小入口から町道へ左折。
200m先JRのトンネルを越えたところで左折、200m先に架かっています。

写真   8〜 10    小 屋 敷 橋
杵築市山香 大字向野 松尾
橋長:12.0m  橋幅:3.0m  径間:6.4m  拱矢:2.6m
架設:大正6年頃
岡橋から上流に見えている橋です。(注 岡橋・小屋敷橋は、津波戸山登山口付近)

大分農業文化公園  杵築市山香町日指ほか

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大分農業文化公園  杵築市山香町日指ほか

大分農業文化公園    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大分農業文化公園(おおいたのうぎょうぶんかこうえん)は、大分県宇佐市安心院町と大分県杵築市山香町に跨る農業公園である。愛称はパークアルカディア。

概 要 大分県宇佐市安心院町(旧宇佐郡安心院町)古川と杵築市山香町(旧速見郡山香町)大字日指に跨る日指ダムのダム湖周辺に設けられた農業体験が可能な公園で、敷地面積は約
120ha(うちダム湖37ha)に及ぶ。2001年(平成13年)4月21日に開園した。

農業を知る(発見)、農業で遊ぶ(参加)、自然と親しむ(癒し)の3つをテーマに、交流研修館、豊の国物産館、レストラン館、花昆虫館からなる中心施設と、フラワーガーデン、ハーブガーデン、薬草薬木の森、果樹園、貸し農園(クラインガルテン)、コテージ、オートキャンプ場、ふれあい動物園などの屋外施設が設けられている。中心施設は伊東豊雄の設計である。

開園初年度は目標を上回る約46万人が訪れたが、その後は入場者が伸び悩み、目標とする年間25万人に届かない状況が続いた。この為、大分県の行財政改革の一環として施設運営が見直され、2005年(平成17年)1月から、花昆虫館などの一部施設をのぞき、入園料が無料化されている。

この公園の開園に伴い、大分自動車道や大分空港道路と接続する宇佐別府道路の公園隣接地点に大分農業文化公園ICが新設されている。

交 通 宇佐別府道路 大分農業文化公園ICからすぐ。

泉福寺石風呂  杵築市山香町山浦

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泉福寺石風呂  杵築市山香町山浦

宇佐市安心院の中心から県道42号により佐田へ向かい、佐田郵便局前から杵築市山香方面への県道716号に入る。杵築市山香町山浦小学校を過ぎ、県道をまだしばらく行くと、「泉福寺石風呂」入口案内板がある。右手農道の小橋を渡った川沿い奥に木立が見え、ここが泉福寺跡である。
現地説明板は、次のとおり。石風呂上の寺跡境内には、県指定有形文化財「泉福寺国東塔」もあった。

国指定重要有形民俗文化財   泉福寺石風呂   (昭和40年6月9日指定)
金亀山泉福寺は、養老年間に仁聞菩薩の開基と伝えられ、観応3年(1352)に再建されたが明治初年廃寺となった。
この石風呂の構造は上下二階式で、上部が浴室、下部が火ぶくろとなっている。
浴室入口の両側と上部は板碑、浴室内の四壁は岩盤を削ったり、板碑や各種の石材を積み重ねていき、天井や床は板碑や板状の石材を用いている。
石風呂は全国的に横穴式・炭竈式のものが多く、このような二階式のものは類例が少ない。
使用法は下から火を焚き、床に石菖やヨモギ等を敷きつめ、熱くなると水をかけて中に入り身体を温めて治療していた。
浴室入口の高さ90cm、奥行きは150cmである。製作年代は不明であるが、江戸時代中期の記録に“病人多く集り焚く”とある。        杵築市教育委員会

山蔵のイチイガシ  宇佐市安心院町山蔵

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山蔵のイチイガシ  宇佐市安心院町山蔵

安心院の中心から県道42号により佐田へ向かう。佐田郵便局前から杵築市山香方面への県道716号に入る。山蔵に近づくと左側の民家裏の山手にイチイガシの高木が見える。
現地説明板は、次のとおり。環境庁巨樹データベースで全国7位とされたイチイガシらしい。3位という記事もある。根元の空洞に祀っていた石を、樹勢が回復したため締め割ったともあり、引き返して覗きに戻った。

大分県指定天然記念物  山蔵のイチイガシ   (昭和30年5月27日指定)
本樹は、根回り12.1m。北側地上からの高さ1mの胸高幹囲は7.4m。主幹は真っ直ぐに立ち、高さ7mで一分枝、更に8〜10mで五分枝して、東15.0m、西12.0m、南11.3m、北
12.0m。樹高は24mに及ぶ。
近年の台風のより支柱が折れたので、危険防止の為一部の枝を切除したが、樹形は整っていて樹勢はすこぶる旺盛です。
この樹のほか、町内には東椎屋の滝近くの神社に、二本のイチイガシがあり、町指定となっています。日本の原風景を演出した広葉樹の巨木と云われるものが町内各所に見られます。           安心院町教育委員会

大年社板碑  宇佐市安心院町佐田

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大年社板碑  宇佐市安心院町佐田

安心院の中心から県道42号により佐田へ向かう。佐田郵便局前から杵築市山香方面への県道716号に入る。まもなく左側に大年社の仁王像と鳥居があり、参道を登った堂の脇に板碑が立つ。
大年社境内に集められた2基の板碑。南北朝時代初めに造立されたものと考えられ、県指定有形文化財となっている。現地説明板は、次のとおり。

大分県指定有形文化財  大年社板碑(二基)   (昭和47年3月21日指定)
二基は、ほぼ同形同大で石材も共に凝灰岩。
上段の板碑は塔身正面上部に大きく種子「アーク(胎蔵界大日)」を薬研彫りし、その下に「暦応四年(1341)巳三四)と陰刻しています。
下段の板碑は塔身正面上部に大きく種子「バン(金剛界大日)」を薬研彫りし、その下に「建武元年(1334)八月二廿八」、その向かって下方左側に「四十八日衆各敬白」と陰刻があります。
この板碑は時宗関係集団に依って南北朝時代初めに造立されたものと考えられています。
一遍を宗祖とする教団が時宗で、南北朝時代から室町時代にかけて一大隆盛をきわめています。信者には貴族・武士・一般民衆等あらゆる階層がいました。ここ佐田では佐田荘を領有した佐田氏(宇都宮系佐田氏)の建立と考えられます。武士が戦場で討ち死にした場合、時宗僧が十回念仏を唱えて極楽往生に導き、且つその活躍の様を遺族に伝えるという働きをした「陣僧」の存在も考えられています。       安心院町教育委員会

佐田京石  宇佐市安心院町佐田

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佐田京石  宇佐市安心院町佐田

安心院の中心から県道42号により佐田へ向かう。「佐田京石」入口の案内板があり、案内板どおり宇佐へ通じる県道658号に入ると、米神山麓の県道沿い「佐田京石」駐車場に着く。
現地説明板は、次のとおり。霊山米神山を向いているという「こしき石」は、熊方面へさらに1km進む。「滑川橋」の右手上、田んぼの中に石が傾いて立っている。滑川上流の左右には、小さいアーチ式石橋が2橋(滑川1号橋・滑川2号橋)残っている。

佐田京石
太古の祭祀場か? 鳥居の原型か? 埋納経の標石か? 定説は未だありません。通路を登って左側の柵内は、マウンド中央の石柱から半円形を描くように石柱が配された環状列石と推測されます。
また、右側の柵内にはドルメン(支石墓)と思われる巨石があります。石柱の表面には、ペトログラフ(岩刻文字)の存在が指摘されています。背後にある山は、米神山(標高475m)と呼ばれ、山頂部にも環状列石(高さ50cm程度の石)があります。
また、ここから宇佐方面へ行った地点右側の水田中に、米神山側に先端が向いた立石があり、その上に小さな扇平石を載せたものが立っています。地元ではこしき石と呼ばれ、蓋石を取り除くと暴風になると伝え暴風石とも呼ばれています。
この様に山の名やこしき石等、米に係る名が多く有りますので弥生時代頃のものとも思われますが、定かではありません。       宇佐市教育委員会

楢本磨崖仏  宇佐市安心院町楢本

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楢本磨崖仏  宇佐市安心院町楢本

安心院の中心から別府への国道500号に入る。ほどなく東恵良の左に「楢本磨崖仏」入口の案内板がある。同入口の桂昌寺跡地獄極楽まで行かず、手前の住宅地内から車道を上がる。山際を進むと佐田方面への広い工事中道路へ出る。次の三叉路で左下の直線道路の方へ下ると、すぐ右手岩面に「楢本磨崖仏」が見える。
宇佐両院観光連絡協議会HP「宇佐百景 散策紀行」による説明は次のとおり。フェンス外から写したため、磨崖仏がはっきりしなかった。

楢本磨崖仏  楢本
室町時代の磨崖仏の特色(かまぼこ型、半肉彫り)を代表する史跡といわれる。縦4.5m幅40mの岩に、2段に彫られている。不動三尊(不動明王、コンガラ童子、セイタカ童子)、薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)の他十二神将や仁王、地蔵菩薩等、仏の世界を表現した曼荼羅となっている。
応永35年(1428)室町時代の墨書銘が不動明王の右上の方にあり、昭和32年県指定文化財となった。国道500号より道路が通じており、入口から2分ほどで行けるようになった。

地獄極楽(桂昌寺跡)  宇佐市安心院東恵良

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地獄極楽(桂昌寺跡)  宇佐市安心院東恵良

全国にも珍しい江戸後期の遺跡。大衆教導のため岩のトンネル内に「地獄極楽」という、リアルなジオラマを作ったミステリースポット。
安心院の中心近く、別府への国道500号により行く。まもなく東恵良の左に案内板があり、奥の駐車場へ進むと、高台に桂昌寺跡礼拝堂と地獄極楽一周岩穴がある。
現地説明板は、次のとおり。翁塚(松尾芭蕉の句碑)もある。

市指定有形民族文化財    地獄極楽(桂昌寺跡)
桂昌寺(室町中期開基)は江戸の頃には無住荒廃となったが、江戸の天台僧午道法印(巍純)という傑僧が江戸後期の文政3年(1820)頃、大衆教導のために作った全国にも珍しい遺跡です。
先ず閻魔の庁で閻魔大王から裁判を受け馬頭・牛頭に引きずられて地獄道(36メートル)へと進むと、途中、三途の川の奪衣婆や赤鬼青鬼のいる血の池地獄などが迷路の闇に浮かびでます。
次に菩提坂を越えると極楽道(25メートル)となり、十三仏に救われて来迎弥陀(観音菩薩・勢至菩薩)の前に出ます。
その横の竪穴(5メートル)を鎖伝いに登ると丘の上には阿弥陀如来を中心とした多くの菩薩が安置され極楽浄土となっています。     宇佐市教育委員会

東椎屋の滝  宇佐市安心院町東椎屋

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東椎屋の滝  宇佐市安心院町東椎屋

安心院の中心から別府への国道500号に入る。アフリカンサファリまで行かず「東椎屋の滝」入口があり、滝の車道へ右折する。2km奥に有料の駐車場・休憩所があり、滝つぼまで、渓谷沿いを300m歩く。
別名「九州華厳」。津房川上流にかかる落差85mの滝。西椎屋の滝、富貴野の滝とともに「宇佐の三滝」と呼ばれる。
現地説明板は、次のとおり。豊後三賢人・帆足万里の「潔心地」詩碑が建てられている。

東椎屋の滝   −日本の滝百選−
東椎屋の滝は、絶壁の上部を新耶馬溶岩、下部を集塊岩によって形成され、絶壁部岩様の縦の節理が特徴であり、国指定名勝耶馬溪の内として多くの参観者に「九州華厳」の別名で親しまれ、直下型瀑布で落差85mのその端麗な姿を披露している。
また、滝壺から流れ出る下流数百メートルの渓谷、渓流の美しさはこの滝の特徴であり、春には新緑に囲まれた自然美を誇り、渓谷に生息する河鹿蛙の美しい鳴き声が静かな沢に響き、年間を通じて多くの観光客が訪れている。