杵築城跡  杵築市杵築

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杵築城跡  杵築市杵築

杵築城は、戦国大名大友氏の流れを汲む木付頼直が、応永元年(1394)築城した木付城が始まり。大友氏が滅びると木付一族も滅んだ。正保2年(1645)より、能見松平氏が豊後高田藩から移封され、以降、明治維新まで治めた。杵築は松平3万2千石の城下町である。

国道213号により杵築市杵築に入り八坂川の杵築大橋を渡る。「杵築城跡」の案内板により左折。案内板どおり進む。天守閣下の駐車場から遊歩道を歩く。天守閣は観覧料要。
大分県観光情報サイトによる説明は次のとおり。杵築城縄張り図は、現地説明板から。後ろの写真は、城山公園下にある藩主邸跡の庭園など。

「杵築城」は、木付頼直が応永元年(1394年)に「木付城」として築城しました。海と断崖に囲まれた台地は天然の要塞となっており、地形が牛が寝た形に似ていることから、別名「臥牛(がぎゅう)城」とも呼ばれています。
今の城は昭和45年(1970年)に建築された模擬天守閣ですが、石垣、堀、庭園の一部が現存しています。天守閣への途中には、石造物公園があり、国東塔をはじめ多くの石造文化財があります。
城内は歴史資料館となっており、藩主が使用した甲冑や幕府に献上した豊後梅の壺などを観覧することができ、実際に甲冑を着る体験もできます。天守閣の最上階からは、杵築市内を一望でき、守江湾が広がる景色は素晴らしく、城下町側から見る杵築城も趣があります。