九州(大 分 県)」カテゴリーアーカイブ

青宇田画像石  豊後高田市美和

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青宇田画像石  豊後高田市美和

県道29号により、国東市方面へ向かう。ほどなく行った都甲川沿いの県道左に駐車場と案内板がある。画像石は、高台にある寺跡境内の収蔵資料館に展示されている。入館無料。
後ろの写真は、境内にある石像四天王像(市指定有形文化財)、阿弥陀磨崖仏、現在の御堂内天井絵。

大分県指定有形文化財  青宇田画像石
画像石とは、南北朝時代の末期(1390頃)ここ青宇田にあったと伝えられる延命寺の僧 一道と道念(他五名)が当時の浄土教の教える絵巻物風に、板状の石に線刻したものです
これらの画像石は、元々収蔵庫背後の崖上にあったといわれる寺院で作製され、崖にはめ込まれていたのではないかと伝えられてきましたが、長年の風雨により画像の摩滅が著しく、判読が難しいものや、失われたものもあるようです その後、地元住民の手厚い保護を受け昭和33年に大分県の有形文化財に指定されました
絵図は、当時の民衆の間で広く信仰されていた浄土教の教えを経典に従って表しており、地獄や極楽の様を示すことによって人の生き方を戒める意味がこめられているようです。

穴瀬横穴群  豊後高田市美和

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穴瀬横穴群  豊後高田市美和

県道29号により、国東方面に向かう。ほどなく行った美和台地南側崖面の都甲川沿い県道左に案内板がある。青宇田画像石のまだ手前。

穴瀬横穴群   県指定史跡
都甲川に接する美和台地南側崖面にあり装飾文様(円文、連環文、格子状文など)があるものもある。代表的なものには奥壁幅240cm奥行230cm中央の高さ144cmの羨門に三段の彫りこみ、羨門前面に赤色彩色の跡がある。

昭和ロマン蔵・昭和の町  豊後高田市中心部

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昭和ロマン蔵・昭和の町  豊後高田市中心部

豊後高田市観光まちづくり株式会社HP「豊後高田 昭和の町」による説明は、次のとおり。

豊後高田 昭和ロマン蔵
”昭和ロマン蔵”の建物は、明治から昭和にかけて大分県きっての大金持ちといわれた”野村財閥”が昭和10年前後に米蔵として建てた旧高田農業倉庫です。
”野村財閥”は、かつて豊後高田の商店街の中心に豪壮な屋敷を構え、小作人に貸しつけていた田畑は西国東・宇佐・下毛の3郡にまたがる360町歩、小作米は1年に1万俵を誇ったといわれました。

”昭和の町”では、この昭和の米蔵を”昭和ロマン蔵”と名づけ、平成14年に駄菓子屋の夢博物館、平成18年に旬彩南蔵、平成19年に昭和の夢町3丁目館と、次々に昭和のお宝を詰めこんだ施設を開館しています。
昭和の米蔵が昭和のお宝蔵へと生まれ変わった”昭和ロマン蔵”で、あなただけの昭和の思い出をお探しください。

豊後高田  昭和の町
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな”お町”として栄えていました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。
ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか?
貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。

豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。
時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。
平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。お帰りなさい。思い出の町へ。

算所の大クス  豊後高田市新栄

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算所の大クス  豊後高田市新栄

豊後高田市新栄の「算所」は、大分県立高田高等学校の西側あたりとなるので、国道213号の適当なところから入る。「算所の琴平宮」は住宅地の中にあり、場所がわかりにくいため、地図を掲げた。たしかここだったと思う。
別の資料によると、桂川右岸に豊後高田城があった。その跡地が、現在の桂陽小学校など。外堀の鬼門の方角にある琴平宮が、高田城の鬼門鎮護の役割も担っていたのかも知れない(真偽不明)、とある。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    1.算所の大クス
樹種名 : クスノキ
樹  齢  : 500年
樹  高  : 23m
幹  周  : 7.6m
所在地 : 豊後高田市大字新栄字屋敷
所有者 : 算所区
来  歴
豊後高田市大字新栄字屋敷、琴平宮の境内に聳える巨樹。ご神木。県指定特別保護樹木。市指定天然記念物。
琴平宮は金比羅宮とも呼ばれる。無格社。創立年代不詳。鳥居に安永三年(1774)建立の銘がある。境内にはご神木のほか、イスノキ2本、イチョウ1本があり、いずれも目通り周囲160cm余。この方は鳥居建造の前後に植えられたものと推定される。 
クスノキの推定樹齢は、500年。樹型、生育環境、活力等から、もっと若い年代を主張する人もいる。
当所の所在地は、標高100m余の台地で沖積世粘土層。付近は往時の瓦土採集場。土層は構造、堅密度ともに堅。かつ、踏圧つよく生育環境はきわめて劣悪。指定当時すでに主枝の枯損の記録がある。平成3年の19号台風で各枝に裂損被害を生じたが、その後、樹勢は回復傾向にあり、現在、良好な状態を保っている。
神域せまく、さらに道路拡張等のために分断され、算所区の屋敷神さまの趣がある。鎮座地、屋敷の地名に相応しい氏神さまといえる。

呉崎小学校のフェニックス  豊後高田市呉崎

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呉崎小学校のフェニックス  豊後高田市呉崎

県道654号は西真玉で、国道213号と合う。国道に左折し、しばらく豊後高田市の方へ進む。呉崎郵便局手前のキグナスGSのところから、右折して奥へ行くと「呉崎小学校」がある。フェニックスは校庭隅にあり、学校の裏側へ回る。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    2.呉崎小学校のフェニックス
樹種名 : フェニックス
樹  齢 : 90年
樹  高 : 12m
幹  周 : 2.0m
所在地 : 豊後高田市大字呉崎1545
所有者 : 豊後高田市(呉崎小学校)
来  歴
豊後高田市大字呉崎、呉崎小学校校庭に成立。南洋産ヤシの一種。呉崎小学校のシンボルとして、校歌にもうたわれている。県指定特別保護樹木。
フェニックスはカナリー諸島原産で、日本名はカナリーヤシ。フェニックスは俗名。
この木は明治43年(1910)、当地出身の軍艦出雲乗組員、日浦源蔵氏が、マライ半島ペナン島に寄港したとき、浜辺で拾った實5個を土産に持ち帰って播いたものという苗をそだてたのは、当時呉崎小学校に勤務していた安部彦一先生。五個のうち一個が発芽生育したのが現在の姿である。
ヤシ科植物は幹に形成層を欠き、細胞分裂をしないで、肥大成長は一個一個の細胞が肥大するのみ。したがって、この大きさはヤシ科植物としては極限に近い。
この木は初め呉崎小学校の旧校舎校庭に成立していたものを、昭和58年(1983)に現在地に移植したもの。移植後も活力が衰えないのは奇跡である。呉崎小のシンボルとして、関係者の愛育のたまものであろう。
上記、フェニックスの由来については、呉小の大正7年卒業生、倉成実夫氏の記録による。

真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉

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真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉

無動寺から県道654号を西真玉へ下って行く。県道左にこんもりした木立が見える。案内板の「真玉体育センター」の道へ左折する。体育センター横に鳥居があり、裏が「真玉八幡社」である。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。一覧の名称は「21.真玉八幡神社の森」なのに、明細の「21.浦津江神社大杉の森」は誤り。上津江村の浦宮神社をミス字している。

特別保護樹林    21.真玉八幡神社の森
所在地 : 豊後高田市西真玉
所有者 : 真玉八幡神社
来  歴
神域面積およそ3.6ha。そのうち樹林は3.1ha。県指定特別保護樹林。
主林木は、イチイガシで、アラカシ、コジイ、タブノキなどを混成する。植栽の由来については、拠るべき資料がないが、社庭周辺の単木的に配置された大木は社殿造営後の植栽と思われる。
祭神は、足仲彦命ほか2神。また、山積神社ほか4社が合祀されている。神社の由来は、約1300年前までに遡る。養老4年(720)元正天皇の時代に、大隅日向両国の隼人が叛逆を企ててた。これに対し、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を立て、これを討伐した。この時に、真玉庄のの住人で大神源内というものが出陣して功を立てた。源内は陣中での夢で八幡宮を真玉庄に祭るべき旨の霊宣を受けた。凱旋の源内は、今の社地に霊璽を勧誘したというのがこの神社の由来である。

無 動 寺  豊後高田市黒土

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無 動 寺  豊後高田市黒土

天念寺前の県道546号から山越えし、「おべんの柿」を見て、真玉方面の県道654号へ出た。合流したところから少し下った、県道右側に「無動寺」がある。
山門横の空地に、ガラス越しに「鬼会面」など展示されていて珍しかった。本堂裏に「石仏公園」があるが、見る時間がなかった。無動寺側からも「天念寺無明橋」が見え、登りやすいそうだ。

無 動 寺     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無動寺(むどうじ)は、大分県豊後高田市(旧真玉町)黒土にある天台宗の寺院。山号は威王山(いおうざん)。(小岩屋山?)

概 要 養老2年(718年)に仁聞によって開かれたと伝えられる古刹で、六郷満山の中山本寺として栄え、最盛期には末寺が12あったという。
本堂には本尊の不動明王像をはじめ、大日如来座像、薬師如来座像などの平安時代から鎌倉時代にかけての16体の木造の仏像が安置されており、すべてが大分県の有形文化財に指定されている。このうち、本尊の不動明王像は、桧の一木造で、像高115.8cm。12世紀中頃の作とされる。
本堂の裏には、十六羅漢像をはじめとする石仏や石塔が並ぶ石仏公園がある。寺院の背後には、黒土耶馬(くろつちやば)と呼ばれる、耶馬渓に似た奇岩から成る絶壁がそびえる。国東六郷満山霊場第十番。

真玉のおべん柿  豊後高田市黒土

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真玉のおべん柿  豊後高田市黒土

「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」先の、長岩屋川沿い県道543号をしばらく進む。「黒土・真玉方面」の案内板があり左折する。山越えして下って行くと、車道左側に「おぺん柿」の説明板がある。この車道は下ると、県道654号へ出る。

歩道フェンス下のやや広い草地に柿の古木が2本見える。元祖の指定木は、奥の方の木。根元に倒れた標柱があった。今年、実がなったか確認できない。手前の木には、実が残っていた。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。おべん柿のたわわな実の写真は、説明板から写した。

特別保護樹木    4.真玉のおべん柿
樹種名 : カ キ
樹  齢  : 230年
樹  高  : 16m
幹  周  : 1.7m
所在地 : 真玉町大字黒土上前田
所有者 : 富山寿満
来  歴
真玉町大字黒土、所有者富山寿満家の旧屋敷跡に植えられている名木。県指定特別保護樹木。
おべん柿の由来については、西高国語サークル編「仏の里の民話を訪ねて」第55話、河野繁文作の民話がある。それによると、昔みすぼらしい旅の修行僧が水を求めて施しを乞うたが、誰も見向きもしなかったとき、おべんという婆さんが水を与えた。僧はお礼に柿の実3個を渡した。その柿の種が芽生えて成長したのが、この「おべん柿」の元祖木になったのだと伝えられている。

カキは、日本・中国・韓国及び北米の原産で、わが国で品種改良されて、日本を代表する果樹となった。県内に分布する渋柿系統には、川底(下毛郡と玖珠郡の一部)・ジージョ(前津江村)・田夫時(朝地町)・甚吉(朝地町、玖珠郡、大分郡)・祇園坊(安心院町)とおべん柿が代表的なものとされる。
県内に現存する古木では、庄内町阿蘇野の「えぶくろ柿」(推定樹齢200年)が知られているが、おべん柿はこれと同年代か、それより古く、幹周り、樹高ともに大きい。
おべん柿の元祖木は、2本並んで立っているが、指定木は入り口からみて奥の方である。大きさ、樹型、活力に差はない。秋から冬にかけて枝もたわわに実をつけている姿は、近所の名所となっている。

天念寺耶馬 無明橋一周 (2)  豊後高田市長岩屋

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天念寺耶馬 無明橋一周 (2)  豊後高田市長岩屋

豊後高田市から都甲川沿いの県道29号により東へ向かう。途中から県道543号の長岩屋川の方へ左折して行くと、「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」がある。
「無明橋」は、天念寺耶馬と呼ばれるこの上の岩峰修験道に見える天空の橋。橋長:3.0m、橋幅:1.2m、環厚:38cm、架設:大正初期頃?の単一アーチ式石橋。

「鬼会の里」建物後ろ側から登山道がある。無明橋まで約1km。往復では、登り40分、下り30分くらいかかるだろう。ただし、危険な道。注意書きが「危 険 この岩峰は、転落の恐れがある危険な箇所があります。事故等が発生した場合でも、責任は一切負えません。関係者以外の登山は、ご遠慮ください」とあった。

私は、無明橋からまだ東上の霊場まで行き、別の住宅地内下山路へ下った。撮影しながら一周したので、2時間ほどかかった。
写真(1)が、鬼会の里から無明橋の直前まで、(2)が無明橋と、それから別の下山の様子。詳しく載せる。

天念寺耶馬 無明橋一周 (1)  豊後高田市長岩屋

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天念寺耶馬 無明橋一周 (1)  豊後高田市長岩屋

豊後高田市から都甲川沿いの県道29号により東へ向かう。途中から県道543号の長岩屋川の方へ左折して行くと、「天念寺」と豊後高田市立「鬼会の里 歴史資料館」がある。
「無明橋」は、天念寺耶馬と呼ばれるこの上の岩峰修験道に見える天空の橋。橋長:3.0m、橋幅:1.2m、環厚:38cm、架設:大正初期頃?の単一アーチ式石橋。

「鬼会の里」建物後ろ側から登山道がある。無明橋まで約1km。往復では、登り40分、下り30分くらいかかるだろう。ただし、危険な道。注意書きが「危 険 この岩峰は、転落の恐れがある危険な箇所があります。事故等が発生した場合でも、責任は一切負えません。関係者以外の登山は、ご遠慮ください」とあった。

私は、無明橋からまだ東上の霊場まで行き、別の住宅地内下山路へ下った。撮影しながら一周したので、2時間ほどかかった。
写真(1)が、鬼会の里から無明橋の直前まで、(2)が無明橋と、それから別の下山の様子。詳しく載せる。