昭和ロマン蔵・昭和の町  豊後高田市中心部

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昭和ロマン蔵・昭和の町  豊後高田市中心部

豊後高田市観光まちづくり株式会社HP「豊後高田 昭和の町」による説明は、次のとおり。

豊後高田 昭和ロマン蔵
”昭和ロマン蔵”の建物は、明治から昭和にかけて大分県きっての大金持ちといわれた”野村財閥”が昭和10年前後に米蔵として建てた旧高田農業倉庫です。
”野村財閥”は、かつて豊後高田の商店街の中心に豪壮な屋敷を構え、小作人に貸しつけていた田畑は西国東・宇佐・下毛の3郡にまたがる360町歩、小作米は1年に1万俵を誇ったといわれました。

”昭和の町”では、この昭和の米蔵を”昭和ロマン蔵”と名づけ、平成14年に駄菓子屋の夢博物館、平成18年に旬彩南蔵、平成19年に昭和の夢町3丁目館と、次々に昭和のお宝を詰めこんだ施設を開館しています。
昭和の米蔵が昭和のお宝蔵へと生まれ変わった”昭和ロマン蔵”で、あなただけの昭和の思い出をお探しください。

豊後高田  昭和の町
江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は国東半島一の賑やかな”お町”として栄えていました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いをこめて、平成13年に着手した町づくりです。
ところで、昭和30年代とは、どんな時代だったのでしょうか?
貧しく不便だったけれど、明るい未来を信じて、隣近所が肩を寄せあい、助けあいながら生きていました。

豊かで便利になったとはいえ、平成の今に比べて、幸せが実感できた時代、生きる手ごたえがあった時代といってもいいでしょう。
時は物の形も人の心もすっかり変えてしまいましたが、豊後高田「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。
平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられているのです。お帰りなさい。思い出の町へ。