長崎の風景・史跡 (県 北)」カテゴリーアーカイブ

城ヶ岳  佐世保市宇久町平

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城ヶ岳  佐世保市宇久町平

宇久平港ターミナルから左方神浦方面への道を進む。笛吹西通りの入口に「城ヶ岳園地」の案内標識があるので、右折して西通りを上る。
西通りの上で、県道160号線と交差するが、そのまま直進する。

山本神社鳥居を過ぎ、城ヶ岳の中腹を回るようにしばらく進むと、「城ヶ岳登山口」の標識がある。これから登山道路を登ることとなるが、狭い車道で傾斜は急である。山頂直下に駐車場がある。登山道路はこの道しかないので、下りも同じ道となる。
HP「宇久町オフィシャルサイト 観光情報」による説明は次のとおり。

城ヶ岳展望所   所在地:宇久町宮ノ首

宇久島のおへそに位置し、島内で一番高い場所です。城ヶ岳は、安山岩火山で円錐の形をしていることから「五島富士」と呼ばれています。
標高258mの頂上からは青い海原に東に平戸島、北に生月・大島・壱岐・対馬を望め、その眺望から、太平洋戦争時は佐世保軍港の門戸として電波探知機が設置されていました。
山頂直下までは車で登れ、遊歩道が整備されていますが、マムシがいるので注意しましょう! 登りきったら、疲れた体を癒すにちょうどいい芝生の広場もあり、ここでお弁当なんていうのもいいのではないでしょうか? 
城ヶ岳を征すれば宇久島を制覇した気分になれます。
交通アクセス  宇久行政センターから 車で10分

平家盛公上陸の地  佐世保市宇久町本飯良

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平家盛公上陸の地  佐世保市宇久町本飯良

宇久平港ターミナルから宇久小学校の方へ行き、ここから島内を右回り一周する県道160号線へ入る。
大浜海水浴場・対馬瀬燈台・三浦神社大蘇鉄の入口を過ぎ、島の西部本飯良まで行く。
下に汐出浜海水浴場が見え、手前の宮の下まで下る。
ここまでなら、もう県道160号線の島内左回りが近くなる。

「平家盛公上陸の地」は先端の火焚崎にあり、宮の下から「平原キャンプ場」などの標識に従い右折して行くと着く。風車がある所である。
汐出浜海水浴場からも海岸を回って行ける新道が整備されていた。
HP「宇久町オフィシャルサイト 観光情報 」による説明は次のとおり。

平家盛公上陸の地  所在地: 宇久町宮ノ首

島の西に続く断崖の一部に、「船隠し」と呼ばれている入江があります。平家盛が宇久の海士達に助けられた時、船を隠したのが名前の由来です。 入江の上の岬には、平家が夜露にさいなまれた体を暖をとって温めたと言う火焚崎があり、 ここに沈む夕日は素晴らしく夕方に行くおすすめポイントです!
交通アクセス  宇久行政センターから 車で15分

障子ヶ浦岩脈群  佐世保市宇久町大久保

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障子ヶ浦岩脈群  佐世保市宇久町大久保

宇久平港ターミナルから右へ佐世保市宇久行政センター前を通りながら、広い道を左折して宇久小学校の方へ行く。ここで島内を右回り一周する県道160号線へ入る。
大浜海水浴場・対馬瀬燈台・三浦神社大蘇鉄の入口を過ぎ、島の西部大久保まで行く。これから現県道の海岸側外方を行き風車のある平原へ通じる旧道に入る。

海岸の景色がよい道路で黒崎鼻を見ながら高台の旧道をしばらく行く。湾曲したところがあり、下の海岸を覗くと海面に衝立を立てたような岩があり、岩脈となって海中に続いていることがわかる。ここが「障子ヶ浦岩脈群」である。
旧道を少し行くと、五島鼻の突端へ下る急坂の牧場道があり、中ほどまで下るとこの岩脈がよく見える。湾曲は小カルデラ跡で赤ダキとなっており、手前は海食により削られ、玄武岩の岩脈が残ったものと思われる。

パンフレット「宇久宝島」に場所のみ書いていたので、宇久行政センターに聞いてどんなものか現地へ行ってみた。
大久保の手前となる木津海岸に「溶岩トンネル」もあるが、海岸へは行き難く、行ってもどこがトンネルかかわからないだろうということだった。
宇久町指定天然記念物と思われるが、HPには見当たらない。

小値賀町の風景  北松浦郡小値賀町

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小値賀町の風景  北松浦郡小値賀町

平成20年7月23、24日、北松浦郡小値賀町に行く。
小値賀入港、フェリー太古は出港、格子戸のある町並み、小値賀町役場、船瀬海岸、唐見崎と本城岳、赤浜海岸、小値賀空港、斑島漁港と大橋、斑島の夕暮れ、黒島展望台から、大島からの風景など。

神ノ崎遺跡  北松浦郡小値賀町黒島郷

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神ノ崎遺跡  北松浦郡小値賀町黒島郷

黒島は小値賀港ターミナルのすぐ左方にある島。黒島大橋によって渡れるので海岸通りを左へ行く。大橋の先に黒島展望台・黒島園地へ行く右新道ができているが、そのまままっすぐ進む。
黒島公民館横に黒島郷若宮神社があり、この神社の社殿裏から波止場先の小値賀漁協造船所にかけての細長い岬が「神ノ島遺跡」の場所である。県指定史跡だが、何も案内や説明板がない。

松林の丘。足元は草ぼうほう。草つきの中を歩くと何度か石につまづき、これが遺跡の石らしいとわかる。造船所の前まで車道を行ったら、道路を広げたコンクリート崖面の一角に石棺を残して見えるようにしていた。
西海の古代を感じさせる岬の遺跡。小値賀港の近くであり史跡としてもう少し整備してよいのではないだろうか。

神ノ崎遺跡  県指定史跡

指定年月日 平成3年3月29日  所在地 北松浦郡小値賀町黒島郷字庭ノ畑2番1
所有者 小値賀町
遺跡は笛吹港に突き出た全長約60m、幅4m〜15mからなる小さな岬上に位置する。弥生時代中期から古墳時代後期にかけて約500年間継続して営まれた墓地で「板石積石墓」「地下式板石積石棺墓」などと呼ばれる、有明海周辺に分布の中心を持った特殊な形態の石棺36基からなる。
この遺跡のように、長期にわたって同じ形態の墳墓が営まれる例は県内外においても稀であるが、同時に五島列島の空白期であった5〜6世紀の墳墓が初めて明らかにされた点でも重要な意義を持っている。

大島巨大火山弾産地  北松浦郡小値賀町大島郷

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大島巨大火山弾産地  北松浦郡小値賀町大島郷

大島は小値賀島の属島で、小値賀笛吹港の南西部にあり町営船「第3はまゆう」が通う。所要時間10分。片道270円。
火山弾は小値賀町歴史民俗資料館通りの石垣上に並べて展示している。長崎県HPはここの写真を載せているが、大島へ渡り大きな実物を見ることとした。

同船した小値賀小学校大島分校の先生の話から、まず学校正門にある火山弾を見に行った。門柱の両脇に1mあまりの大きさのを2つ乗せていた。
大島は現在31世帯100人位が暮らす。分校は小学生のみで6人。

島の人の話では、火山弾の産地は「中ダキ」という島西側の断崖海岸に大きいのが多くあるそうだ。船でしか行かれない場所なので、集落の中を探した。
波止場の「自力更生碑」の基礎部、公民館後ろの民家(ここの方はマニア。島内の火山弾と石器を収集)、墓地奥の「英霊碑」の下石に見事な火山弾を見た。

大島分校HPのアルバムを見ていたら、波止場に昭和61年小値賀町が設置した古看板の写真があったので、火山弾場所の参考のため載せた。
後の2枚の写真は、大島へ渡らなくても小値賀本島で見られる火山弾。小値賀町歴史民俗資料館前通りと、前方郷後目公民館の門にもあった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

大島巨大火山弾産地  県指定天然記念物

指定年月日 昭和29年12月21日  所在地 北松浦郡小値賀町大島郷尾泊
所有者 小値賀町
小値賀島とその周辺に点在する属島(納島・斑島・古路島・薮路木島・大島・宇久島・黒島など)の地質は、ほとんど玄武岩の溶岩流と火山砕屑物とで構成されている。溶岩状の玄武岩は、一般に平坦な溶岩台地をつくるが、火山砕屑物は噴石丘(臼状火山)をつくる。火山砕屑物は、色の黒っぽい(黒、褐、赤など)岩滓を主とし、この中にしばしば火山弾を含んでいる。
とくに大島では、形の大きい火山弾が多量に見られる。火山弾は、流動性に富んだ玄武岩質のマグマが火口から空中に飛ばされ、飛行中に特定な形をとったものである。形は球、楕円形、紡錘形などと種々あるが、いずれも空中で固結した時に生ずるものである。

古路島の岩頸  北松浦郡小値賀町薮路木島郷

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古路島の岩頸  北松浦郡小値賀町薮路木島郷

古路島は小値賀島西部沖500mにある無人島。島の西側の海食崖に赤色の岩滓層が露出し、それに貫入してY字型の岩頸が見られる。
船でないと近くで見れないため、斑島や大島から見た島の写真のみ載せた。島は間違っているかもわからない。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

古路(ころ)島の岩頸(がんみゃく)  県指定天然記念物

指定年月日 昭和29年12月21日  所在地 北松浦郡小値賀町古路島
所有者 小値賀町
古路島は小値賀島西部沖500mにある無人島で、最高点が56mの小島であり、地質は小値賀火山群の一員として、玄武岩溶岩と岩滓とから構成されている。
島の西側の海食崖に赤色の岩滓層が露出し、それに貫入してY字型の岩頸が見られる。幅約3m、高さ12m程度の小さなものである。火山岩頸とは、火山体が浸食作用によって失われた後も、火道を満たした溶岩や火砕岩が浸食に抵抗して、塔状の岩体として残ったものとされているため、古路島の岩頸はあるいは岩脈の分類に含まれるものかも知れない。

斑島玉石甌穴  北松浦郡小値賀町斑島郷

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斑島玉石甌穴  北松浦郡小値賀町斑島郷

小値賀港ターミナルから島内を一周する県道161号線により、島の北西部へ行く。約5分ほど走ると、浜津に「斑島入口」の標識があり、県道225号線へ左折し「斑大橋」を渡る。
玉石鼻は島の北部。漁港の先へ海岸沿いの道を行く。「斑島玉石甌穴」は、海食でできた甌穴としては国内最大であり、世界でも2番目の大きさの甌穴とされる。
玉石様の石祠に同じような玉石が祀られている。これも本物だろうか。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

斑島玉石甌穴  天然記念物(国指定)

指定年月日 昭和33年3月13日  所在地 北松浦郡小値賀町大字斑島郷字斑島
所有者 小値賀町
斑島は、五島列島北部の小値賀島の西方に隣接し、東西・南北ともに約1.5kmの属島で、昭和53年に本島と斑大橋によって結ばれた。島の南西部には成層した火山砕屑岩が分布するが、島の大部分は玄武岩溶岩で構成される。海岸に露出する玄武岩上の波食台には、波食により生じたいくつかの甌穴があるが、北東端の玉石鼻にある甌穴が、国指定の天然記念物となっている。
玄武岩中の亀裂が交差する所が、直径80〜90cmの深い円筒状に刻まれ、深さは2.5mにも達する。穴の底には、直径約40cmの玄武岩の球状の円礫が座る。玉の表面は黒光りをし、土地の人から「玉石様」として信仰されている。満潮時に大しけでもあると、海に通ずる亀裂から侵入するはげしい海水の動きによって、玉石が甌穴の底を転動し、削磨作用を続けているという。

五両ダキ・長崎鼻  北松浦郡小値賀町柳郷

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五両ダキ・長崎鼻  北松浦郡小値賀町柳郷

小値賀港ターミナルから、島内を一周する県道161号線により行く。長崎鼻は島の最北となり、柳郷の交差点から右方の道へ入る。すぐ「柿の浜海水浴場」の下り口があり、そのまま進むと、長崎鼻の牧場で道は行き止まりとなる。

五両ダキの断層は長崎鼻の左湾曲奥部にあり、牧場の柵を開けて中へ入る。牛だけいてなにもないところ。斑島の大橋と島がかすんで見える。五両ダキの近くまで歩いていけず、斑島から写した最後の遠景の断層が五両ダキのようだ。
HP長崎県五島列島小値賀島「観光よかとこ」による説明は次のとおり。

五両ダキ

死火山のクレータが波の海食により湾曲に徐々に、削り取られて段差が出来て、内部に美しい断層が露出する。これをダキと云い、小値賀の海岸付近では、至る所、色取り取りのダキを見ることできる。
中でもこの五両ダキの湾曲奥部は、標高差が60メートルの断崖あります。
その下には、町指定の「はまゆうの」植物が群生し夏場には、あでやかでエキゾチツクな大輪の花が咲き乱れる。その先は真っ白い砂浜に、抜けるような透明な青い海が広がる景勝の地である。

牛ノ塔  北松浦郡小値賀町中村郷

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牛ノ塔  北松浦郡小値賀町中村郷

小値賀港ターミナルから笛吹大通りを上り、信号のある交差点から右折し島内を一周する県道161号線を右回りする。小値賀町役場の先は右方に下り小値賀空港の方へ向かう。
途中に中村郷船瀬海水浴場があり、この手前の海岸の岩礁に「牛ノ塔」は祀られ、堤防で参道が繋がっている。
HP「おぢかの歴史」の資料である小値賀町教育会「小値賀町歴史・文化フィールドワーク」による説明は次のとおり。
2 牛ノ塔 (町指定史跡)

現在一島である小値賀島はその昔,前方地域とその西側の地域の二島に分かれていた。松浦平戸家15代を継承した肥前守源定は鎌倉時代末期,命じてこの両島間を埋め立て田となした。現在神殿と新田と呼ばれている一帯である。
この工事は「潮見様」という人柱の伝説を生むほどの難工事で,使役した牛が多く犠牲になったという。これを哀れんだ源定は工事が竣工した建武元年(1334),これら犠牲となった牛を供養するため舟瀬の海岸に妙典経約七万字を書写した一字一石経を埋納し,その上に供養塔を建立した。
これが『牛ノ塔』である。現在も毎年4月に牛ノ塔祭りが開催されている。

なお、HP”小値賀風土記”に、古記録や絵図に基づいた詳しい「牛ノ塔建設物語」があるので参照。
http://www.yosimoto-ojika.jp/usinotou.html