長崎の風景・史跡 (県 北)」カテゴリーアーカイブ

阿弥陀寺万日堂  北松浦郡小値賀町笛吹郷

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阿弥陀寺万日堂  北松浦郡小値賀町笛吹郷

小値賀港ターミナルから笛吹大通りを行き、親和銀行小値賀支店の1つ手前の角から左方の道に入ると小値賀町歴史民俗資料館前に出る。ここから左手に阿弥陀寺が見えるので、車はまっすぐに、徒歩では坂道へ下って寺を目指す。

堂内は本尊佛阿弥陀佛像が安置され(現在は阿弥陀寺に移設)、その周囲を小田家歴代当主の塑像坐像が安置されていた(現在歴史民族資料館展示)。
毎月25日及び見学希望者あった場合、内部公開。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

阿弥陀寺万日堂  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 平成12年2月22日  所在地 北松浦郡小値賀町笛吹郷1512番地イ
所有者 阿弥陀寺
万日堂は、江戸時代初期から小値賀を根拠地として鯨組(捕鯨業)等を展開した小田家の、二代目当主・小田伝次兵衛重利(1671〜1724)が自家の私堂として正徳6年(1716)に建立した念仏堂である。記録等により建立年が明確なもので県内に現存する木造建築物としては、五島列島で最古の木造建築物である。幸いにも火災に免れて現代に伝えられ、昭和36年に小田家から阿弥陀寺に寄進された。
方三間の念仏堂であり、堂内全体の空間構成はよく引き締まっていて秀逸である。床は畳を敷き、正面両脇は半蔀(はじとみ)を建て込み、その上半は室内側に吊り上げて開く。中央の須弥壇(しゅみだん)に安置されている阿弥陀仏座像は、正徳5年(1715)、泉州堺の仏師・村田與三兵衛の作であることが墨書によって判明している。
当初の部材の残存率が高く、内外観とも意匠的・空間的に優れており、建築史上の価値が高い。

小値賀町歴史民俗資料館  北松浦郡小値賀町笛吹郷

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小値賀町歴史民俗資料館  北松浦郡小値賀町笛吹郷

小値賀港ターミナルから笛吹大通りに行き、親和銀行小値賀支店の1つ手前の角から左方へ入ると小値賀町歴史民俗資料館に出る。
築山の奥にエノキが大木があった。火山弾(大島の項で後掲)が通りの石垣上に並べられている。大きなものが道路工事で撤去され、裏庭にまとめられてあった。
HP「観光よかとこ」による説明は次のとおり。

小値賀町歴史民俗資料館

江戸時代、西海捕鯨に活躍した旧小田家の母屋、土蔵、を修復し、鉄筋二階建新館、江戸時代に造園された石州流庭園、屋外展示場等を有し平成2年に開館した。五島列島唯一の歴史民俗資料館で、考古資料を中心に歴史、民俗、地質など約30万点を収蔵している。
特に小値賀島は古事記や肥前風土記に記載された『値嘉島』の中心地と目され、数々の豊富な考古資料や捕鯨関係等の近世古文書等が注目されている。
新館一階では、年1回展示内容の総入れ替えをおこなっている。

長泉寺の鯨供養石造五重塔  平戸市前津吉町

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長泉寺の鯨供養石造五重塔  平戸市前津吉町

津吉は平戸島の南部。平戸市街から国道383号線により宮の浦方面へ下る。前津吉町は相浦・佐世保航路がある所で、国道の津吉交差点から左折して「前津吉港」の方へ入る。
「長泉寺」入口は、前津吉の町へ出る前、右方に案内標識があり、この道に入って進むと本堂横の駐車場へ着く。
鯨供養石造五重塔の前に立つイチョウも大木だった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

長泉寺の鯨供養石造五重塔  県指定有形民俗文化財

指定年月日 昭和59年9月18日  所在地 平戸市前津吉町1274長泉寺境内
所有者 長泉寺
この五重石塔は、砂岩の基礎(2石)、塔身の軸部(第1層2石、計6石)と笠(5石)、相輪部(1石)の14石からなり、総高460cm。基壇は切石の三段積み、合計高さ539cm。
第1層軸部に龕を抉り、多宝如来(合掌印)と釈迦如来(禅定印)の高さ20cmの座像(砂岩)を安置し、法華経見宝塔品の諸仏の名を刻む。側面の銘文に元文4年(1739)、鯨供養のため財を募り、長泉寺第8代海純大和尚が建てたと刻んである。
平戸島前津吉の浜は、元禄5年(1692)、小値賀島の小田組が捕鯨の基地を定めてから、安政の開港ごろ(1859)、捕鯨の休止まで167年間、鯨組で繁昌していた。

根獅子の浜海水浴場と周辺  平戸市根獅子町ほか

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根獅子(ねしこ)の浜海水浴場と周辺  平戸市根獅子町ほか

平戸市街から国道383号線などにより紐差町へ行く。紐差交差点を過ぎ、しばらくまだ国道を宮の浦方面へ進むと、途中に「根獅子入口」分岐とバス停があり、右へ道へ入り、山手を越して下ると根獅子町へ着く。同町には「切支丹資料館」がある。

これから大石脇町・獅子町へと海岸沿いを北上すると、根獅子の浜のほか無名(?)の浜・人津久の浜と3つの美しい砂浜と海水浴場がある。白砂のきれいな浜も殉教の歴史がある。
途中の小さな浜で、製塩している小屋を見た。
平戸市発行「平戸まるわかり本 とっとこ平戸」25頁による説明は次のとおり。

根獅子の浜海水浴場

日本の海水浴場88選にも選ばれた美しい海水浴場。白い砂浜は約1kmにも及び、遠方から多くの人々が訪れています。

式内社志々伎神社跡  平戸市野子町

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式内社志々伎神社跡  平戸市野子町

平戸市街から国道383号線により平戸島の南端、野子町の国道終点「宮の浦」へ向かう。宮の浦まで車は約1時間。
宮の浦漁港へ出、左方へ行くと角に橋があり小さな川が流れ、川脇にフェンスによって囲まれた一角があり、「式内社志々伎神社跡」碑が新旧石燈籠とともにある。

現在の志自伎神社地の宮と沖の宮は、この地を挟みすぐ近くの山手と湾内の小島にある。
志々伎山は途中の野子から写す。標高347m。古期安山岩でできた山。山頂が鋭く尖る。五島列島が一望できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

式内社志々伎神社跡  県指定史跡

指定年月日 昭和49年7月2日  所在地 平戸市野子町3172ほか
所有者 志自伎神社
式内社志々伎神社は、志々伎山を中心にして上宮、中宮、地の宮、沖の宮の4社と別当寺(円満寺=現在の中宮社)の5つの社殿があり、祭神は仲哀天皇の皇弟十城別王(とわきわけのみこと)である。
志々伎神社は古代朝鮮との交易、中世における松浦氏との関係において崇敬された神社で、肥前国における式内三社の一つであり、壱岐、対馬の式内社に比べ規模が大きく、式内社としての形を現在までよく伝えている点など歴史的価値が高い。

大バエ灯台  平戸市生月町御崎

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大バエ灯台  平戸市生月町御崎

平戸市役所から県道19号線により生月大橋を渡って生月島へ入る。「大バエ灯台」(大碆鼻)は生月島の最北部にあり、灯台が展望所となっている。
生月大橋を渡ってから、島の東回り県道42号線や西回り農免道路のどちらかでも行かれ、一周道路の合流点から大バエの先端部へ行くため御崎集落に入る。大橋から車では約30分のところである。
平戸市HP「平戸まるごと観光ガイド みどころ」による説明は次のとおり。
後の写真は、途中にある御崎野営場(キャンプ場)。

大バエ灯台

生月島の最北端に位置し、80m程切り立つ大バエ断崖の上にたつ白亜の無人灯台。
この灯台には全国でも珍しい展望所が設置されており、海と空が溶け合う雄大さで素晴らしい景観が眺望できる。
また、岬の陸部分にはなだらかな草原になっており「はまゆう」の群生地がある。

塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

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塩俵断崖の柱状節理  平戸市生月町

平戸市役所から県道19号線により生月大橋を渡って生月島へ入る。「塩俵断崖の柱状節理」は生月島の北部にあり、東シナ海を向いた西海岸側にある。
島内は一周道路が整備され、生月大橋を渡ってから、島の東回り県道42号線や西周り農免道路のどちらかでも行かれ、車では約20分のところである。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

生月町塩俵断崖の柱状節理  県指定天然記念物

指定年月日 平成元年9月29日  所在地 北松浦郡生月町壱部免1560外
管理責任者 生月町
生月島は平戸島の北西部に隣接し、南北約10km、東西は最大幅をもつ南端で3.8kmの細長い島である。東側はゆるやかな傾斜地になっているが、西海岸は切り立った海食崖が連続し、玄武岩の溶岩流の重なりが露出している。溶岩流の厚い部分では、冷却の際に生じた顕著な柱状節理が発達する場合が多い。

島の北西部の塩俵海岸に露出する玄武岩の柱状節理はその代表的なもので、規模はもとより、景観的にきわめてすぐれている。柱状節理が発達する玄武岩溶岩流は南北に500m続き、20m以上の厚みをもつ。玄武岩の柱はほぼ垂直であり、さらに水平に亀裂が入って板状節理もつくる。柱の太さは60〜120cmもあり、断面は五〜六角形をしめす。塩俵断崖の南端の展望所から波打ち際を見下ろすと、この柱状節理の蜂の巣状の多角形の断面もまじかに観察することができる。

雄香寺開山堂  平戸市大久保町

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雄香寺開山堂  平戸市大久保町

平戸市役所から県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。田の浦への県道をそのまま進み、平戸海上ホテル「観月館」の上まで来ると、崎方公園方面などの交差点があり、反対の右の道へ入ると雄香寺駐車場へ着く。参道は海岸側からある。

山門をくぐり右へ折れると、朱色の艶やかな開山堂がある。寺名にもなっている5代松浦棟公(雄香院殿)の廟。県指定有形文化財となっている均整のとれた美しい建物である。
開山堂裏手の土塀に囲まれた一画が、その他の藩主墓所となっている(以上は、画像ともHP「minka world 大名墓」から)。
開山堂の内部は10月3日に開けられ見学できるらしい。最後は境内で見かけたシイの大木。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

雄香寺開山寺  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 昭和62年3月3日 所在地 平戸市大久保町字菅牟田又2169番地
所有者 雄香寺
雄香寺は、「俊林山雄香寺御建立書」によれば、元禄8年(1695)松浦家雄香公、棟(たかし)が大島の古寺「江月庵」をここに移して、開いた寺院で、この開山堂も同じく元禄8年に創建された。
建物は禅宗仏堂の様式に則し、入母屋造妻入、総丹塗とした江戸時代中期を代表する寺院建築物である。

平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

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平戸和蘭商館跡  平戸市崎方町・大久保町

平戸市役所から田の浦への県道153号線により平戸港平戸桟橋の方へ行く。ターミナルビル前の県道をそのまま進み、海岸の突端手前に石垣に囲まれた平戸和蘭商館跡がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

平戸和蘭商館跡  史跡(国指定)

指定年月日 大正11年10月12日 所在地 平戸市崎方町・大久保町 管理団体 平戸市
慶長14年(1609)和蘭船2隻が入港し、寛永18年(1641)長崎出島に移転するまで約33年間、平戸はわが国唯一のオランダ貿易港であった。商館は慶長16年(1611)崎方町の町屋22軒をこわして住宅倉庫を建て、元和2年(1616)に防波堤ができ、元和4年(1618)にはさらに付近の民家50戸を取払い増築工事を行った。
オランダ塀もこのとき築造されたものである。オランダ塀のほか、オランダ井戸、棹頭、倉庫の壁、防波堤、海岸の石垣などが残っている。