式内社志々伎神社跡  平戸市野子町

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式内社志々伎神社跡  平戸市野子町

平戸市街から国道383号線により平戸島の南端、野子町の国道終点「宮の浦」へ向かう。宮の浦まで車は約1時間。
宮の浦漁港へ出、左方へ行くと角に橋があり小さな川が流れ、川脇にフェンスによって囲まれた一角があり、「式内社志々伎神社跡」碑が新旧石燈籠とともにある。

現在の志自伎神社地の宮と沖の宮は、この地を挟みすぐ近くの山手と湾内の小島にある。
志々伎山は途中の野子から写す。標高347m。古期安山岩でできた山。山頂が鋭く尖る。五島列島が一望できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

式内社志々伎神社跡  県指定史跡

指定年月日 昭和49年7月2日  所在地 平戸市野子町3172ほか
所有者 志自伎神社
式内社志々伎神社は、志々伎山を中心にして上宮、中宮、地の宮、沖の宮の4社と別当寺(円満寺=現在の中宮社)の5つの社殿があり、祭神は仲哀天皇の皇弟十城別王(とわきわけのみこと)である。
志々伎神社は古代朝鮮との交易、中世における松浦氏との関係において崇敬された神社で、肥前国における式内三社の一つであり、壱岐、対馬の式内社に比べ規模が大きく、式内社としての形を現在までよく伝えている点など歴史的価値が高い。